清水の古墳

 静岡方面へ行く。

 新緑の季節だから山を見たかったが、関東平野には山が無いので関東平野を出る必要がある。とはいえあまり遠出をしたいわけでもなく、関東の周縁くらいがちょうど良い。どうせなら行ったことのない古墳を見ることができればなお良い。
 そこで行きたい場所リスト(Googleのマイマップに未見の古墳や観光地をリスト化してある)から条件に合う古墳を探したところ、清水に三池平古墳があった。衛星写真で見るときれいに復元されていそうである。そうしてここにしようと決める。

 最近は遠出することもめったにないのであまり運賃を気にせずに特急でも新幹線でも使って快適に移動すれば良いという気分だったが、家を出ると貧乏性が膨れ上がってきて結局普通列車の旅になってしまった。青春18きっぷの旅行のようだ。
 熱海から沼津までたまたま特急型の373系普通列車として運用されているのに出くわして嬉々として乗る。沼津で乗り換え。ここから静岡名物のロングシートの電車。富士山が見えていれば吉原か富士のあたりで降りてゆっくり見物しようと思っていたが曇っていたのでスルーして清水へ直行した。

 清水駅から三池平古墳まではバスもあるが本数が少ない(参考:しずてつジャストライン庵原線のトレーニングセンター行きです)。行くのは良いけれど、あまりじっくり古墳を見ていると帰れなくなることもありうるし、自由に行動できなくなる。なので駅前でレンタサイクルを借りた。Hello Cycling。後で調べたらソフトバンク社内ベンチャーで全国に展開しているらしい。我が家の近所にもあった。知らなかった。
 スマホで空車状況を見たり予約したりできるのは便利なのだが、初回はアプリをインストールして会員登録してクレジットカードを登録して……という一連の作業が面倒ではある。その点で行けば地方の駅前とかにある個人商店のレンタサイクルは楽だ。店番のおっちゃんに500円渡すだけでオーケー、みたいな感じだから。ただしHello Cyclingは個人商店ではとても太刀打ちできない数のステーションが主要都市周辺に設置されていて、何度も使うのならかなり便利だろうと思う。

▲借りたチャリ。

 ともあれチャリを借りた。電動なのが良かった。地図ではわからなかったけれど古墳までの道は最後が結構な上り坂になっていて、普通のママチャリだとかなり苦労しただろう。

▲途中、清水JCT

 さてそうしてやってきた三池平古墳です。なんか平べったい。それゆえか作り物っぽい。復元のせいなのか、あるいは元々作り物みたいな設計の古墳なのかはわからない。ただ少なくとも現状よりは高さがあったらしいことは想像できる。というのも後円部には竪穴式石室の天井石が地面に見えているのだが、石室というのは普通はてっぺんから少し掘り込んだ場所に造るので、この上にいくらかの土が盛られていたはずなのだ。あと、前方部には「排水溝」という石敷きの遺構があり、築造時には暗渠だったらしく(1)、つまり前方部も現状よりは高く土が盛られていたようだ。

▲三池平古墳、横から。平べったい。

▲後円部の石室

▲「排水溝」。手前が後円部。奥が前方部。

 作り物っぽさの原因は斜面の傾斜が急だということもあるかもしれない。発掘調査では裾石の積み方から傾斜角38°と推定されていて(1)、それに近くなるように復元されているように見える(あるいはそれよりも急なような……)。しかし古墳の傾斜は古い時代(古墳時代前期)は緩めの10~20°で、40°とかになるのは時代的には古墳時代後期であるそうだ(2)。中期初頭という三池平古墳の築造時期ならもっと傾斜の緩いマイルドなプロポーションのほうがありえそうだ。または個人的な好みではなだらかにぬるっとした形のほうがいい。

▲側面は傾斜が急になっている。

 なんとなくの話だけれども、立地というか見晴らしについては柳井茶臼山古墳に似ている印象がある。どう似ているのかというと、前方部から見ると後円部の向こうに目立つ山が見える(儀式的に意味ありげ)、南側が平地に向かって開けていてさらに向こうは海である(港や街道から見える)、というあたり。築造時期はどちらも5世紀初頭頃。その時期の流行りというか、時代背景があったのだろうか。と、築造者の狙いをうっすら想像できる気分になる。

▲前方部から後円部を見ると背後に山がある。

 古墳を降りて、少し時間があったので他に古墳がないかと探してみたら、すぐ近くにあった。行ってみる。

 神明山古墳群。1号墳は前方部が撥形に開く前期古墳。つまり古い。撥形という単語は古墳を巡っている人が見ると「おお」となる。おそらく。なぜなら前方後円墳の初号機であるところの箸墓古墳も撥形に開く。その類型ということなので、全国に多数ある古墳の中でももっとも古い部類に入るのだ。初号機のコピー。遺跡というのは古いほうが良いような気分がある。古い言葉でいうとロマンである。

▲神明山1号墳。奥の土盛りが墳丘。長い年月の間にかなり削られてしまっている。築造時の墳丘の端は白線と石で示されている。

 1号墳よりも少し低い位置には4号墳がある。横穴式石室なので見るからに古墳時代後期のもので、とすると1号墳からは300年くらい隔たっていることになる。発掘調査報告書によると「その被葬者はおそらく1号墳と関係する在地の有力者(血縁者)であったものと推測される」とのこと(3)。しかし古墳時代の権力は必ずしも血縁関係で継承されないとも言われるので、血縁者を想定する必要はないのかもしれない。文字のない時代に300年分の系図は記録できないし、口伝で伝わったとしても途中で伝説とか入ってきてぐちゃぐちゃになってそうだ。

▲4号墳。墳丘はなくなっていて、石室のみがある。

 ちなみに大きな古墳の近くに時期を隔てて別の古墳が造られる事例は他にもあるらしい。すでに事実としての血縁関係は無くなっていても、大きな古墳を造った伝説的な先人との繋がりを主張する目的ですぐそばに自分の古墳を造ったという想定(4)古墳時代という括りの中でもそんな断絶と再構成がある。

 このあと静鉄に乗って静岡へ行き、何をするでもなくぶらぶらしてから帰った。最近は静鉄の電車が新しくなっていてかっこいいです。

静鉄の電車

(参考文献)

(1)清水市教育委員会(2000)『三池平古墳墳丘発掘調査報告書(総括編)』清水市教育委員会
(2)青木敬(2017)『土木技術の古代史』吉川弘文館
(3)静岡市教育委員会(2010)『神明山1号墳・3号墳・上嶺遺跡』静岡市教育委員会
(4)土生田純之(2011)『古墳』吉川弘文館