京都の古墳は庭だった

古都ではあっても古墳的な意味では歴史の浅い京都は奈良みたいなデカい古墳が無くて、それゆえこれまでも近くを通ることはあってもわざわざ見に行ったりはしなかった。地味な古墳ばかりっぽいし。でもネットで調べたら結構ネタが上がってて、ときどき(と言っても年に1,2回くらいだけど)近くを通る人間としては行かんわけにはイカンという気分が日に日に高まる。なのでついに行ってみたんです。そしたら案外スゴかった。蛇塚古墳

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嵐電帷子ノ辻駅から住宅地の中を南へ歩いて10分くらい。いかにも京都の住宅地っぽい細い道の正面に現れたのは柵に囲まれた小山。さすが京都、こんな住宅地の中にも庭園が残っている。築山を盛り上げて巨石をのせ、木を植えて、おそらく仏教世界の中心である須弥山を表現しているのであろう。
というといかにもそれっぽい感じだけど、これが古墳だった。

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写真中央左の白い鉄骨が四角く組まれている部分が石室の入り口で、須弥山を表しているかに見えた石は全部石室の石材である。この中に偉い人のヒツギを入れてたわけですね。元々は石室の上には分厚く土が盛り付けられて、推定全長75メートルの人工的でピカピカの前方後円墳だったはずだけど、長い年月(1400年くらい?)が流れて土も流れ出し、ついでに開発やら何やらで削り取られて最終的に動かしようのない石室だけが残ったという。奈良県の有名な石舞台古墳と同じですね、あっちは政治的な意図で壊されたんじゃないかって話もあるようだけど。案内看板によると石室のサイズ的には石舞台に匹敵するとのことで、京都なんていう大観光地に埋もれていなければ史跡整備とかして注目されたかもしれない。でも京都なので、お庭になった。

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石室入り口から。

この古墳のナイスなポイントは、庭みたいに綺麗に手入れされてるってことと、もうひとつは周囲ぐるりとめぐる住宅地の道です。あまりにもデカい石室なので泥棒が来ようが開発の波が押し寄せようが構わず頑張り続けて、結局後の世の人間が折れて現代でもここだけ道がロータリー状になっている。なので、

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宅配便のトラックが超ギリギリの幅のカーブををギリギリの運転で通り抜けていったりする。千四百年前の古墳が現代人の生活に影響している。

それから、案内看板からのネタとして、元が前方後円墳だったということなので、その痕跡が衛星写真から眺められる。

ちょっと分かりにくいけども、古墳周辺の家の向きが周囲と違うのでなんとなく輪郭が見える。右上が後円部、左下が前方部。土地区画として残ってるってことは、京都が発展していくある段階までは墳丘かその残骸が残ってたってことです。輪郭よりも外側の土地が古くて、前方後円形の内部は墳丘が無くなって以後の土地。京都ならいろんな記録が残ってるだろうし、もしかすると文献を調べまくったら古墳の変遷を辿れたりするのかなあ。

最後は前方部側からの写真。

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