今回は山形県南部の置賜地方の古墳を巡ってみました。地理的には周囲を山に囲まれた米沢盆地。温暖な現代では米どころです(そしてついでにいうとお酒がおいしい)が、寒冷だった古墳時代にはこのあたりでの米作りは大変だっただろうと思います。そういう気候的な都合もあり古墳・稲作文化の北限に近い。

この地域に最初に古墳が造られたのは4世紀前葉のことで、近畿や関東での築造開始が3世紀中頃だとすると、干支一回り以上の時間をかけて古墳文化が伝わってきたことになります。そして4世紀中葉になり「地域一帯を統括する大型古墳」が造られるようになります[1]。そのひとつが盆地西部の川西町にある天神森古墳です。米坂線羽前小松駅から徒歩10分。

全長75mの前方後方墳です。第一印象はとても平べったい。後方部の上に神社があるので、それの関係で削られているのかもしれないけれど、もともと平べったかった可能性もあるかなと思います。

天神森古墳と同時期の古墳としては盆地南部の前方後方墳、宝領塚古墳があります(未訪問)。さらに少しだけ時間差があって4世紀後半に盆地北部に前方後円墳の稲荷森古墳が造られました。この3基の古墳の存在から、4世紀頃の米沢盆地は3つの有力な政治勢力が並び立つような状況だったと推測されます[2]。

稲荷森古墳は全長96mの前方後円墳。上記3つの古墳の中で最も大きく、ひとつだけ前方後円形ということから、米沢盆地では一歩抜きん出た存在だったのではないかとも思われます。もともと形がよく残っていたようですが、平成初期に整備されてきれいになっています。山形新幹線の赤湯駅から徒歩25分、ついでに赤湯温泉に入っていけばちょうどいい観光になります。
段築がちゃんとあるのも天神森古墳とは違うところ。一段目は丘陵の先端を削り出して造り、二段目と三段目は盛り土のようです。

墳丘からは米沢盆地の田んぼを見渡すことができます。この風景を見ると豊かな土地だなあという印象ですが、古墳時代にどうだったのかはわからない。

そうして3つの大きな古墳が造られた後、5世紀になると古墳が築造されない時期がやってきます。これは米沢盆地に限ったことではなく、南東北から新潟県域までの広い範囲で同じように起きており、「政治的変動と連動した変化と考えるべき」とのこと[3]。その時期を挟んで5世紀後半になると再び古墳が築造されるようになります。そのひとつが盆地の東南部にある戸塚山古墳群。

……に行きたかったんですが、登山道の標識などはなく、草に覆われていて道を間違えそうだったので途中で引き返しました。しかしこの山にある古墳群は貴重でぜひ見ておきたいところでした。山頂の139号墳はその中で一番大きい54mの前方後円墳。そのとなりの137号墳からは埋葬された女性の骨が見つかり、置賜の女王と呼ばれているようです。重要な古墳です。

また盆地の西部に戻り、天神森古墳の近くの丘陵上にある下小松古墳群へ。ここは4世紀から6世紀まで造られ続けた古墳の群れ。天神森古墳(4世紀中葉)と同時期にも造られ続けていたとすると両者の関係が気になるところ。

登山口に近いところは舗装路や看板が整備されていて、その歩きやすいところだけ見てきました。一番よく整備されていていろんなウェブサイトでも紹介されているのが小森山支群K-36号墳。前方後方墳ではありますが、サイズはかなり小さく、周囲にある小さな古墳とそう違いはありません。高さもなく、とりあえず形だけ前方後円形にしましたという印象です。もしかすると、このあたりを治めた過去の偉人の墓(天神森古墳)にあやかって同じ形にしたというようなことが、あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

その後、6世紀後半になると再び古墳は造られなくなり、米沢盆地では古墳時代ほぼ終了の感が出てきますが、盆地東部の高畠町のあたりでは新しいタイプの古墳が造られるようになります。横穴式石室を持ち、7世紀~8世紀にかけての築造。飛鳥時代の、いわゆる終末期古墳です。ということはこのあたりは、エミシとされる土地でありながら、律令国家の影響下にある人たちが住んでいたのでしょうか。

山形県立うきたむ風土記の丘には復元された阿久津1号墳と2号墳があります。復元古墳ではありますが2号墳には入ることもできます。石室は狭いけれど中では人が立てる程度の高さがあります。

少し進むと清水前古墳群。こちらも復元古墳です。入口が狭くて入るのは難しい。古墳のむこうに盆地の反対側の飯豊連峰が見える好立地。


さらに西原古墳。こちらは畑の中にそのまま残っています。墳丘の上部は失われていますが、そのおかげで石室の平面構造がよくわかります。


石室の石材は周辺に分布する凝灰岩です。近代の採石場跡が瓜割石庭公園として公開されていて、風土記の丘からすぐですので古墳見物のついでに見るのがおすすめです。

[1]山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館(編)(2011)『やまがたの古墳時代―最上川流域のムラと古墳―』
[2]川崎利夫(2004)「最上川流域における古墳の出現と展開」『最上川文化研究2』東北芸術工科大学東北文化研究センター
[3]藤沢敦(2013)「古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけての東北地方日本海側の様相」『国立歴史民俗博物館研究報告』第179集

































































