少し前に、研究者が国土地理院の傾斜量図を使って未知の古墳を発見したというニュースがあった。
傾斜量図、さっそく使ってみたらこれはおもしろいですね。国土地理院がそんなおもしろツールを公開してるって知らなかった。何がおもしろいかというと、例えば火山を眺めると衛星写真では木に覆われて見えないような地形が見えて、ここに火口があるとか、火砕流がこっちに流れたとか、ワクワクします。ワクワクするだけであって学問的な何かを追求するわけではなくて阿呆な感じだがそれでよい。あと、古墳も大きなものはよく見えます。これも樹木が無い裸の形が見えるので残り具合がよくわかる。なので、この古墳は形が良いのでいちど見に行きたいとか、古墳のありそうな場所を適当に流し見して目についた形のいい古墳に注目してみるとかいう使い方をする。
そしてそういう使い方をしてしまうと深みにはまります(はまった)。傾斜量図から未知の古墳を探すのは専門家の領分であって、素人が真似をしてああだこうだと言うのはただでさえ阿呆っぽいのがより一層阿呆っぽくなるのはわかっている。しかしひとたび地図を東西南北に流し始めると目が皿になってしまったのだ、これはあかん。あかんあかんと思いつつも、今まで古墳がなかったはずのあたりになんか丸と四角がくっついたような地形を見つけて、「アッタ、アッタ」と心を躍らせる、そういう阿呆っぽい話です。
これなんですが、なんか丸と四角がくっついてるっぽく見える。場所は伊豆半島の付け根のあたりで、箱根山の裾が平野に消えるあたり。
しかし見つけたと言っても目につくようなものはたいてい専門家が記録してるはずなので、次は静岡県の遺跡地図(静岡県GIS)で確認しました。すると目当ての場所はすでに木戸古墳という名前がついていた。そりゃそうだという感じだ。素人に出番はない。それで検索して、出てきた論文の引用元をたどって、おそらく一番最初に木戸古墳を報告したらしい論文を見つけて読んだ。興味深いことに、地理院地図で怪しげな地形を見つけて調べたところどうも古墳っぽいということになったらしい。[笹原芳郎(2016)「ジオ・アーケオロジーによる前方後円墳の再確認」『静岡県考古学研究』47]
4年を経て車輪を再発明してしまったわけです。以下は論文の経緯を引用します。
2014年12月のなかごろ、…未確認の前方後円墳が存在するとの情報が得られた
(注:天城ビジターセンターで)展示されている「赤色立体地図」のなかに、「前方後円墳らしい地形がみえる」とジオパーク関係者で話題になっているとのことであった。
そこで国土地理院が公開してるデータから起伏陰影図を作成(この時点ではまだGoogleマップふうにグリグリ動かせる起伏陰影図は公開されていなかったぽい)して、たしかに前方後円形であることを確認した。さらに3次元化して形を確認した。しかしこの時点で古墳であるかどうかについて少しばかり疑いが投げかけられています。
後円部北側が削られたように傾斜がつよく、周囲の丘陵部が墳丘よりも高いことが気になる点である
田方平野からは周囲の丘陵に阻まれて、墳丘全体をみることができる範囲はせまい。このような立地が前方後円墳の築造地として妥当かどうか疑問ではある。
著者はその後現地に赴いて確認したが雑木林で形状がよくわからなかったという。そこに後追いで行ったところで何か得るものがあろうはずもないのだが、こうやって見つけたのも何かの縁なので現地に行ってみた。
ところでこうやって有名でもない(古墳かどうかすら怪しい)古墳を見に行くと物好きな奴だと言われるのですが、見知らぬ土地を徘徊する趣味の一環という面もあって、目的地になるものであれば古墳に限らずなんでもよいです。以上言い訳。
西側の平野から、北と南の台地に挟まれたちょっとした谷のようなところへ農道を伝って入っていくと、入ったあたりでようやく墳丘(っぽいもの)が見えてきた。指摘の通り平野からは見えないです。この谷が奥の集落へのメインルートだとするならここに造るのもなしではないかなという気はする。
近づくとちょっと「ムムム?」みたいな感じになった。墳丘(っぽいもの)の西側と南側は結構真っ直ぐな法面になってて、歴史的に新しい時代に削ったように見える。削ったら前方後円墳の形になっただけのただの盛り上がりのような、ハズレ物件のニオイがややある。いつもなら前方後円墳の前にたどりつくとたとえ雑木林でも「前方後円墳だヤッター!」みたいな楽しさはあるのだが、確証が揺らいでいてことによるとただの丘かもしれないのであまり喜べない。なにやら空虚な気分である。
せっかくなので空虚ついでに空虚な穴を見てきた。すぐ近くに柏谷横穴群があります。きれいに整備されていて横穴に入ることもできて楽しい。お子様たちの遊び場にもなってるようです。