青塚古墳と壺と

青塚古墳。南東側から。

数年前にたどり着けなかった青塚古墳についにたどり着いた。地上で見ても地図で見ても美しき前方後円墳。愛知県下2番目の大きさにしてきれいに復元整備もされているのでじつに見栄えがします。

地理院地図(陰影起伏図)による青塚古墳。

美しさについて言うと、古墳時代前期の古墳らしく前方部があまり大きくなく墳丘の傾斜もなだらかで、全体としてはゆったりとした存在感がある。墳丘の裾と各段(三段築成)の平坦面に赤彩の壺形埴輪がぐるりと巡っていて、草の緑と壺の赤が対照的でもある。

▲墳裾の壺形埴輪(復元)

ただし築造時は全面が葺石で覆われていたそうなので「草の緑」は築造した古墳時代人の意図したところではないかもしれない。あと、色弱者にはこの緑と赤の対照はほとんど意味をなさないだろうとも思う。(とすると築造時の設計のほうが現状よりもユニバーサルな美かも)

▲墳裾以外は板で復元(?)されている。

個人的には壺型埴輪は好きである。というのも丸っこい焼物が好きだからです。特に下膨れやふにゃっとした感じが良い(そのへんは以前にも書いた)。あるいは古伊賀の破袋などは初めて見たときによだれが出そうだった。

〔破袋については五島美術館ウェブサイトからコレクション→茶道具→水指と進めば画像を見られます。が、やはり実物を見るのが良いです〕

ただし壺形埴輪が全体に並べられている古墳というのはあまり一般的ではないらしい。そういえばそうで、復元された古墳にはたいてい円筒埴輪が並んでいてその隙間とかにたまに壺形埴輪もある、みたいな印象です。壺形埴輪だけをぐるりと巡らすようなのは東海から東日本の古墳が主だとか。したがってこの古墳も遠目には全国一律規格の前方後円墳のようでいてきちんとローカル色が出ているのである。

▲西側から。

しかし前方部にある方形壇(写真では少しだけ盛り上がっているのがわかる)という区画だけは円筒埴輪が並んでいて、

鏃形石製品がともなうなど、同時期の畿内の首長墳と同じ祭祀が執りおこなわれた

(藤井,2022)

という、部分的に当時の中央政権から取り入れた(?)要素もある。最先端の流行に乗ってオシャレしてみたのか、あるいは政治的バランスを取った結果なのか。引用文献は後者をとるようです。

▲ガイダンス施設「まほらの館」に展示されている埴輪。

古墳の立地について。ほとんどまっ平らな場所にあるようでいて、じつは台地の縁の部分にある。陰影起伏図の北西部分にある線が段丘崖です。用水路が逆行できるほど低い。

段丘崖の下は犬山扇状地。つまり木曽川が作った扇状地であり、現代では木曽川本流はずっと北の方を流れていて枝流も整理されているけれども、はるか昔の全く治水などされていなかった頃は古墳のすぐ下まで枝流が流れていたことも、もしかするとあるかもしれない。そうであればこの青塚古墳は木曽川水系(&伊勢湾岸)に接続することになり、水上交通による各地との交流という、古墳好きにとってはちょっとばかり面白い展開になる。ここらへんは夢想のようなものですが。

 

〔参考文献〕
藤井康隆(2022)『濃尾地方の古墳時代東京堂出版
田中裕(2005)「壺形埴輪と東関東の前期古墳」『千葉県文化財センター研究紀要24 ―30周年記念論集―』千葉県文化財センター