ゴールデンウイークは散歩日和。5月の晴れた日はどこへ行っても新緑と青空がきれいで景色が良く見えます。古墳を見るのもまた良い。若草が墳丘を鮮やかな緑色にして、それでいてまだ草ぼうぼうというほどには伸びていない。特に平野部にある古墳群はよろしい感じがします。
というわけで今回は埼玉県の縁、神川町の青柳古墳群へ行ってきました。このあたりは神流川の両岸に古墳群が濃密にあり、そのうちの右岸側です。八高線丹荘駅で降りてスタートです。
最初に行ったのは駅近くにある中央公民館。青柳古墳群の出土品が展示されています。
展示のメインは群中の諏訪ノ木古墳の出土品。古墳自体は消滅してしまっているようで残念ですけど、径14メートルという古墳のサイズのわりに円筒埴輪はデカいし、形象埴輪の形は整美です。小さい墳丘に埴輪がてんこ盛りになってたのだろうか。
その他の古墳から出土したものでは、刀の象嵌が良い仕事しています。柄頭も、鍔も、刀身にも、いかにも古墳時代らしい模様が彫り込まれている。柄頭の象嵌は六角形が連続していて、その内部には鳳凰と花弁がある(説明板による)。今まで象嵌ってあまりよく見ていなかったのですが、じっくり見ると興味深いですね。この模様はここだけのものではなく、三重県の前山1号墳に類似の優品があるようです。
ここから南西へ向かって歩いて古墳群を巡りました。青柳古墳群は一定のまとまりごとに支群に分かれていて、北塚原、南塚原、二の宮、十二ヶ谷戸、海老ヶ久保、城戸野支群を順に見ていく経路をとりました。一応それっぽい塚状の盛り上がりを写真に撮ってみたけれど、本当に古墳かどうか確認する手段はない。整備はされていないし看板などもないので。とはいえたぶん古墳だとは思う。
六世紀頃から古墳を造り始めた神川町民はいかなる人々だったか。『神川町誌』によると、
この頃(引用者注:六世紀)鉄製農具の普及と開発技術の飛躍的な進歩を背景として主に神流川右岸の第一段丘下が開発されたと思われる。
第一段丘というのが古墳群のある段丘。それより一段下の神流川沿いの低地を開発し始めた人々。新天地を求めてやってきた開拓民だったみたいです。
その段階では古墳のある段丘上は未開発の原野だったわけですが、今や近代的な水路が整備されて畑作地帯になっています。ちょうど麦の花が咲いているところでした。
〔参考文献〕