八戸、末期古墳

八戸に行ってきました。行く前はもっと田舎だと思っていたのだけれど、思いのほか都市です。さすが県内第2の市です。丘に登ると向かいの丘にも家がいっぱい並んでるのが見える。

▲グレットタワーみなとから見る八戸

どうでもいいかもしれないけれど、八戸についての雑感を並べます。

  • 料理の味付けは濃いめ。
  • 魚がおいしい。
  • お酒もおいしい。
  • しかし飲み屋のお酒は高め。
  • 八食センターは楽しいしおいしい。

せっかく来たので(というかむしろ以前から来たかったのだ)、このあたりの古墳を見に行った。北東北は古墳時代的には辺境です。稲作はせず狩猟・漁労・採集がメインの続縄文文化であり、古墳を造らなかった。なんで古墳を造らなかったのに古墳があるのかというと、古墳時代がほぼ終わりかけの7世紀頃になってから稲作をするようになり、古墳も造るようになったらしいという、ややこしい話なのである。古墳時代が終わってから平安時代頃まで造り続けられたこの非古墳時代的古墳は末期古墳とよばれる。

▲阿光坊古墳群

阿光坊古墳群。八戸の少し北、おいらせ町にあります。杉林を切り開いて整備したらしい静かな風景になんとなく東北っぽさがある以外は、見た目には普通の群集墳。

▲阿光坊古墳群のうち、十三森(2)遺跡J10号墳。

近くの阿光坊古墳館に展示されている出土品も、土師器、須恵器、馬具、刀、勾玉etc…古墳時代の出土品セットという感じがする。土師器がなんか細長いのと、蕨手刀が多いあたりに独自色がある。

▲阿光坊古墳群出土、須恵器。

▲阿光坊古墳群出土、土師器。

▲阿光坊古墳群出土、蕨手刀。

同時期の古墳としては、八戸市内に丹後平古墳群があり、行ってみたけれど整備中で立入禁止とのこと。八戸市博物館に出土品があるので見てきました。

▲丹後平古墳群、敷地外から。

▲丹後平古墳群出土、柄頭。

▲丹後平古墳群出土、アクセサリー。

新羅製の豪華な柄頭や、たくさんの勾玉。阿光坊よりも派手な感じですね。

ところで狩猟採集をしていた人たちが古墳を造り始める経緯・理由というのは何なんでしょう。稲作を始めるのはなんかわかる。ご飯おいしいし、米の酒もおいしい。魚のおいしい八戸の民なら稲作をしたくなるのは自然です(たぶん)。ご飯を食べる食器であるところの土師器を導入するのもわかる。でも古墳はなくても全然平気。まして北東北人から見れば自分たちを「蝦夷」として差別してくるような連中の文化であるわけで、抵抗感はなかっただろうか。

明治時代の日本が見下されつつも西欧化を進めたような感じかもしれないし、あるいは葛藤などなく稲作に付随するパッケージ(お祭りセット)として紹介されたものをそのまま受け取っただけかもしれない。古墳を造ること自体がすごく楽しかったとか。古墳時代の古墳造営の熱狂ぶりを考えると、その余熱が少しばかり遅れて届いて北東北をちょっと温めた、ということもあるのかもしれない。

 

〔参考文献〕
吉村武彦・川尻秋生松木武彦(編)(2023)『シリーズ 地域の古代日本 陸奥と渡島』KADOKAWA