その古墳入るべからず

古墳。しばしば山とか林とか田んぼの中にある。ほんとのただの山ならまあいいかって気もするけれど(それとて微妙だが)私有地かもしれないところは入っていいものかどうか。

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▲寺谷銚子塚古墳は林の中

 近くで見て葺石がとか段築がとか、やりたいじゃないですか、やりたくないですか。まあどっちでもよいのだけれど、写真撮りたいし、あわよくば登りたい。でも公園として整備されている古墳以外(ほとんどそれだ)は、もしかしたら入っちゃいけないのかもしれないし、別に構わないのかもしれないし、分からないので、墳丘を遠目に見ながら悩むことになる。

いつまでも悩んでるのはアレなのでちょっと調べてみました。(しかしここに書いてあることは間違いかもしれず、正しくは参考文献をあげておきましたのでそれを読むか専門家へご相談ください。)

まずネット情報によると侵入に関することは軽犯罪法と刑法第130条に書いてあるらしいのでそのふたつを読んでみることにします。

(1)軽犯罪法 第1条第1号
人が住んでおらず、且つ、看守していない邸宅、建物又は船舶の内に正当な理由がなくてひそんでいた者

この法律は廃墟マニアの無断立ち入りに適用された例があるらしい。古墳もまた廃墟的な建物と言えるのかもしれないし、言えないのかもしれない。建物の定義がはっきりしないけれども、仮に古墳が建物に該当するならば、古墳の石室内に勝手にひそんでいたら通報されるかもしれないということのようです。

(2)軽犯罪法 第1条第32号
入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者

立入禁止の場所に入ってはいけない。立入禁止の定義は、立札・貼紙・柵・垣根など、あるいは口頭で立入禁止が表明されていること。どれくらいの柵とかがあれば立入禁止が表明されてることになるのかはっきりしないけれども、ネット情報によると、常識的に見てダメっぽい雰囲気が感じられるならダメっぽい。とすると、フェンスの出入口が開いていたとしても入ってほしくなさそうなら入らぬが良い。あるいはオープンな公園であっても「古墳の上にのぼってはいけません」みたいな立札があるときは立入禁止かもしれない。

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▲吉岡大塚古墳は整備中で立入禁止だった。明らかに入ってはいけない。

また、田畑に入ってはいけない。田畑は果樹園も含み、そのときたまたま作物が植わっていなくても田畑とするようです。これは例えば古墳へのアプローチが田んぼや畑であれば、無断で入ってはいけないし、墳丘上が畑になっているならば登ってはいけないということになりそう。

つづいて、

(3)刑法第130条
正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者

まず住居ですが、「人の起臥寝食に使われる場所」が通説とのこと。なので住居への侵入は人が起臥寝食しない古墳には関係なさそうですが、土管の入り口を筵で仕切って住んでいるのが住居とされた判例があるらしく、したがって横穴式石室の入り口に仕切りをつけて住んでいる人がいれば住居になりそうであり、勝手に入れない。その場合は屋根の上も住居の扱いになるのでもしかすると墳丘にも登れない。また、適法に住んでいなくても住居とみなされる。勝手に住み着いちゃった古墳おじさんみたいのがいたら近づかないほうが良いです。

人の看守する邸宅、建造物というのが難しいですが、住居以外の建物で、柵があるとか施錠されているとか守衛さんがいるとかで「看守」されているならば入ってはいけないということのようです。これも仮に古墳が建造物だとすると、石室に柵があったり施錠されてたら入ってはいけないことになる(常識として当たり前だ)。また邸宅には建物の付属地(囲繞地)が含まれる。建物のある敷地をぐるっと柵で囲ったりして建物のひとつながりの土地だとわかる場合は邸宅の一部になる。なので、柵で囲われた土地に古墳と建物が並んでいるような場合、家の裏手に古墳があるとか、は入れないかもしれない(これも雰囲気からして法律以前に無断侵入していいとは思いにくいが)。一方で、家の隣に古墳があるような場合でも、特に囲われたり付属地だと示されていなければ入ってもいいかもしれない。

しかしやはり、私有地で好き勝手されて嬉しい人はいないし、入るのが歓迎されていない感じの古墳では法律がどうという前に勝手に入らぬがよかろうと思うものです。結論はあいまい。

ところで写真の吉岡大塚古墳。古墳を整備してる現場を初めて見たんですけど、現代技術できれいに復元されていくのはすごいですね。古墳は造れる、カワイイは作れるって感じです。

以下参考文献です。
山口厚『刑法各論』第二版、有斐閣、2010
山中敬一『刑法各論』第3版、成文堂、2015
伊藤榮樹原著、勝丸充啓改訂『軽犯罪法』新装第2版、立花書房、2010

糸静線のむこうへ

糸静線を越えたい。というのが最近の休日にどこか行くときのキーワード的なやつなのである。別に深刻な話ではなくて、日常(さらに限って言えば、仕事)からできるだけ遠いところに逃げたいということです。はたらきたくないだけ。

じゃあ逃げるってのは、どこまで行けば逃げ切れるのさ。隣駅まで行けばいいのか。市外へ出ればいいのか。県外へ出ればいいのか。むろん日常(繰り返し言うと、仕事)から逃れることは不可能でいつか戻らなければならないのがつらい、つらいですね、困ったものだね、ともかく個人的な境界線を関東平野の端っこに置いていた。関東平野がどこからどこまでを指すのかよくわからないけれど、大雑把には東京なら高尾山を過ぎて小仏峠を越えるあたりですか。神奈川なら箱根ということにしよう。

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▲酒匂川のむこうに箱根。あれを越えたら関東平野を脱出できるのか。

これは根拠の曖昧な話なのですが、西日本のさして急峻ではないとはいえ山に囲まれて育った人間にとって関東平野は平らすぎるのです、広いのです。千葉県あたりに住んでいた頃はもともと香取海だったはずのあのだだっ広い平らな土地を見てじつに地の果てまで続いているような気がしていた。平野の向こうにぽつんと筑波山だけ小さく見えて、山はあまりにも遠く少ない。だからそう、関東平野から抜け出したかった。おことわりしておかねばならないのは、別に関東も千葉県も香取海沿岸のことも嫌いではないし良い土地に違いない、ただ観念的には抜け出さねばならないということです。複雑なのです。

ところが、いろいろやっているうちに次の疑問が出てくる。ひと山越えて例えば山梨あたりに行く。富士山の麓に行く。するとどうも関東から抜け出した気がしないことがある。慣れてしまってより強い刺激を求めるようになってしまったのか。いや、そうではなくて、もしかしたら関東平野と地質的にひとつながりになっている土地だからなのではないか。つまり、箱根を越えたとしてもフォッサマグナの凹みから抜け出せたわけではなく、関東平野的風景から逃れきれていない。ではどこまで行けば逃げ切れるのか。

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▲富士山はフォッサマグナの凹みの中に。

ここで、以前からなんとなく思っていたことがあるのです。東海道線を西へ下っていくと、安倍川を越えて薩埵峠をくぐったあたりで、ふっと急に風景に西日本の匂いがしてくる。西日本の匂いとは何かというのは適当な話なので訊かないでほしい。低い山がぐるりと囲んでいるのがそれっぽいのかもしれず、後付けで言うと、地質的にはここがフォッサマグナの西縁すなわち糸静線なのであるという、そのことです。ここを境にして東西の成り立ちが違う。ここから西は西日本も含めてひとまとまりになってる。

ただ、焼津というのは南が開けて平らで海につながっている。これはなんとなく相模っぽい感じもして、もうほとんど言いがかりなのだが関東平野っぽさから逃れきれていない。じゃあどうすればいいのか。もう少し西に行こう、掛川までいけば盆地だから山に囲まれている。大井川を渡り、遠江に入ろう。

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掛川城から。山にかこれまれている。

ここまで来るとなんだか落ち着いた気がします、あの山の向こうに東京があるとか横浜があるという感じはしない。おそらく山の向こうにはさらに山があり、熊かなんか住んでいるに違いない。海の匂いもしない。掛川の中心部から北西方向へ向かい原野谷川の橋を渡って堤防上を走っているときなどは、風景は熊本の菊池川沿いとか、近畿地方の小盆地を流れるもろもろの川にも似ている。ついに西日本的風景のある領域にやってきたのであり、窓を開けて入ってくる風にも仕事の匂いは混じっていないように感じられる。二日間しか逃避できないとはいえたいへんよろしい。コーヒーがおいしい。

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▲春林院古墳から原野谷川を見下ろす

この川沿いの低地を見下ろす台地の縁に春林院古墳があります。お寺の裏山で、墓地の中を通って墳丘へ登れるようになってる。墓地を通る前にお参りしておこうと思ってお寺に行ったら、お坊さんが出てきて「どうぞお入りください」と言って、縁のない土地なので遠慮するところはあるものの、上がってお参りした。11月のいかにも晩秋という感じの風が吹いて、川の堤防あたりで何かを燃やす煙が立っていて、勝手に西日本的と思うところの風景でもあり、のんびりしている。仕事は今でも糸静線の向こうでぐるぐると渦巻いているに違いないが、こちらはもはや安全地帯、背後の古墳のことなど考えているだけでよいのである。

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▲春林院古墳は円墳

 

かわいいあの子は摩利支天

秋が来たら白河関を越えようと思っていた。能因法師の有名な歌ですけれども、これがなんか、気になっていた。

都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関

山を越えて平野に下りてきて、色づいた黄色い田んぼの稲穂が揺れる、村があり家があり、古い関の跡地、何もない空き地に秋の匂いのする風が吹いている、みたいな風景が、行ったことはなくて適当に想像で作っただけなのだが繰り返し頭の中で流れては消えていく。今年の夏はグエェって唸るほど暑かったですからね、きっと意識的にか無意識的にか秋が恋しかったのであろう。

そして秋が来たので白河関に行こうとしていたのだが、理由もなく思うには、関を越えて陸奥へ行こうとするものが下毛野の古墳を未だ見ていないのはいけない。この思考に脈絡はなく、なんとなく猛暑でぐにゃぐにゃになっていた脳味噌がふわっと演算をしたところそうなったにすぎない。しかしながらまず下毛野の古墳を見ねばならないことになったので、当地の中心地にして最大級の古墳であるところの、小山のふたつの古墳にやってきたのである。

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琵琶塚古墳。墳丘に生えてる木が、生やしっぱなしでもないし、シンボル的に数本だけ残すわけでもなく、完全に切って往時を再現したのでもない。疎林。これは珍しい気がする。保存上または景観を考える上で何らかの理由があったのかもしれず、それならば資料館のおっちゃんに話を聞いておけばよかった。シルエットはなんとなく関東でよく見るような感じだなあと思ったのだけれど、形式学的に裏付けのある話ではないです。のっぺりした感じが6世紀っぽい。

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摩利支天塚古墳。こっちものっぺり系かと思ったけれど、前方部に登ってみたら思いの外くびれのところがキュッとしててシュッとしたシルエットです。ここに立って後円部の偉い人を崇めようという気分が高まる。鳥居が前方部にあって摩利支天の本堂が後円部にあるという配置も、いつの時代の人によるものかは分からないけども、良いのです、崇めたくなる。琵琶塚よりも古いらしく、5世紀築造とのことで、シュッとしたシルエットは古式が残っているためかもしれない。

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あと、関係ないけど墳丘の下にいた野良猫がかわいいヤツだったので勝手に写真のモデルにした。名前は知らないし教えてもくれないので仮に摩利支天キャットとします。

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琵琶塚の反対側です。二車線の県道のある台地上から見ると古墳を少し見下ろす感じになり、ということは古墳のある場所は付近の最高所ではない。古墳って高いところにあるイメージなのでちょっと変わってる感じはする。ただしもしかしたら珍しいことではないのかもしれず、適当に思っただけにすぎない。

最後にどうでもいい話ですがこの近辺にある甲塚古墳というのがラブホに接してるらしいですね。ラブホの窓から古墳が見えるのはとてもナイスな感じがするのでいずれ再訪しようと思います。

古墳がギュッ☆とクビれたら

宮崎は古墳が多い。なんでかは知らないけど、ともかく多いので、衛星写真をご覧ください。たいへんワクワクします。


▲西都原古墳群第2支群


▲西都原古墳群第1支群


▲持田古墳群


▲川南古墳群

(ヤバさに気づいてしまったあなたはもう終わりだ……古墳見物に行くしかない……)

古墳文化の中心地であるところの近畿から遠く離れているのになんでこんなに大きな古墳が多いのか理由がはっきりしないようなので、とりあえず当時の宮崎県民がやたらと古墳好きだったということにすればよいのではないかな(してよいのか?)。中央政権とのつながりで造らざるをえなかったとか言うと辛気臭いじゃないですか、そんなのより宮崎県民全員が上も下も古墳のことを考えない日はないレベルで熱狂して、趣味は古墳、寝ても覚めても古墳、みたいになってたほうが愉快な南国ピープルって感じで楽しい古墳時代になる。

そんなワクワク古墳ピープルの熱狂的建造物群を見物してきた。西都原の前方後円墳のすごくいいところは前方部が低くてクビレがはっきりしてるのが多いことです。というかそれがいいって気づいてしまったのです。以前から古墳はやっぱ前期型の前方部低いのが綺麗だよなあって感じはあったのだが、意識として形になってしまった。「これって……まさか……恋……!?」って気づいちゃったヒロインみたいな心境です。なので今回は初々しい前期型前方後円墳への恋の甘酸っぱさを表してみたいと思います。

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▲西都原古墳群109号墳

まず109号墳のサイドビューです。109号墳は4世紀末の築造、時期的には古墳時代前期なので前期型と言ってよいと思う。左が後円部で右が前方部。全体に傾斜が緩くてペタッとしている。特に後円部と前方部の間が低くなっていてクビレがはっきりしています。このクビレのところ登りたくなりませんか、なりませんよね、まあどっちでもいいんですケド。

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▲西都原古墳群265号墳

比較のためクビレがあんまりない古墳も見ておきますと、時代を下って265号墳、築造は6世紀、後期型です。全体が高くなって傾斜も急になって土盛りとしての存在感は増すけれどもクビレは目立たなくなって寸胴になりました。こうなるとここから登りたいとか、ここを握ってどうにかしてみたいという感情はちょっと弱くなります。あ、握ってどうにかしてみたいという感情、それですね、前期型はそれがあるのだ。猫の首輪のところをスベスベしたい感じにも似ている。なのでクビレのとこ太くなるとどっしりするのはいいけど困りますね。

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▲西都原古墳群100号墳

次は上に登ってみます。キリ番の100号墳です。前方後円墳は後円部がメインで後方部が儀式を行う場所、という説をとりあえず信じているので特段の用がなければ前方部からお邪魔しております。後円部の方向を見ると、なんかこんな生物がいたような気がしなくもない、平べったくてかわいいですね。視覚的にはクビレがあるために後円部の主役感が際立ちます。前方部の遠近感が強調されて、やや離れたところから観察しているような距離感もある。それが何かの目的あってのものなのか、あるいは意図などなかったのか、単に胸にキュッと来るから採用したのか。最後の理由なら現代人にもキュッと来させる効果はあるように思われる。

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▲話の飛躍。甲斐銚子塚古墳(山梨県)のクビレ

話は飛びますが、クビレのある美しさといえば山梨の甲斐銚子塚古墳はかなりのものです。大きいし、復元も美しい。サイドビューはクビレのむこうに八ヶ岳や茅ヶ岳の火山特有のなめらかな稜線が見えており古墳のなめらかなシルエットと相乗効果でまことによろしい感じがします。この景観設計はかなりのものと思う(勝手に思ってるだけだ)。ただし古代山梨県民は宮崎ほど古墳にラヴしてなかったので(たぶん)美しきクビレのある古墳は多くはない。余談ですが。

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▲甲斐銚子塚古墳のクビレサイドビューは八ヶ岳と茅ヶ岳が見える

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▲西都原古墳群46号墳

西都原に戻って46号墳。これは前期の終わり頃であり、次の世代への変化の兆しが見えるというようなことがなにかに書いてあった。たしかにサイドビューは少しモッタリしたシルエットでクビレのギュッとした感じが弱いようにも見えるのだが、

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前方部に登って見るとちゃんとギュッとしており安心感がある。むしろこの古墳はモッタリしていながらクビレがあり、美しさを損なう手前で踏みとどまりつつ重量感を見せるような効果が、狙ったか否かは知らないけれども、あるような気がする。

以上、甘酸っぱいクビレのラヴです。西都原古墳群にせよ、他にしても、宮崎は分布密度が高すぎてヤバくて、墳丘に登ると隣の前方後円墳の尻尾が見える。ほどよく首根っこを掴めそうな距離感。そう、そして、あなたがクビレを掴むとき、前方後円墳もまたあなたの心を掴んでいるのだ。

血尿記

こんな本を読んでおりました。大人になるとはどういうことか。むろん生物学的にはすでに大人だけれども、社会的に・精神的に・心構えとして、いかにあるべきか。

歳を取ってくるにつれて、最新のコンテンツを空気のように吸い込めなくなるのです。  (- 「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 年齢が上がっていくにつれて肉体は変わっていきます。これは生物として避けられない。あるいは無生物であっても経時劣化は避けられない。諸行無常は普遍である。
そして、それゆえに、血尿は出る。

あの日、血が降った日。それはまるで、まるで悪夢の景色のように、恐ろしい眺めだった。

超音波でもレントゲンでも原因は明らかならず、そしてついに、ついにアレです。内視鏡を入れる。

Q.あなたの内視鏡はどこから?
「私は喉から」
「私は鼻から」
「わたくしはNYOU☆DOUからであります。フフッ」

麻酔もしますし最近のは細いから痛くないんですよ~って泌尿器科のお医者様がにこやかに仰るのでわたくしも安心して頷きました。オリンパスとかも細くて痛くない内視鏡のCMやってた気がするしきっと最新のやつはすごいんだな~って感じです。

でも検査室行ったらなんか太いんです。いやもしかしたらこれでも従来よりはかなり細くなったとかかもしんないけど、でも主観的には太い。これNYOU☆DOUに入れるんですか。看護師さんがにこやかに答えてくれた。
「男性は尿道長いからちょっと痛いですけど大丈夫ですよ~」

そうですかーッ。痛いっすかーッ。お医者様ーッ。
アアーッ、アイタタタターッ。

検査の結果は腫瘍なども見つからず軽症でした。二度目はやりたくないです。
他に特筆すべきは検査後最初の放尿で、麻酔液(ジェル)が尿に押されてジュルジュルと出て参ります。気持ち悪くてこわい。

古墳関係ない気もしますが実は完全に無関係とも言えない。お医者様見解によると自転車による悪影響は無いだろうということだったのですが、不安なのでナイスなマイチャリのサドルをスリット入りのやつに替えてみた、ということで。

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具合を確認するため慣らし運転、狛江の前原塚古墳へ。小さめの円墳ですが全体像が見渡せて都内にあっては写真写りがいいです。

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狛江は古墳がたくさんあるようなのでまたあらためて来ようと思います。サドルは良好です。

さて、すべてまとめて、大人になるとは何であるか。尿道内視鏡を入れることとみつけたり。痛い。であれば大人になんかなりたくないし、美少女になりたい(?)。むろん、生物学的にはすでに大人であるので、概念の話ですよ。

古墳の同人誌を作っています

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古墳本です。
現代社会を歩いているとわりと唐突に出現する古代遺跡。ヘンな構造物なのに人間の生活に溶け込んでいる。やたら数が多い。という妙なおかしみにスポットを当てるのがコンセプト。ほとんど写真だけです(たぶんサボったわけではない)。申し訳程度にあまりうまくない解説文が付きます。そう、つまりこれ写真集ですね。コスプレ写真集の被写体が古墳になったと思って頂ければよいです。

中身をチラ見せ。

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こんな感じで全国26箇所の古墳の写真が並びます。全体としてふわっとしたイメージを感じてもらえたら目的は達成したようなものです。

という本を持ってCOMITIA124に出展予定です。
サークル名 古墳GRAPH
場所 ビッグサイト東5ホール X19b
本の予価は900円です。高いですね。でも1000円でワンコイン戻りますのでお得感ありますね。ないですか。という感じです。

(追記2018.04.24)

無事完成しました。

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オンデマンド印刷って思ったよりキレイですごいですね。オフセのほうがより良いとか、どうとか、いう話ですけれども。

あと当日飾る用のPOPも作ってみましたヨ。ファースト写真集♥

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大きなぼたもちの下で

ぼたもちを食いたい欲求が日に日に高まる。

我が家では年に一度はぼたもちを作る会が催され、ゆえに年に一度はぼたもちをたらふく食べていたために、大人になっても年に一度はぼたもちを食べたくなるのである。じつに教育の効果という感がある。

それで、今年もぼたもちを食います。しかしカロリー摂取量が気になるお年頃になってしまったので相応のカロリーを消費しつつ食わねばならない。それを念頭に、とりあえずナイスなチャリで出発。

まずはぼたもちをどこで買うかですが、大きな寺の門前なら餅屋か団子屋があるだろうと思われたので、ほどほどに良さそうな距離にある高幡不動へ行った。行ったらちゃんと名物のまんじゅう屋があり、おはぎの幟が出ている。

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余談なんですが、ぼたもちとおはぎの区別はあるのか。単に言葉の違いだけであるか、作り方も違っているのか。子供の頃食っていたのはぼたもちだけで、おはぎを食ったことがない。ネット情報ではどちらも同じもので「春はぼたもち、秋はおはぎ」と使い分けるべきだと言ってるサイトもあるけれど、ともかく我が家ではおはぎはなかったし、あるいは西日本の一部地域は、というくらいまで主語を大きくしてもよいかもしれない。言葉については、「おはぎ」ってなんか間接表現でお上品ぶって澄ましちゃってヤーネ、という、なんかそんな感じが子供心にはありました。ぼたもちに「お」を付けて「おぼた」とでも言えば西日本の匂いがしなくもないけれど、まあ、適当な話。

ともかくぼたもちでないと困るので、はんごろしのつぶあんのやつを買って、店としてはおはぎかもしれないけれど、ぼたもちと名付けることにする。

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▲今からおまえの名前はぼたもちだ。いいかい、ぼたもちだよ。わかったら返事をするんだ、ぼたもち。ぼたもち「はいっ」

つづいてぼたもちをどこで食うか、それについては目星がついていたので、ハケを登って府中を目指します。

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▲大きなぼたもち

熊野神社古墳。上円部の葺石が見事につぶあんを表現しており、下方部がぼたもちを置く皿に相当するという説が、ことによるとあるかもしれない。ないかもしれない。
ともかくここで包みを開く。

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大きなぼたもちの下でぼたもちを食った。おはぎがぼたもちとは違うものだったら困ったことになるのですが、ちゃんとおいしいぼたもちの味でしたよ。

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ごちそうさまでした。