首の皮一枚を繋ぐ橋

 今回ご紹介する古墳はこれです。
 道路である。

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 もう少し具体的に言うと、あの歩道橋のある場所が古墳である。
 しかしそこは道路があるのみ、何もないように見える。古墳マニア、古墳が好きすぎてついに虚空をすら古墳として愛でるようになったのか。狂気にちがいない。

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 現地の看板を見ると一目瞭然なのだが、つまり古墳の真ん中を道路がブチ抜いてしまったために、かつて古墳だったところが虚空となっているわけです。歩道橋は古墳の前方部と後円部を首の皮一枚かろうじて繋いでいる。

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▲最初の写真の右側が現地看板の下側(つまり前方部)にあたり、まずはその角から上がってみることにします。

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 前方部から歩道橋へは少し階段を上がる。墳丘より高いところにあるから、この歩道橋は古墳の上面を残したわけではなく後から新設されたのだろう。古墳の上部を残して下だけ刳り貫いて保存してあるとかなら現代社会と古代の共存というたいへんワクワクする構造であるのですが、後付けならばそれほどでもない。道路工事のときにもうひと頑張りして道路を数メートル掘り込むだけで違ったんだけどなあと思う。ただ、古墳業界における面白物件のひとつであろうとは思う。

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▲歩道橋を渡っているときに道路を覗き込むと、あそこが古墳の断面にあたるのだとわかります。

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 渡りきって後円部を降りて眺めてみると、墳丘は結構大きく、周濠らしき窪みが墳丘を取り巻いている。大きな古墳が点在する馬見古墳群の中ではマアマアの大きさにすぎないかもしれないけれど、それにしてもマアマア偉い人の墓を真っ向からブチ抜く遠慮のなさは清々しくもある。

 この道路ができた経緯について調べたところ、1970年代のニュータウン開発で幹線道路を通す必要があったということらしい。それで古墳をぶっ壊したというのは、そんな映画がありましたね、平成埴輪合戦。しかし埴輪は微動だにしないので、ぽんぽこ音を立てたりしません。じつに動かないのです。

 

 その開発ブチ抜き工事には続く話があって、ブチ抜く前に発掘調査をしていたところ、裏手の林からブルドーザーの音が聞こえてきた。行ってみると別の古墳がものすごい勢いで削られており慌ててやめさせて保存したという、それが古墳業界では名の知れたナガレ山古墳であるらしい。

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▲削られてしまった側を復元して石葺きに、残っていた側を芝生張りにして保存してあるハイブリッド古墳です。(写真は石葺側)