石室に入って撮る写真

古墳の石室ってピラミッドや兵馬俑に比べると古くはないし小さいけれども、近くていつでも行けるし、ちゃんとした古代遺跡である。1500年前に造られた石組みの建造物に無料出入り自由で写真OKってヤバないっすか? って思うけどあんまりヤバさは伝わらないみたいです。

そういうわけなので、ヤバさを伝えるべく(というほどでもないけど)ちょっと過去に入った石室の写真をいくつか貼ってみようと思う。

  • 神原神社古墳(復元ではあるが竪穴式石室に入れるのはわりと珍しい)

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  • 岩屋山古墳(以下は横穴式である)

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  • 宝塔山古墳

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ところで、こういう写真を撮るときに問題があるんです。石室は狭くて内部全体を撮れないという。上の写真でも、本当は石室の空間はもっと背後にも広いんです。これが古墳の外観を撮る場合であればちょっと下がって広角レンズで撮るとか、それが無理ならパノラマ機能で撮ることで解決できるのだが、内側ではどうしようもない。

 

そこでどうするかというと、魚眼レンズがよいのではないかと。対角線画角180度。いきなり買うほどのお金と思い切りがないのでとりあえずアキバのパナソニックでFishEye 8mm/F3.5をレンタルして、向かったのは行田の八幡山古墳。石室が綺麗なので試し撮りにうってつけである。

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▲古墳の土盛がなくなって石室が全部見えている。

カメラの設定は別段難しいことはなく、小型三脚に載せてセルフタイマー10秒に設定して、シャッターボタンを押したら逃げる。手ブレの心配は無いので感度低めで絞りはほどよく絞ってよろしいです。今回は隙間から外光が入る石室だったので簡単だったけど、光の少ない石室ではフォーカスを合わせにくいだろうことと、入口から入ってきた外光のハイライトと内部のシャドーの明度差が大きすぎて「全体を写す」ことができないかもしれない点は要検証です。

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▲切石できれいに揃った壁面とデカい天井石がひとつの画面内に入る

勝手に思ってることですが、石室って偉い人があの世に行くために造ったものなので、たぶん中に入ったときに「あの世に行けるっぽい」って思える空間を設計してるはずなんです。装飾古墳なんかそれを突き詰めたって感じで、教会の内部とかと同じで中に居る人に何らかの気持ちを起こさせる、空間の芸術ですね。とするとやっぱり、部分を撮るとか図面を見るよりも、できるだけ画角の広いカメラでもって空間感を写したいなあと思うのです。

今回はなかなか上手くできたけど、いっそう広く写すためにリコーのTHETAを三脚に載せて石室に置いてリモートで石室外からシャッターを切る、というのを考えてます。が、360度カメラを石室以外で使う機会それほどなさそうだし、毎週石室に入るってわけでもないので買う決心がつかない。「空間感」ってことで言えば魚眼レンズ以上(ストリートビュー的に石室体験できる)なので魅力的なんですがどうしたものか。

築け!ゼンポーコーエンフン

終わってしまった……。

週に一回、仕事が終わった後の家に帰るまでが楽しかったのは久しぶりだった。第1期が終わった後に原作全部買って読んだし劇場版も見に行ったしサントラも買ったし今も聴いている。サントラといえば第2期は「だったん人」が劇中で最初に流れたときに良い選曲だなあと思ったものですが、単なるBGMじゃなくてその後の物語に影響してくるんですね、オーボエが。あとはみじょれたそ……ンフッ、いや、ンフフ、この話はやめにしておこう。ウフフ。

第1期の山場はいわゆる神回である第8話でしたが、あれも数ある青春アニメの中でこれほどキラッキラに美しく演出したものがあっただろうかと思います。「特別になりたい」もそうですけど、みんな強いのが良いんです。普通のアニメならここでデレるってところでデレなくてちゃんと踏みとどまる。だいたい、ふつうはみんなそうです、すっ転んで「エヘヘ」って笑って終わるような人ほとんどいないもんね。そして全員が全国大会を目指しているのにもかかわらず、完全に同じ方向を向いてはいなくて、一致団結しているのに個人が見えてくる。同じ年に放送してた真田丸を「登場人物がそれぞれの考えでバラバラに好き勝手な方向に動くのが面白い」というようなこと言ってた人がいたけれども、それと同じで、登場人物がおのおの考えて行きたい道を進む。その上で一致団結するのでその瞬間にサーッとカタルシスがあふれてきて感動しちゃうわけです。良かった。

そういうわけで、というわけでもないが、宇治へ行きまして、

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宇治橋の上。アニメの中ではこのシーンが出てくる度に水面がキラキラに夜景を反射して幻想的に描かれて、またあるときは橋の上で「上手くなりたい」と青春を叫ぶ。そしてまた、

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朝霧橋から見た大吉山。この山の上にある展望台で例の神回は繰り広げられたのである。ちなみにこの山の左奥に連なる小山には古墳があるらしい。

そうそう、古墳といえば、黄檗駅木幡駅の間くらいにある竹藪、と思わせておいて前方後円墳

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二子塚古墳です。後円部がほとんど削られてしまって前方部しか残っていなくてそれすら竹藪に覆われているので何が何だか分からないけれども、築造当時の姿に戻せば100メートル超級のデカい古墳。京阪の線路沿いにあるのでもしや劇中で車窓に映ったりしてるかもしれないけれども、放送が終わって録画もしていない今となっては確認できない。

そしてさらに、宇治から電車で30分ほど進んでおまけに徒歩30分、もはや宇治ですらないのだが、ここにかの有名な椿井大塚山古墳があるのです。行きたかったのはここです。

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▲まずは、後円部から

何がすごいのかは、そう、ブラウザの上にある検索窓に椿井大塚山古墳と入力してEnter押していただければよいのですが、端的に申しますと、

  • 全国に古墳が造られ始めた頃の初号機に近い形式
  • 全長175メートルのデカい前方後円墳
  • 大量の銅鏡が出てきた

という全国で一番偉い級の人のお墓兼記念碑であるにもかかわらず、

  • 古墳の上が住宅地になっている

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▲わかりにくいけど画面左端の山が後円部、真ん中から右が前方部。

のであり、おまけに、

  • ど真ん中をJRの線路がぶち抜いている。

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▲手前が後円部、奥の家が前方部。線路は後円部を切り通しで抜ける。  

前記の二子塚古墳もそうだが、ことによると王族級の、超高価な鏡を36枚も自分の墓の中に持っていってしまうくらい超偉くて金持ちの墓をいともたやすくぶっ壊してしまう近代文明のヤバさというか、実はすでに奈良時代の時点で同じレベルの古墳を半分消滅させていたりするので我らはそもそもそういうテキトーな民族なのかもしれない。とすると完全に一部残っているだけでもマシであろうか。

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▲線路ブチ抜き図。上の写真と見比べてみよう。

ただひとつ間違いないのは、全国を眺めてみても、毎日これほど多くの人が墳丘内を通過していく古墳は無いということです。全国でも稀有な「古墳の中を通過する感覚」を味わえます。

古墳サイドビューの新しい道具:Lumixのパノラマ機能

古墳は真横から見るのが良いのではないかという謎理論に基いて、綺麗にサイドビューを撮るべくいくつか試みてきたのであるが↓

最近買ったカメラのパノラマ機能が意外と使えることに半年ほど経ってようやく気づいたので書いておこうと思います。カメラについてはこれを。↓ 

これまでのところパノラマの合成は、あらかじめ何枚か連続する横方向の写真を撮っておいてPCで後から合成することにしていました。以前はImage Composite Editorというまあまあ使いやすいソフトがあったけど、最近公式サイトを見たところ使えなくなったっぽい(?)。Windows付属のフォトギャラリーでも合成できるけどほぼ単機能なのと、時々合成に失敗するのであんまり良くはなかった。

最近買ったGX8はパノラマ写真を撮る機能があって、カメラを流し撮りの要領で横に振りながら連写すると自動的に合成までやってくれる。これの何がいいかというと、

  • その場で結果を確認してリテイクしやすい
  • 付属のSILKYPIXで写真を弄れる
  • 合成のための操作が必要なくて面倒がない

文字にするとあんまりありがたさが感じられないけど、実際に使ってみるとちょっとありがたいです。

でもどういうわけか合成に失敗することが多くて、結局「使えない」ということになって封印していたのである……

であるが、先週古墳を撮ってるときに「どうせ上手くいかんけどなんとなく」使ってみたくなって、パノラマをやったら、十発九中くらいに上手くいったのです。全く謎である。

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▲チブサン古墳をGX8のパノラマ機能で

単に謎で終わらせるのもアレなので考察してみたところによると、どうも重要なのは二点ではないかと思う。

  • できるだけゆっくり動かす
  • できるだけ上下ブレをなくす

特に前者は、せっかちがイカンのです。ちまちま刻みつつ一歩一歩パノラマを合成する感じでゆっくりカメラを振るのがよろしい。後者は普通に手ブレのない写真を撮れる人なら問題ないと思う。

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▲虚空蔵塚古墳をGX8のパノラマ機能で

そういうわけで気づかないうちになかなか良い道具を手に入れられていたみたいです。最近のカメラは機能いっぱいあるからきっといろいろ試してみたらもっと便利機能あるのかもしれぬ。

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▲岩原古墳群の二子塚古墳をGX8のパノラマ機能で

田んぼにそそり立つ例のアレ

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アレとかソレとか言うのも何だし、有り体に言いますと、チンコの話をしようと思う。

チンコと言えば小学生男子の笑いのネタとしては鉄板で、ウンコと双璧である。とりあえずチンコって言っとけば小学生男子はゲラゲラ笑い転げるのだ。そう言えば小学生の時読んでたコロコロコミックの漫画なんかほとんどオチがチンコかウンコだった気もするし(というのは言い過ぎかもしれんけど)、当時の小学生男子としては学級王ヤマザキが毎月楽しみだった。

そんなことを考えてたら小学校の裏山で友達と遊んでたときのことが急に思い出されて懐かしくてちょっと涙ぐんでしまった。土の匂いとか、泥だらけのズボンとかさ。ミニ四駆を外に持ち出してオフロードでボロボロになったこととかあったっけ。もうあの山、道路工事で無くなっちまったんだよな、などと。こんな気持ちにさせられるのは全部チンコのせいだ。

ところで話は飛ぶのだが、チンコ好きということになると縄文人も中々好きだったらしい。上野の国立博物館には縄文時代の石棒がある。石棒とは石で作った巨大なアレである。いや、アレというのはチンコ。縄文人おっぱい星人であることは数々の土偶におっぱいが成形されていることからして明らかだが、チンコの巨大なやつまで作ってしまうとはかなりの小学生スピリッツの持ち主だったに違いないと思うものである。

ある書に曰く。

中でも長野県南佐久郡佐久穂町にある北沢の大石棒は全長が二メートル二三センチもあり、現在は水田の脇に立てられている。その様は見事と言う他ない。

つくられた縄文時代: 日本文化の原像を探る (新潮選書)

それで現地に行ってみたのが冒頭の写真であります。どうやら日本一のチンコであるらしく、看板にもそう書いてある。

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見事と言う他ない。

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全体的にデフォルメされたデザインであるものの妙な部分にリアルさを持たせてあり縄文のアーティストたちのこだわりが感じられる。

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と冗談みたいに書いてしまったのだが、前出の本によると石棒には摩滅痕とか叩き割った痕が見られるらしく、

「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」という一連の状態を擬似的に再現する

儀式的な意味合いがあったという話である。
土偶のおっぱいも縄文人おっぱい星人だから作ったのではなくて繁栄を象徴する儀式的な意味があったのではないかと言われている。

……しかし。
いつの時代も小学生男子はアホであったに違いない。たとえ縄文の昔だからと言って、彼らが大人しくチンコを祀る儀式を神妙な顔して見ていただろうか。
村一番の石棒職人が最高のチンコを作ったとして、きっと彼は村じゅうの小学生男子たちのヒーローである。
またあるいは残酷な小学生男子的感性によって翌日から彼の娘のあだ名はチン子かもしれない。
石棒の前でひざまずいて祈る長老を見ながら、思わず噴出すのを我慢できただろうか。

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最後に、古墳時代まで下っておこうと思います。国らしきものが日本にも出来始めた時代。
福岡県の岩戸山古墳から出土した石人の一部「男根のある裸形の石人(下半部)」。
小学生魂は時代を超えて受け継がれたっぽい。

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富山と福井:二つの円墳

古墳に行くというのは二通りあって、古墳見学メインで出かけるときもあれば他の用事のついでに行くこともある。ついでのときは周辺に古墳がないか当たりをつけておくこともあるし、適当に散歩してたら偶然見つけてしまったりもする。どっちにしても、古墳のある場所というのは観光地でない場合が多くて、地元の人の生活圏からも微妙にずれていたりして、観光客とも地元人とも違う経路をあちこち横断して歩くのでいろんな風景が見られてたいへんワクワクする散歩になります。
今回はそうして用事のついででたどり着いた二つの古墳。

地鉄寺田駅の駅員さんがたいへん親切な方で、乗り換え待ちが1時間以上もあるということを教えてくれた上に、駅前の道を右に行ってくださいと、近くのコンビニまでの道筋も教えてくれた。地方に行くとこうしてときどきたいへん親切な人に出会うので嬉しいのだけど、このときは近くに古墳があることを知っていたので、厚意に反するのを心苦しく思いながら駅前の道を左に曲がった。
富山の風景は独特で(というのはどこの県に行っても思ってる気がするし事実そうなんだけど)平野の真ん中に立つと必ず立山を背負ってる。それから、平野がそのまんま日本海に開いているので青空が広がるような時期は清々しいし冬は寒々しい。同じ日本海側でも若狭湾から山陰にかけてとはちょっと違う、ような気がする。

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徒歩15分くらいで田んぼの中の線路の向こうにいかにも古墳っぽい盛り上がりが見えてくる。止まれ見よの先にある古墳。近頃探している鉄道-古墳風景である。

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この古墳は周濠の跡が田んぼの形に残されていて、ちょうど稲刈りの直前の時期だったので手前の休耕田との色の違いでよく分かる。墳丘もちゃんと円形で残っているし、表面には葺石がコロコロ転がってます。富山県で葺石がある古墳はこの稚児塚古墳だけなんだそうで。そういえば富山県ってスゲエデカイ級の古墳が無いですよね。稚児塚古墳の主は説明看板にあるとおり「かなり有力な一族」であるのか、それとも中央になびいたイケ好かない大和かぶれだったのか。個人的には地方の首長は中央に頭を下げつつも野望を抱くイカしたオジさんであってほしい。しかし現代でもそうであるように、地方の偉い人というのはおおむね普通のオジさんなのであろうとも思う。

敦賀で暇だったので、駅前でナイスなチャリを借りて神社や港や砂浜を爆走していたのだが、それでも時間が余ったので気になっていた西福寺という寺に行ってみた。理由は単に古い寺だからということなんですけど、行ってみたら予想外にいいんです。静かな田舎の寺という感じで、寺というのは何よりも静かで穏やかなのが良い。本堂に座ったり、庭の隅で座ったりしたときに静かなのが良い。特に西福寺の庭は音が良いんです。庭に下りて水の流れる音を聞いてるだけでもいいけれど、庭を歩きまわってもいいということで歩いてみたら、場所ごとに音が移り変わっていく。京都の寺の有名な庭で同じような音の変化に驚いたことがあるけれど、それが敦賀の静かな古寺にもあるというのはまた違った趣でなお穏やかで良い。庭の良し悪しを言えるような知識は無いけど、良いと思った事実はある、ということです。

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▲西福寺の庭
ところで古墳はと言うと、寺に向かう道の途中にありました。神社があるのかと思って看板を見たら古墳と書いてある。階段を登ったら綺麗な墳丘があって石室もちゃんと開いている(開いているのがちゃんとと言えるのかどうかは知らない)。まったく予定外でもこんなふうに古墳を見つけてしまうこともあるんだなあ。

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どこにでもある量産型の古墳ではなくて、石室の奥に石棚があるのが珍しいらしい。お地蔵さんが祀られてて下からは支えが入っているので後付けの棚のように見えるけど、棚板は壁に埋め込まれてるので作り付けだ。お供え物を置く棚とはオシャレなものだなと思ったが、石室の石積みを補強するためのものだとか、棺を覆うためのものだという説も有力のようで(というか色んな用途があるのか?)古墳時代人の感性はやはり我らとは違うっぽい。

土器を抱えて運びたい

出光美術館の展覧会に行ってきました。

開館50周年記念 東洋・日本陶磁の至宝 ―豊麗なる美の競演(トップページへのリンク)

展覧会のテーマからは逸れるのだけど、途中に展示されてる弥生土器でウヒョーってなった。照明の当たり具合が絶妙なのか、理由はよく分からないけど、ウヒョーなのです。いきなり抱きつきたい。抱えて運びたい。どこへ運ぶかというと、きっと墳丘墓の上だ。抱えたら体に密着した時の収まりがすごく良さそうなのである。今まで弥生土器でそんなこと考えたこともなかったけど、なんでだろうなあ。やっぱり照明のせいだろうか。
(参照できそうな画像がネットにはないので似ているものとしてMOA美術館のページをリンクします。こんな感じ↓)(画像リンク切れのようです/2016.11.06)

www.moaart.or.jp

それでちょっと弥生土器の形を思い出しながら何の根拠もないことを考えていたんですが、弥生土器ってツルッとしてて抱えやすそうですね。いや実際抱えやすいに違いない。抱きついたらひんやりしててすべすべしてそう。そして当時の人はもちろんそれを運んだはずだから密着フィット感やすべすべ感を味わっていたのだ。ことによると、
「もっと運びたい……」
「運ぶのをやめられない……」
という依存症に陥っていたかも知れぬ。

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▲縄文土器はゴツゴツしててあきらかに抱きつきたくないが、

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▲弥生土器はツルッとしていて抱き心地が良さそう。(写真は東博の常設展示)

話はあさっての方向に飛ぶのだが、以前、労災の話を聞いた時にこんな事例が出てました。階段で転んで怪我をした事故の原因を探ってみたら、手すりが錆だらけで触りたくなかった……もしも綺麗に手入れされていたら咄嗟に掴んで転ぶことはなかったのではないか、と。誰もがすすんで災害防止の行動をしたくなるような対策が必要だというような教訓だったか。

壺に話を戻すと、誰もが抱えて運びたくなるような壺があったとしたら、墳丘墓に壺をずらっと設置するような工事もみんな喜んでやったかもしれない。のみならず、そもそも壺を運びたくてしかたないピープルが壺を運ぶ理由を作るために壺を使う儀式を生み出したかもしれないのである!(な・・・なんだって――!)

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▲運びたい……。

そんなわけで、こんどは東博に移動して、抱きつきださに注目して古代からの陶磁器を見てみることにした(今回の写真は全部東博の展示物です)。感想にとくに根拠とか裏付けはないです。

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▲縄文土器は基本的にゴツゴツしてトゲトゲしてるのであまり抱きつきたさがない。そもそも縄で紋様を付けた=縄のコピーであるので、これに抱きついて土器感を楽しむとすればそれは縄を楽しんでいるようなものである。

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▲でも晩期になるとツルッと感が出てきて抱きつき用土器の萌芽が見えます。

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弥生時代になるとさらにツルッとしてしかも程よい下膨れで、くびれ具合も柔らかく、小さい壺は両手でそっと、大きい壺は全身でしっかりと抱えて運びたくなる。

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古墳時代は須恵器になると抱きつくには硬くて冷ややかな印象だけれども、小型の土器はむしろ両手で包み込みたい欲求を掻き立てる。

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古墳といえば円筒埴輪。大型古墳には1万本以上も作られ且つ運ばれた土器なのでさぞ抱えたくなるはず……と思いたいのだが、これは……運びたくならない……。どうしたことだ。いや、考え方によってはこの横方向にぐるりと巡る出っ張りの間に腕が絶妙にフィットして得も言われぬ抱きつき感が得られるとかだ。

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▲埴輪の馬に関しては抱きつきたいし運びたい。

せっかくなので海外も行ってみよう。東洋館に揃ってます。

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▲抱えたいといえば真っ先に思い浮かんだのが西アジア展示室の潜水艦。キプロスの水差。こんなふうに浮いた状態で展示されてたら抱えたくなる。ラグビーボール的な。

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▲イランの彩文土器は真ん中の膨らんだところを下から両手で支えるように持つとおそらく程良い。

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▲高麗からは水注。これは把手付きだけれども、右手で把手を持ちつつ左手を丸いボディに添えて支えたい。朝鮮ものは全体に装飾を排したツルッと感やスベスベ感があって運びたい度が高いです。

数字の入った名前

数字の入った名前って、いいなと思ったの

大きな鳥にさらわれないよう川上弘美講談社

古墳時代が終わりに近づくと、それまでは大きな墓を造ることがなかった階層の人々も古墳に葬られるようになり、彼ら多数の墓は各地に古墳“群”として現代に残っている。小さくて、目立たず、学者によって個別のカッコいい名前が付けられている前代までの王墓とは違って、通し番号しかない。

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89号さん。
本当の名は何と言ったか。古墳の時代よりも少し後になるけれど、古代の木簡を調べると動物名をそのまま付けたような名前が結構あったらしい。鯨さんとか、犬麻呂さん。鯛さん。その他。

少なくとも彼には、大きな墓を造ってくれる家族か、部下か、仲間がいた。それが真心込めたものか、儀式上仕方なく嫌々やったのかは定かではないけれど。ともかく一緒に暮らす人がいた。

都に出仕した息子が年に一度は墓参りに帰ったりしただろうか。

などと。
ちょうど盆休みなのでそんなことを考えてた。