東田子の浦駅周辺のふたつの古墳と浮島ヶ原について

東海道本線の静岡県内区間といえば各駅停車で東西へ通過する向きにはある種の難所として有名(↓)

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だが、古墳趣味者にとっては必ずしも面白みがないわけではない。

というのも東田子の浦駅の東側に古墳がふたつ並んでいる。単に並んでいるだけなら珍しくもないけれど、どちらの古墳も線路に隣接……というか線路のせいで削られていると言ったほうが正しい、何か恨みでもあったのだろうかと思うような雑な扱いであるが……ともかく古墳がふたつある。

線路に接して古墳があるということは、古墳と鉄道を並べて写真を撮れるのではないかと期待できるのである。そういうわけで、写真を撮りに行ってきた。

 

  • 庚申塚古墳

双方中方墳(解説看板による)という全国的にも珍しい形の古墳である。ただし現状では四角っぽさがかなり薄れてただの砂山みたいになってる。
庚申塚古墳は南端が削られて線路が通っている。古墳西側の道路が線路に突き当たった部分から撮ると、電柱が邪魔だけどひとまず古墳と電車がひとつの画面に収まった。ついでに愛鷹山も含めてパノラマに。

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地質時代的地形である愛鷹山古墳時代的建築である庚申塚古墳と現代的車両である211系の、10万年越しのコラボだ。

 

  • 山の神古墳

前方後円墳(解説看板による)だけど庚申塚古墳と同じく、上に登ってみても形がはっきりとはわからない。現在の参道は踏切の脇から線路沿いに細い通路があるだけだが、線路を挟んだ南側に鳥居があってそちらが本来の参道っぽい。鳥居と神社の間の線路には踏切がなくて完全に孤立している。鳥居の側から撮るとこうなった。

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▲鳥居のある南側から線路を挟んで古墳を撮る。背後は愛鷹山。電車は313系

 

  • 浮島ヶ原へ

というわけで線路沿い古墳で写真を撮るという目的は果たしたのだが、あまりにも駅近お手軽で時間を持て余したのでもう少し深入りしてみようと思う。というのも、こんな写真を見つけたことによる。

幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース-[レコードの表示]

富士山が見える沼。今では無くなっているけれども、今の東海道本線で言えば沼津から吉原あたりにかけての広い低地が浮島ヶ原という沼地だったそうである。そういえば岳南鉄道の駅名も内陸なのに須津とか江尾とか、水辺っぽいのがあるなあ。

内海とか潟湖という、かつて海だったのが取り残されて湖になったような地形は、昔は全国あちこちにあったそうである。そしてそういう湖の岸辺には古墳がある。交易船を停泊させるのに都合が良かったという話もあるし、魚介類がたくさん採れて生活しやすかったのかもしれぬ。今では干拓されて田んぼになって、我々の食べてるご飯の何パーセントかは干拓地由来なのだが、しかし現代に沼が残ってたら富士山のビュースポットになったかもと思うとちょっと惜しい。

上記ふたつの古墳が位置するのは沼地の南側、海と沼を隔てる砂丘の上。実際に歩いてみると古墳の北側(沼側)へ向かって緩やかな下りになっていて、古墳はおそらく岸辺のちょっと高いところから沼を見下ろすような立地になっている。南側はもう少し高くて、旧東海道の道路は一番高いところにある。

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▲古墳近辺から北側を見ると徐々に下っているのがおかわりいただけるだろうか

古墳時代東海道がどこにあったのか記録があるわけでもないけれど、現在と同じく沼地の南側だったらしい。その後平安時代の海面変動で海に近い場所が水没して、一時的に沼の北側(愛鷹山との間)に移動していたとのこと。北側ルートは、そちらはそちらで浅間古墳などあって、古代からある程度栄えてたようだ。

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▲現代の浮島ヶ原周辺(吉原駅付近)

 

浮島ヶ原と東海道に関しては以下の本に記載がありました。

中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景 (中公新書)

事典 日本古代の道と駅

日本古代道路事典

また平安時代の海面変動(平安海進)について

古代日本の気候と人びと