古墳上のハタケ

畑の中に古墳があるというか、古墳そのものが畑になってるオモシロ風景を初めて見たのは去年のこと。遺跡そのものが現代人の生活空間になっている。。

http://milkdebussy.tumblr.com/post/108070511769/巻野内石塚古墳

土盛りはそのまま残っているけれど、上は耕されてネギか何か植えてあるし、みかんが実っている。崩れないように石垣が積んであるのは古墳を守るというよりも畑が崩れないようにしてるだけだと思う。古墳が畑用の丘として使われてる、わりとテキトーな扱いである。

今みたいに古墳文化財とか天皇の墓だとかで保護されるようになる以前はどこの古墳もテキトーに扱われてたようで、江戸時代の古墳調査についてこんな風に書かれている。

陵墓が耕作され、肥料として人糞(不浄)が用いられていた
(中略)
石棺が露出して水溜まりにはまり、農民の墓地が陵墓の域内に営まれている
(中略)
そのような陵墓あるいは巨大古墳の姿は、この時期にあっては決して珍しいものではなかった

 

  外池昇「天皇陵の近代史」吉川弘文館

 

それで、ちょっと調べたら、現代でも畑やお墓として使われてる墳丘が結構あるらしいです。どんどん耕されて最終的に土盛りが完全に消滅した古墳もきっとたくさんあるはずで、それは残念なのだが、一方で原型をとどめたまま人間の生活空間に取り込まれてしまった古墳もある。そういう古墳では表面にネギが生えたりみかんが生ったりして現代に残ってオモシロ風景になっている。畑としてではあるけれど大切に手入れされてるし、なんだか良い感じではないですか。

今回はそんなオモシロ古墳を探して奈良県の大和古墳群に行ってみた。ここは畑の中に畑として古墳がたくさん残っていて、たいへん良い感じなのです。場所は天理駅から少し南側へ行ったあたり。徒歩でも行けないことはないけれど、今回は天理駅前でナイスなチャリを借りて大和の道を爆走してきた。

 

天理市っていうくらいなので駅前から続く商店街がひたすら天理教だ。街ひとつが天理教でできててすごく異国感がある。
街がひとつの宗教でできてるってのは例えば大きな仏教寺院や神社の門前町はそうだし外国人が見たら「日本ぽい」とか異国感を感じるのかもしれないけど、生まれたときから日本で暮らしてると寺も神社も普通で、日本中どこへ行ってもあんまり異国感はない。でも天理駅前から天理教本部にかけては看板の宗教用語とか店で売ってる商品とか、日本的だけど普段見ているものとはちょっと違う。街の雰囲気はのんびりした地方都市って感じで何の変哲もないけれど、よく見るとちょっと非日常が混ざっている。そのちょっとした違和感が異国感であり、ファンタジーやSFのようなワクワク感でもある。こんな宗教都市が日本にあるって知らなくて、ちょっと道草のつもりが思いの外楽しかった。

それで、元に戻ってチャリで走る話ですが、天理教本部前を通り過ぎると超古い神社であるところの石上神宮があり、そこからさらに南に行くと杣之内古墳群という古墳の密集地帯がある。わずか二十分ほどで三つの宗教的聖地(?)をハシゴできるすごい場所である。
杣之内古墳群は近くにある布留遺跡に住んでたピープルが造ったとのことで、古墳時代のわりと初めの頃から終末期までかなり長い期間にわたっていくつも古墳が造られ続けたらしい。峯塚古墳はその中でも一番最後くらいの時期の、古いけどわりと新しめの古墳

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初めは予定に入れてなかったけど、道端で見つけた案内看板の測量図がきれいな円形を呈していたため行かぬわけにはいかぬということになった。高層天気図での寒冷低気圧のような、またあるいは細胞からのbudding。
田んぼの中の細い道が分かりにくいが幸いにも先人がメモを残していた。

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そしてその通りに進むと、柵が立ちはだかる。
これは私有地だ、引き返そうか、と思ったが、

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よく見ると町内会の張り紙があり、

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この書き方からするとおそらく立入禁止ではない。ので、入ってみた。もちろん入ったら柵を閉めて。柵の中の道は踏み跡がちゃんと残っていて、地元の人か古墳マニアかは知らないけどそれなりに人通りがあるっぽくて、教育委員会の張り紙もあるのでおそらく合法的な柵内侵入である、と思う。であってほしい。

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古墳は等高線の通りきれいな円墳で、全体が竹やぶなので春に来たらたけのこ山になってそうだ。正面に石室が開口してるのだが、切石を組んで作ってあってさすが終末期だなあという整った形をしています。古墳時代の途中から石加工の技術が大陸方面から入ってきたので後の時代になるほど石室の壁がつるっとした平面になってるとのこと。

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史跡ではあるけどお墓なのでうやうやしく入る。暗い。土砂が流れ込んでて狭い。古墳なので古い。天井のデカい石材が落ちてきたら叫ぶ間もなく死ぬと思う。

 

さっきの看板をよく見ると、道路を少し進んだカーブのところに円墳があることになってる。看板のところからもたしかに土盛りがあるのがわかる。でも近づいてみたら見た目がただの残土置き場風なので本当にこれが古墳なのか自信がなくなってしまった。隣は駐車スペースだし。入り口らしきものもないし。このサイズで石室はあるのか。実は古墳じゃないのではあるまいか。マジでこれじゃないかもしれません。いやしかし看板あったし。ううむ。

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そういえば以前成田に行ったときにもすごい小っちゃい土饅頭に古墳の看板が立ってて、埋葬施設はどこにあるんだろうと不思議に思ったものです。地面の下に埋めてあるとかか。

 

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この古墳群の中では最初の頃に作られたそうである。古墳業界ではマイナーな部類に入る前方後方墳であって、その中では全国最大級らしい。マイナージャンルの最大手。しかも最大手のくせにさらにニッチを攻めてて前方後方墳の上に前方後円墳が乗っているような特殊な立体形状になっている。

ところで上下方向に異なる形を積み重ねるのは東京の府中に熊野神社古墳というのがあって、方墳の上に円墳が乗ってる上円下方墳という特殊形状です。いい感じに石を葺いて復元してあるので散歩コースにもたいへんおススメです。それが地域の独自性があるってことで元府中市民としては誰かに自慢したことがあった気がするのだが、同じアイデアでも西山古墳の方がデカいわけですね。なんてこった。独自性とはいったい……。
しかも築造時期では府中は古墳時代の終わりも終わりの七世紀なのに西山古墳は四世紀で、三百年も先取りしている。三百年も経てば特許も著作権も切れてるパブリックドメインである。あるいはジェネリック古墳だ。

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西山古墳はあんまり立ち入りできない感じで、別に立ち入り禁止看板があるわけではないけど道がない。前方部の先の柵の切れ目から人が出入りしている形跡はあるけど近所の人の生活用通路っぽくてみだりに入れない気がする。なので下から眺めるだけにしておいた。後方部側は馬場であるらしく馬の蹄の跡が点々としてる。

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田畑の真ん中にあってそれ自体が畑になってる。耕されて小さくなったけど元は100メートルくらいあったらしい。それがコロッと転がされてるので奈良すごいな。

 

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ここらへんは古墳の密集地帯だけども、その中でもある程度まとまりがあるらしく、杣之内古墳群から少し南へ行くと大和古墳群に名前が変わる。どっちかというと大和古墳群のほうが畑っぽい。ノムギ古墳も畑の中に転がされてる。前方部は既になくなって畑化されてる。

 

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ノムギ古墳からは道路を挟んで隣り合ってる。これもかなり立派な前方後円墳だけど畑だ。くびれ部は畑をつなぐ道が通されていて完全に畑用古墳になってる。写真の右が後円部で左が前方部。

 

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地図ではこのあたりにあることになってたのだが何しろ畑なので古墳なのか畑なのか区別がつかない。もしかしたら古墳ではなくてただの畑なのではないかという疑念がつきまとう。おまけに近くにあった看板は古墳の史跡案内ではなくてここで作られてる柿の説明だった。

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やっぱり畑なのか。そういえばこのあたり、柿畑なのだ。

 

古墳群があるのは奈良盆地のヘリの部分なので実は真っ平ではないんだなあって、チャリで走ってて初めて気づいた。この日は朝から寒かったのでダウンジャケットやニット帽や手袋で重装備だったのだがアップダウンを何回か上ったり降りたりしてるうちに暑くなって全部脱いでチャリを漕ぐことにした(全裸という意味ではない)。真冬なのに汗だくになりながら思うには、衛星写真では平地の古墳に見えても実は丘陵地の自然地形を利用して造ってるらしい、あと丘陵地なので畑が多い。そして両者が組み合わさると古墳が畑になる。古墳+畑=古墳畑理論である。
ところでそのアップダウンのアップの先に、戦国時代に周濠が環濠として村の守りに使われていたという西山塚古墳があります。畑のみならずついに古墳は村になった。萱生環濠集落という中世の村で、静止した水面と、奈良っぽいのんびりした田舎の風景と、古い村の家がちょっとした非日常を形成している。

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下り坂の途中で見つけた古墳っぽい地形。一応写真に撮っておいた。後日読んだ本の地図ではこのあたりにホックリ塚古墳というのがあることになってたので、おそらくこれではないかなあと思っております。でも違うかも。図によってはホリック塚だったりするのだが、それだと若干のヤバさがある。

 

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デカい池がある。堤が高いので築造当時の周濠ではなさそうだと思ったけど、もしかしたら元々あった周濠を拡張したのかもしれない。養殖場になってるらしく、古墳の利用法その3だ。堤の上から墳丘を見ると背後に山を背負って水鏡に映る雄大な風景になる。

 

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下池山古墳の坂を下ると見えてくる古墳。大和古墳群の例に漏れず立派に畑として活躍しているけれど、反対側に回るともうひとつの顔がある。

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セブン古墳だ。
全国の古墳は十万基以上、対するコンビニは五万店くらい(らしい)。古墳ってコンビニより多いんだ。便利すぎてヤバいな。
たくさんあるもの同士が隣り合ってても何の不思議もない(セブンとファミマが向かい合ってる交差点とか特に珍しい感じはしない)のだが、意外とコンビニの隣が古墳というのは見たことがなかった。これが初めてかもしれない。ちなみにコメダの隣が古墳ってのは法隆寺の近くで見た。さすが奈良、古墳ならなんでもある。

今回の写真を撮った古墳一覧を静止地図にプロットしておきました。このあたりは衛星写真で見ると明らかに古墳っぽい地形が散らばっているので空想旅行にオススメです。以下マーカーと古墳の対応表。
A: ノムギ古墳
B: ヒエ塚古墳
C: マバカ古墳
D: 西山塚古墳
E: ホックリ塚古墳
F: 下池山古墳
G: 栗山古墳