掩体壕:なんとなく古墳っぽい物件

千葉県とか茨城県ってチバラギって馬鹿にされるくらいなので田舎だし特別にこれといって名物もないし遺跡とか城とかもあんまりない。でも昔は霞ヶ浦が今よりも相当広くて利根川のかなり上流まで浅海だったとか、そこらへんは歴史とか地形好きなら最高にワクワクします。

それで霞ヶ浦からはちょっと外れるけれども、似たような例で千葉県に椿海という浅海が昔あって、砂の堆積とか干拓で今は広大な田んぼになっているのだが、かつては海岸線だったのであろうなあと思われる地形が航空写真で見えるので面白い。そのあたりを衛星写真をグリグリ動かしていたらなんか面白物件っぽい場所を見つけてしまった。

見るからに滑走路。でもこんなところに空港があるって聞いたこと無いし(近くに成田空港があるし)何かなあと思って調べたら、旧海軍の香取航空基地とのこと。

香取航空基地 - Wikipedia

当時の滑走路がほとんどそのまま残ってて今は車のブレーキ作ってる日清紡のテストコースになってる。あとWikipediaによると掩体壕が現存しているらしい。掩体壕とは飛行機を爆撃から守るためのシェルターで、かまぼこ型でコンクリート製。なんでか分からないけど急にそれを見たくなって出かけた。

 

掩体壕や飛行場とは関係ないけど、歩いてみるとこのあたり一帯は地面が砂地なのである。はるか昔は海だったんだなあってのが感じられてたいへんうれしい。反面、あぜ道にうっかり足を突っ込むとめりこんで靴に砂が入るので注意しないといけない。

 

さてまず一基目です。飛行場の東側の農家に隣接している。隣接というか敷地内というか。畑の一角みたいな場所なので近づいていいかどうか迷いつつ、しかし案内看板が出てるのですぐそばまで行ってみた。下はやはり砂地である。

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古墳めぐりで培ったパノラマ技術が生かされた写真)

戦時中に造られたコンクリートってもっとボロボロなのかと思ったけど未だに残ってるってことは結構頑丈なのだなあ。端のあたりはちょっと壊れて鉄筋が見えてたりもするけど、掩体壕そのものは当分崩壊するとは思えない。

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(内部はたぶん隣の農家の物置になってる)

 

続いて飛行場の反対側、西のほうには田んぼの真ん中に二基残存していた。

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期せずして古墳っぽい物件に出会ってしまった。田んぼの真ん中に丸っとした盛り上がりが並んでたら「うおお野良円墳だ!」って感じでエキサイトしちゃうじゃないですか。というかこんな完璧な残り方は古墳ではめったに見ない。だって四角い田んぼの真ん中に丸い遺跡を残すって邪魔だし。田んぼの持ち主か市役所の偉い人かは知らないけど、大切に残そうと思った人がいるわけですね、掩体壕

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(ただし周囲は完全に田植えされててアクセス手段がない)

 

なんか古墳めぐりっぽく書いてしまったのだけれど、実際にはこの飛行場から飛んでいって戦場で死んだ人も数知れず、近くの慰霊碑の前に立って物哀しい感じになっていた。遺跡ってのもいろいろである。

建設予定地の真ん中に

あるときTwitterのタイムラインをぼんやり見てたらこんなニュースが流れてきた。

静岡・辻畑古墳は東日本最古級 土器などの分析で判明 - 47NEWS(よんななニュース)

 

古墳時代の最初期に造られた古くてデカい古墳が沼津にあるらしい。というと別にどうってことはないような感じもするけど、卑弥呼とかと張り合えるレベルのエラい人が沼津にいたということで、今でこそ普通の地方都市だけど、沼津すごいなあと思ったのです。それでちょっと様子を見に行ってみた。

いにしえのピープルは山に対して信仰心を持っていたのではないかという話があります。デカ古墳が立ち並ぶ奈良県の東側なんかそうですね、三輪山の神様を崇めていたらしい。でもその理屈で行けば日本一の富士山の周辺なんかメッカみたいになって巡礼でごった返して大騒ぎになっていたにちがいないのに、案外そういう遺跡がない。富士山埴輪を作って売ってた土産物屋の跡とか見つかったら面白いけど無い。不思議なことです。

あとそれに関連するのだけれど、沼津って富士山の手前にちょうど愛鷹山が重なって、肝心の富士山が見えないんですね。もうちょい西の富士市に入ればすごく綺麗に見えるんだけど。なので富士山を崇めるためにここに古墳を造るってちょっと違う感じがするし、沼津に古くてデカい古墳があるって聞いたとき、なんで沼津なんだろうって思ったのだ。

沼津駅からバスに乗って10分くらい。江原公園バス停で降りて歩道橋を渡った先に古墳があります。その歩道橋の上に立って愛鷹山を見ると、なんか予想とは違う風景だった。

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愛鷹山の上に富士山の頂上が乗っている。

沼津って富士山が見えないわけじゃなかったのだ。知らなかった。この風景ならちょっと崇めてみようって思うかも。あるいは信仰ではなくても、いい眺めだから村を作ろうとか古墳を造ろうとかは思ってもおかしくない。水も綺麗だし。なんで沼津、の答えはそう難しくなかったのだ。

 

歩道橋を下りて五十メートルほどで古墳があります。道路が二股にわかれた部分にあって、道路工事の途中で見つかったということで、ハゲ山になっております。

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前方部から後方部を見ると、軸線上ではないけれど富士山on愛鷹山が見えます。(写真左上・木に隠れてるけど)建物の無かった時代なら結構視覚効果が大きかった可能性はある。

 

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後方部周囲には周濠っぽい窪みがある。

 

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西側は道路によって結構抉られている。

 

ニュースでも触れられているのだけど、道路工事の最中に見つかった古墳なので、今後どうするかが問題になっているようです。小さい古墳なら発掘して記録を作ってから潰しちゃうってのもよくあるのだが、この古墳は結構デカい上に箸墓古墳なみに古くって、そう簡単に潰すわけにもいかない。歴史的価値ってのもあるし観光資源になるかもしれない。あと、もったいない。お墓潰すのもヤだし。でも道は通さないとみんな困る。

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二股にわかれた道路、どうやら地元の抜け道になっているらしく、細いわりに交通量が多いです。なんか地図を見ると道路が開通すると沼津市街地から東名高速方面へつながって便利になるっぽい? 交通量多くて危ないらしく、この日は二股のところに警察官が立って見張ってた。写真の奥が古墳

 

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古墳のすぐ北側まで広い道路が大方完成した状態で待ってます。あとは古墳の百メートルほどの区間さえどうにかなれば……というところ。これ見ると、やっかいな場所にあります、古墳。困ったことに周囲は住宅地で、迂回路の用地は無い。さあどうするか。以下は沼津駅前で海鮮丼を食いながら考えてたあれこれ。海鮮丼はウマかったです。

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中央分離帯に構造物があると興奮する系統のマニアにとってはたいへんワクワクします。

 

  • 古墳アンダーザブリッジ方式

 

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赤面山古墳と同じ方式で上を陸橋でまたいでしまう。古墳の王様からは富士山が見えねえって怒られそう。

hamajiu.hateblo.jp

 

  • 道路インザコフン方式

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古墳のガワだけ残して内部をトンネルにする、見た目さえ残ればいいという暴挙。だけど古墳の内部に現代的構造物があると興奮する系統のマニアにとってはたいへんワクワクします。類似例ってわけでもないけど埼玉の将軍塚古墳なんか内部がコンクリで刳り抜かれててめっちゃワクワクしました。

 

  • 移築

世の中にはわざわざ移築した古墳というのもあるそうな。考古学的な価値は無くなっちゃうので潰すのとあまり変わらない気はするけど、何しろお墓なので単に潰すよりは移築したほうが怒られない。ついでに往時の姿に復元して賑々しく飾り立てればいいんじゃない。

 

そういえば古墳の近くの国道沿いに白湯麺屋さんがあって、食べようと思ってたのに忘れてた。

イビツなヤツら

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郡山にある大安場古墳に行ってきた。この古墳の特徴は前方後方墳ということで、これが全国的にはそれほど多くはないタイプなので有り体に言えばレア度が高い。

ところで、前方後方墳とはナンゾやと言うと、真上から見ると四角形ふたつを組み合わせた形をしてる古墳である。古墳界のファッションリーダーであるところの関西では円形+四角形=前方後円墳が圧倒的メジャーなのに、東海や東北にはポツポツと四角形+四角形=前方後方墳があって、中央政権に対する反抗精神を墓の形に込めたとかいう話である。でも単にひねくれ者の王様が作ったのかもしれないし、何も考えずに適当にそれっぽく仕上げただけかもしれない。ちょっとした形の好みとか。

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大安場古墳が普通じゃないのはもうひとつあって、古墳の軸線がぐにゃっと曲がってることである。つまり前方部と後方部の角度がぴったりと合っていない。この古墳は元々あった山を削り出して整形して造られているのだが、その元々の地山がちょっとグニャッとしてたのでそのまま古墳もグニャッとしてしまったらしい。超いい加減である。実はこれまでに見たことのある古墳で同じようなのが他にもあって、長野県の森将軍塚古墳というのは細い尾根の先っちょを無理に削って造ったのでやっぱり同じようにグニャッとしている。森将軍塚古墳のほうは前方後円墳なのだが、後円部を造るのに十分な幅が無かったせいで綺麗な円形を造ることすら放棄してたりする。もっといい加減である。

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(グニャッとしている模式図。1枚目の写真でも軸がずれてるのが分かる)

じゃあこの墓を造った王様や家来衆は超いい加減なピープルだったのかというとそうでもなくて(という勝手な想像だけど)形よりも優先すべき理由があったにちがいない。というのも、大安場も森将軍塚も、下の平野よりも結構高い位置にあるので登ると眺めがすごく良い。どちらも平野の向こうに雪山が見えるのが共通で、墳丘上から遠くを見た時に同じ感じがしたので驚いちゃった。きっとオジサンたち、この尾根の上に立って、「たいへん良い眺めなのでワシの墓はここに作ろう」って思ったのである。
ところが部下は慌てて反対する。「こんな場所に造ったら整形するのめっちゃ大変っすよ、やめましょう」
でも王様は諦めない。「形はそれっぽくデカいの作っとけばいいじゃん、とにかくここで」
というわけでグニャッとした古墳ができちゃった(かどうかは知らんけど)。
でもまあ結果としてちゃんと眺めのいい場所に墓ができて、後世まで残って、いまだに「デカい」「高い」って人を驚かせてるので王様もご満悦であろう。

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(大安場古墳から西側の眺め。空気が澄んでいれば山並みが見えるらしい) 

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 (森将軍塚古墳からの眺め。きっと日本一眺めのいい古墳

 

さて古墳サイドビューのパノラマです。今回の大安場古墳では「前方後方墳と前方後円墳は真横から見たら同じに見えるのではないか?」という疑惑を調べてみた。
だが残念ながら1枚目の時点でもはや明らかに円ではないっぽいことが分かる。2枚目、右斜め前45度くらいなら前方後円墳ですって言われてもあんまりわからないかも。要は「エラ」の部分が目立たないように撮れば差がわからなくなるってことである。3枚目、パノラマではないけど前方部の前部分から眺めるとエラが強調されてピラミッドが並んでるみたいな人工的景観がカッコいい。こうなると明らかに違いが分かる。

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(1.ほぼ真横から)

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(2.斜め後ろから)

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(3.ダブルピラミッド構造)
なので、古墳の上に登ることなんて滅多になかったであろう古墳時代ピープルもちゃんと形の違いを認識していただろうし、形は結構重要な要素になりえたと思うのだ。

ニュータウン式古墳群

 せっかく千葉県民であることだしちょっとくらいは近場の古墳も見てみるべえと思い立ち、成田の西の方をぶらぶら歩いてみた。実は成田の古墳を歩くのは初めてである。

 成田駅から西へまっすぐ30分ほど歩くと右手に赤坂公園があって、その中に船塚古墳がデデンと据わっています。まさに据わっている。デカい土の塊。前方後方墳と書いてあるけれどどこが前でどこが後か分かんない。どっちも同じに見える。段のある人工的な土盛と、周囲に周濠らしき窪みがぐるり二重に廻っているのは確かに古墳っぽいのだけど、くびれていなくて寸胴でどちらかというとというかそのまんま長方形ではないか、これデカい方墳っぽい。でもそうじゃないらしい。古墳の道は奥が深い。f:id:hamajiu:20150222224531j:plain

(船塚古墳の南西側からパノラマ。ただのデカい土盛に見える)

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(段がある古墳っぽさ)

 

 公園の一部ゆえ立ち入り自由で、近くでは子供がサッカーボールを古墳に向かって蹴っている。実に自由でよろしいな。奈良の古墳でそんなことしたら宮内庁のコワいおじさんが飛んでくるに違いない。家族連れが何組か墳丘の裾のあたりで走り回ってたりして、いかにもニュータウンの中って感じです。
 近くには木が何本も生えてる円墳があった。

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(円墳)

 

 そこからちょっと南へ行くとイオンがあって、赤坂公園のあたりとはまた別の一群である瓢塚古墳群というのがあります。むしろこっちのほうがニュータウン古墳群の真骨頂であって、まず最初に見つけた7号墳からして素晴らしかった。これまで知ってる限りで最もイオンに近い古墳。というかイオンの敷地内にある。

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(イオン古墳

 

 さらに裏手には公園の歩道が2つの古墳の間を縫っていてこれまた完全に古墳ニュータウンに取り込まれてオシャレ空間になっている。全然墓って感じがしない。いや、むしろ古墳造ったおじさんたちというのはデカく派手に造って自分の偉いところを人に見せたかったはずなので、「薄汚くて気持ち悪い」よりも「キレイでシャレオツ」のほうが本来の目的を達成できてるはずなのです。このへんの都市設計した人すごいなあと思う。

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(シャレオツニュータウン古墳群。パノラマ合成失敗してビルが歪んでいる)

 

 さらにさらに進んでいくと古墳群のネームシップ(というのかどうか知らないけど)瓢塚古墳があり、ここでは子どもたちが元気に後円部から滑り降りてキャッキャしてた。何基かの古墳が公園内に囲われていて、公園の築山のようになってます。
 小さな前方後円墳だけど丸っこい形がたいへんかわいらしいです。あとてっぺんに木が生えてる円墳とか。古墳として見るとヘンなんだけど公園なら普通っぽい。むしろ取り込んでしまうことでニュータウンと調和して街の一部になっててすごく良いです。なのでこの嬉しい感じを込めてニュータウン古墳群と言うことにしてみた。開発で文化財消滅とかめっちゃ悲しいので全国各地この方向でもっとたくさん保存してくれるといいなあと思う。

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(公園内の古墳。右が瓢塚古墳の後円部で、上でお子さんが遊んでらっしゃる)

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(瓢塚古墳のパノラマ。丸くてかわゆい。右が前方部)

 

 今度は北へ向かい、団地が立ち並んでるあたりの細い道へ入ってみると、こっちは小さい古墳がぽこぽこと乱立してる場所です。が、なんか小さすぎじゃね? ってのもいくつかあって、これ古墳じゃないんじゃないかって気もしてきた。年初に大阪の風土記の丘で見た小さな古墳はある程度土盛りが削れると石室が露出してたんですが、ここにある小さいやつらは全然そんな気配がない。何かもっと別の塚も混じってるかも。あと、小学校の敷地内にも古墳があって、フェンス越しに眺めてたので不審人物として事案上がってたらそれは私かもしれない。小学校に古墳があるってのもニュータウン式ですな。

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(やけに小さい。木が生えてて盆栽っぽい。盆栽式古墳と呼ぼうかしら)

 

 さらにちょっと歩くと天王塚古墳があって、ここだけはニュータウン式ではなくて、てっぺんに神社のある森のなかの古墳。「そうそうこれぞ古墳」て感じの正統派だ。ニュータウン式を見続けた後だったのでみょうに安心してしまった。

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(天王塚古墳は森のなか)

古墳サイドビュー、古墳パノラマ、あるいは古墳photosphere

古墳のパノラマ写真。上手くいったような、ダメだったような、モヤモヤした感じだ。もうちょっと工夫したら変わるかも?

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なぜ古墳のパノラマ写真をやってみようと思ったかというと、何か色々あったんだけども、スタートは本です。

古墳とはなにか  認知考古学からみる古代 (角川選書)

古墳とはなにか 認知考古学からみる古代 (角川選書)

 

 前方後円墳の形について、前方部と後円部とその間のくびれ部の高さに注目した考察がたいへんおもしろくて、(それがこの業界の通説なのかどうかは知らないけど)古墳の見方がちょっと変わったのです。以下引用しながら紹介します。

 

まず古墳の変遷について、年代に沿って並べるとこうなるという。


箸墓:最初期の古墳。後円部からスロープが下りて、前方部へと上がる。
西殿塚:箸墓よりちょい後。前方部が上がらない。代わりに壇がのる。
柳本行燈山:四世紀初頭。後方部は壇すら無くなって平ら。
渋谷向山:さらにちょい後。後円部から下りるスロープが無くなってまっ平ら。
五社神(神功陵):四世紀中頃。スロープ復活。ただしあんまり下りない。
仲津山:五世紀初め。これ以降の基本形。スロープが高い位置になる。

 

この変遷を勝手に模式図にしてみた。たぶんこれで合ってると思うけど違うかも。違ったらごめんなさい。

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それで、こういう事実を踏まえた上で、箸墓については

高くさし上げた主の遺骸のありかと、それを背にして周囲を睥睨する前方部端とを往来するスロープ通路をショーアップする

そして、よくわからんうちにスロープ無くしちゃったけど、スロープ復活以降については、

その形の本質は、箸墓で考えだされたスロープ通路を天空高く浮上させていくことだった。この「天空のスロープ」こそ、機内の大形の前方後円墳の主が超自然的存在にまつり上げられていくときの、もっとも中心的なコンセプトだったと推測できる

ということで、このスロープの形状が前方後円墳の形を考えるときにとても重要なのではないかということですね。

 

そういうのを読んではいたんだけど、当初は全然気にしてなかった。が、あるときなんとなく撮った写真を見てて思いついた。

 

もしやサイドビューってめっちゃそれっぽい。

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(黒塚古墳奈良県

 

そのとき頭の中に浮かんだことがいくつかあって、箇条書きにすると。

  • スロープが重要だとすると真横から見るのが一番わかり易い。
  • 古墳時代のピープルもみんな上からじゃなくて横から見てたんだからこれが一番普通な鑑賞方法かも。
  • 上から見た平面の四角とか丸の違いって古墳を作った目的とはあんま関係ないかも。横から見たら前方後方も前方後円も同じだ。(これについては上の本でも書かれていて、平面形は政治的意図よりも「地域独自のアイデンティティや伝統」とのことです)

それで、さっそく大阪の古市まで行ってサイドビューを撮ってみたのだが、古墳てデカい上に遠くから撮れない(大阪の古墳は近くに住宅地とかがある)ので、写真一枚には全く収まらないのである。困った。

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(古室山古墳大阪府

 

そこに登場するのがパノラマというわけです。フィルムカメラの時代にあった上下を狭めただけのなんちゃってパノラマと違って複数枚合成したやつ。かなり綺麗に繋がるっぽいしかっこいい。これやってみたい。というわけで、こんどは宮城県に行ったついでに雷神山古墳でパノラマやってみた。ただし、一眼と三脚持って行けない用事だったのでスマホタブレットで撮影してカメラアプリの合成機能使いました。あとストリートビューみたいな360度回せるphotosphereってのが近未来的でカッコ良い機能だったのでそれもやってみた。

 

まずこのページの一番上に載っけたやつがvivo tab note8とwindows8のカメラアプリで撮ったやつ。この組み合わせだとホワイトバランスがやけにブルーに寄るので困る。解像度も低い。(設定しだいでどうにかなるかも?)

それから、HTC J Oneとgoogleカメラ。これはかなり解像度高いしつなぎ合わせるのもうまい。HDR的に露出を補正してくれるので見栄えもする。ただ、構えた時に水平になってなかったらしく、肝心の古墳がぐんにゃりしてしまった。

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さらにphotosphere。これは前方部に立って360度ビューにしてみた。前方部で祭祀が行われたのだとするとここからのビューは意味ありそうだなあって思って、上れる古墳ではいつもここに立ってみるんだけど、今のところ特に発見はない。

リンクはここから

 

photosphereから平面の写真を作ることもできてこれもまたよろしい。

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感想としては、思ったほど「ウオオオッ」ていうのは無かったけども、もうちょっといろいろやってみたい。せめて、きちんと水平出して三脚にのせて一眼で撮りたい。古墳のphotosphereはgoogle mapを見たら既にやってる人がいるみたいで、これからもっと増えたら面白いなあと思ってます。

噂のコフン・アンダー・ザ・ブリッジ

 赤面山古墳との出会いはめっちゃ唐突に実現してしまった。日本最大級の誉田御廟山古墳を見て、せっかくなので拝んで、そしたら隣にも大きな前方後円墳があるので登ってみて、さらに高速道路を挟んでデカい古墳が見える、こいつはすごいぞ古墳だらけだって思って古墳脇の細い生活道路をチャリで走り抜けたその先で、突如として目に飛び込んできた風景が、まさしくネットで見たソレだった。

 

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 たしか初めて知ったのはデイリーポータルの記事で、なんか調べてたら個人のサイトとかでも結構紹介されてる。「高速道路の高架の下にある」「古墳を潰さないようにわざわざ橋脚の本数を減らしてある」もうこれだけでワクワクです。そんなスゲえ古墳なら一見の価値ありだ。


 ところが今回の古市古墳群巡りのコースには組み込んでなかった。そこは天邪鬼でありひねくれオタク、「カタギが喜ぶようなモン見て同じように嬉しがってちゃいけねえ」ってなわけで、大した古墳オタクでもないのに硬派な玄人のつもりで避けてた。しかし避けようがなかった。なにしろここは古墳群のまっただ中なんだから。東京に行くときは新幹線に乗る、というのと同じように古市巡りでは赤面山の前を通る、のである。たぶん。古墳巡りの大動脈である。


 それで、もう、一目見た瞬間に、ひねくれた考えが全部吹き飛んでしまった。「ウオォこれはすごい」ってなった。古墳がきちんと高速道路の下で命脈を保っている。のみならず、側道は古墳の形にきちんと曲がっているし、そこを通る車が「なんで曲げんねんメンドーやなあ」って具合に速度を落として曲がっていく。千数百年前に造られた、誰かエライ人の墓が、現代人に面倒なことをさせている。すごいすごい。

 

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 この古墳、高架下の側から見るとほんとにただの土盛で、工事の残土と言われてもわかんない。たぶん、残土のせいで側道が曲がってるって思ってる人もいるにちがいない。草が生えてなくてツルっとしてる。各種整備された古墳はいくつか見てきたけれども、こんなにツルっとしてる土盛の古墳は初めて見た。完全に高架下の土って感じだし、周辺の風景に溶け込んでて違和感がない。でもきちんと現代人の動きを「よっこらしょ」って曲げてる。これはすごいことです。

 

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 そうしてしばらく、古室山古墳の裾にチャリを停めて、高架下の古墳を眺めてた。コフン・アンダー・ザ・ブリッジだった。