湯村温泉の古墳

 山のほう(内陸)へ行きたいのと、温泉に行きたいのと、すごく遠出するほどの元気はないけど少しは遠出したいのが重なって、甲府湯村温泉に行った。それだけなら普通の温泉旅行なのだけれど、この温泉街には古墳があるので、そのことを書いておこうと思ったのです。

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▲富士山、湯村山から

 あと、古墳とは関係ないけど太宰治の『美少女』という小説があります。あらすじは、湯村温泉の混浴の湯槽に浸かっていたらたいそう美しい美少女がいたので心のなかでフヒフヒ言いながら見ていたという、気持ち悪いおじさんの語りなのだけれど、Twitterあたりに住む二次元美少女が好きなおじさんの語りに通ずるものがあって、なんとなく慣れ親しんだ感じがないこともない。あるいは親近感がある。

太宰治 美少女

 太宰治は湯がぬるいと文句を言ってるけど実際はちゃんと熱かったです。当時とは源泉が違うのかもしれないし、または加温してるのかもしれない。いずれにせよいい湯でした。

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▲温泉の裏山にある大平2号墳(右)と大平1号墳(左奥)

 ところで1月のNHKラジオ英会話で英語の過去形と完了形の違いについて説明されていて、それがなんとなく心に残って、温泉や古墳をめぐっている間ずっと頭のなかをグルグルしていた。どうも音声情報がグルグルする質らしく、ちょっと気になる音楽を初めて聞いた後とかは数日間それがずっと頭の中をリピート再生されていたりします。それで、ラジオ英会話によると、過去形と完了形は日本語訳にすると「だった」だが、過去形は過去のある一点の出来事を語っているにすぎないのに対して、完了形は現在への繋がりとか近づいてくる感じを伴うという話だったと思う。

 ここらへんは歴史の面白さにも似ている気がします。過去のいっときに何かが造られて遺跡として残った、その事実だけ(過去形)では単に遺跡や遺物の珍しさにしか目が行かなくて、観光としては満足するけどそれで終わりになってしまう。でもその遺跡や遺跡を造った人の考えとかが現在にまで何らかの影響を残していたりすると(完了形)歴史が生きている感じがして面白くなる。このへんは具体例をあげるのが難しいのですが、そんな感じです。

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▲万寿森古墳

 湯村温泉の古墳で言えば、現代的温泉街に古墳があってそれなりの存在感を放っているだけでもじゅうぶん面白いのではないかと思う。付け加えるなら、例えばこの万寿森古墳は江戸時代には火薬の貯蔵庫として使われていたり、昭和の頃にはホテルの物置になってたりしたらしい。ただし江戸の幕藩体制も、昭和のホテルも、古墳より先になくなってしまった。

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▲加牟那塚古墳

 加牟那塚古墳は、木とかは生えてないし石組みがきれいに整っていてなんとなく大事にされてるっぽさがある。自治会のゴミ置き場になっていて、ローカルなランドマークの正統的使用法という感じがする。

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▲加牟那塚古墳のかつての正面