楽寿園の満水

少し前のことになりますが、三島の楽寿園の池が満水になったと聞いて行ってみた。数年前に初めて行ったときは水が無くて岩だらけの池の底がむき出しになって、綺麗な庭とは言いがたかった(正直なところシケた庭だと思った)が、満水になると見違えて生き生きとした様子です。湧き水の具合でこんなふうに池に水があったりなかったりするらしい。

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庭というとひとつの庭のなかに複数の表情があるような、例えば水の流れる音がしたかと思えば数歩先には静寂があるような、そういうのが好きなのですが、満水の楽寿園はまさにそういうのがあります。広々と水をたたえた池があるかと思えば、勢いよく流れ下る急流があり、

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ゆるやかな流れがあったりもする。

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歩けば、湧き水、せせらぎ、ゆるやかな流れ、激しい流れ、止まった水面が移り変わる。そして水はとても澄んでいる。さまざまな水の音が聞こえる庭は他にもあったと思うけれど、いろいろな水の姿を見せるということではなかなか他に無さそうである。この澄んだ水でこういうふうに流れを見せるというのが湧き水の多い三島らしい。

ところで楽寿園の中にある郷土資料館の玄関脇に古墳の石棺が置いてあります。

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展示なのだけど置いてあるというほうが印象に近い。意地悪に言えば打ち捨てられている。素人目にはただの石棺だけど、専門家が見ると片方の幅が狭くなっていて且つ「形が著しく崩れて末期的な様相が窺われ」ることから奈良時代の石棺であるそうです。*

奈良時代というと偉い人の墓では火葬が普及して古墳が造られなくなったイメージだけれども、三島のあたりではその後もしばらく造られていたらしい。沼津でもなかなかカッチョ良い上円下方墳(清水柳北遺跡1号墳)があり、愛鷹山麓古代人のレトロ趣味なセンスが光る。

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▲清水柳北遺跡1号墳

楽寿園内の動物園ではアルパカと、

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馬がいる。

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この馬は与那国馬で、日本在来馬であり、体が小さいです。そして古墳時代人が乗っていた馬もこの手の小さい馬だったということなので、古墳時代人の気持ちがわかるかもしれないと思ってしばらく見ていた。見ていて思ったのは、体がこんなに小さくて人を乗せられるのかしらということである。鎧を着たこわいおじさんが乗るのはかわいそうな感じもあり、とすると古墳時代ピープルの気持ちとしては乗るよりも綺麗に飾って可愛がって眺めてニヤニヤしていたいと考えてもよい。

実際のところこのサイズだと「人懐こい鹿」みたいな感じで、当時としてもめちゃ強の軍用車というよりも大陸から来たなんかかわいい鹿っぽいやつみたいな、アルパカ的な扱いだったとしても良いかなという気はする。古墳時代は平和であってほしいという夢のような希望的想像である。

(*)軽部慈恩(1957)「古墳文化」『三島市誌』上巻:三島市教育委員会(編)(2007)『三島市埋蔵文化財発掘調査報告XII』に再録