伊勢原の鎧塚

鎧塚みぞれ先輩(鎧塚みぞれ - Google 検索)といえばアニメ史上数多い無口キャラの中でもなお麗しき美少女である。という、唐突に出てきたのは鎧塚古墳という名称から連想しただけのことで別段に意味はないです。

しかしついでに思いついたことには、鎧塚というのは古墳由来の名字ではないか。つまり、塚を掘ってみたらたまたま鎧が出てきて鎧塚と名付けた。やがて周囲一体の里を鎧塚と呼ぶようになり、住人は鎧塚を名乗った。その後裔がみじょれ……もとい鎧塚みぞれ先輩である。という具合に。

ネットで少し調べたところによると、富山県射水市に鎧塚姓が多い。姓の由来はおそらく市内にある鎧塚という地名である。そしてさらに不確かな情報だけれども、同地にある大塚古墳の別称が鎧塚という、らしい。ので、おおむね想像通りに話を組み立てられそうです。しかし裏付けがあるわけではなく、またともかく、今日の鎧塚古墳とみぞれ先輩は関係がない。


神奈川県は伊勢原にある鎧塚。見ればすなわち答えなのですが、つまりトンネル・アンダー・ザ・コフンである。古代遺跡と現代建築の融合である。古墳横の看板には、昭和63年の市道拡幅の際に古墳を崩さないようにトンネルにしたとある。

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くぐってみるとそこは古墳の下。じつに古墳の下であるなあという感想です。

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看板情報。

江戸時代の文献にも記載が見られ、室町時代山内上杉と扇谷上杉が戦った実蒔原の戦いの戦死者を葬った塚とも言われていました。
伊勢原市教育委員会

古墳に直接関係のない言い伝えが鎧塚の由来になったわけですが、次のような前日譚を想像することは可能である。

あるとき村人が畑を掘ったら古墳時代の鎧が出た。しかし何の鎧なのか誰もわからない。あるとき物知りがいて、きっと実蒔原の戦いの戦死者の塚だろうと言い、そういうことになった。

ともあれ、千五百年前の古墳によって現代の道路の歩道はトンネルになった。射水市には姓が生まれた。そういう歴史の繋がりかたもあるってことです。

生まれ来る古墳マニアのために

 よくひとりぼっちで旅をしている。というのもひとりぼっちで旅をするのが好きだからなのだが、いつも必ずそうであるわけではなく、十回に一回くらいは誰かと一緒である。ちゃんと誘ってくれる人がいるので意外と完全ぼっちではない。じつにありがたいことです。さらに最近は休日に人と会いたいと思うことがときどきあって、今回は誰かと行こうか、というふうに思い立ったりする。ひとりぼっち趣味人としては大きな心理的変化という気がしている。

 それで、少し前のことながら、石川県へ何人かで行くということがあり、ひとりぼっち旅ではまず泊まらぬだろう超高級温泉宿でGoogleマップを見ていたら近くに古墳を見つけてしまった。ここらへんの嗅覚は、しょっちゅうGoogleマップを転がして古墳探しをしているとありそうっぽい場所が分かってくるようである。とにかく見つけてしまったものは行かねばならないので、マニアでもない人を誘うのは申し訳なく思いながらも古墳に行こうと言ってみた。そしたら行くことになった。

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 秋常山古墳群。1号墳が大きな前方後円墳で、丘陵の上に築いて広い平野を見渡す、いかにもその頃の大首長の墓というべき立地です。(ウフフ)前方部が短いのはいつか削られてしまったからで本来のものではなく、人の世を生きてきた古墳という感じだ。(ホホッ)部分的に葺石が復元されてコロコロしている。(ウフッ)三段築成のテラス。ほどよい墳丘の角度。(アアー)遠くに見える丘にも古墳があるらしい。云々。

 内心盛り上がってはいたのだが、それをいったいどう伝えたものか分からず、とりあえず普通に静かにしていた。自分のニッチな趣味の盛り上がりポイントををいかにして人に伝えるか。実はこれが難しいのである。以前、古墳同人誌でも作るべと思ってネタを考えていたのだが、全部ちっとも面白くないのです。いや自分は面白いんだけど多分普通の人は面白くない。例えば全然興味ないですって顔してるそこらへんのおじさんが本を手に取ったとして、興味が無いのに知的好奇心が湧き上がってきて悔しいけどマニアになっちゃう、というレベルのものはできないか。ハードルが高すぎる? ハハァ。そう、それで結局何も手を付けていない。何もしていなければ何も考えていないも同然である。いけない。

 しかし何にせよ、いかに面白く語れるか、は大切なことなのです。人の心に潜む変態的好奇心を掘り起こしてゾンビのごとく周辺のピープルをマニア化させていく。きっとできるはずなのだ。古墳マニアの芽はいつもあなたの心の中から顔を出そうとしているのだから。何を語ろう。

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▲秋常山1号墳前方部先端からの眺め。もう少し先まで墳丘が続いていたということか。平野は広い。むこうの丘にも古墳があるらしい。

首の皮一枚を繋ぐ橋

 今回ご紹介する古墳はこれです。
 道路である。

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 もう少し具体的に言うと、あの歩道橋のある場所が古墳である。
 しかしそこは道路があるのみ、何もないように見える。古墳マニア、古墳が好きすぎてついに虚空をすら古墳として愛でるようになったのか。狂気にちがいない。

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 現地の看板を見ると一目瞭然なのだが、つまり古墳の真ん中を道路がブチ抜いてしまったために、かつて古墳だったところが虚空となっているわけです。歩道橋は古墳の前方部と後円部を首の皮一枚かろうじて繋いでいる。

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▲最初の写真の右側が現地看板の下側(つまり前方部)にあたり、まずはその角から上がってみることにします。

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 前方部から歩道橋へは少し階段を上がる。墳丘より高いところにあるから、この歩道橋は古墳の上面を残したわけではなく後から新設されたのだろう。古墳の上部を残して下だけ刳り貫いて保存してあるとかなら現代社会と古代の共存というたいへんワクワクする構造であるのですが、後付けならばそれほどでもない。道路工事のときにもうひと頑張りして道路を数メートル掘り込むだけで違ったんだけどなあと思う。ただ、古墳業界における面白物件のひとつであろうとは思う。

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▲歩道橋を渡っているときに道路を覗き込むと、あそこが古墳の断面にあたるのだとわかります。

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 渡りきって後円部を降りて眺めてみると、墳丘は結構大きく、周濠らしき窪みが墳丘を取り巻いている。大きな古墳が点在する馬見古墳群の中ではマアマアの大きさにすぎないかもしれないけれど、それにしてもマアマア偉い人の墓を真っ向からブチ抜く遠慮のなさは清々しくもある。

 この道路ができた経緯について調べたところ、1970年代のニュータウン開発で幹線道路を通す必要があったということらしい。それで古墳をぶっ壊したというのは、そんな映画がありましたね、平成埴輪合戦。しかし埴輪は微動だにしないので、ぽんぽこ音を立てたりしません。じつに動かないのです。

 

 その開発ブチ抜き工事には続く話があって、ブチ抜く前に発掘調査をしていたところ、裏手の林からブルドーザーの音が聞こえてきた。行ってみると別の古墳がものすごい勢いで削られており慌ててやめさせて保存したという、それが古墳業界では名の知れたナガレ山古墳であるらしい。

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▲削られてしまった側を復元して石葺きに、残っていた側を芝生張りにして保存してあるハイブリッド古墳です。(写真は石葺側)

君の名は无利弖。

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▲これがあの有名な江田船山古墳……

文字について考えてみたら、現在ってかつてないほど文字の時代だなあと思ったのである。Twitterで放っておいたらどんどん文字が流れていくし、最近は画像や動画や音のコンテンツも増えてるけどそれにしても文字情報ゼロってわけにはいかないし、やっぱインターネットは文字が基本で、そういやプログラムも文字で書かれてて、デジタルとか電子化の時代と言いながら文字ばっかなんですよね。紀元前に発明された古のアナログなツールなのに完全上位互換が未だに無いってすごくないですか。むしろ手書きの時代からデジタル時代になって使い勝手が一層良くなって、誰でも好き勝手に使えるようになってる。文字を使うことがこんなに簡単で自由なのはたぶん今が人類史上最高だと思う。

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▲江田船山古墳の隣にある虚空蔵塚古墳。今回の話には関係ないけど後円部の形も木の生え具合も濠も良い。

いっぽう、遡ってみると古墳時代ってのはほとんど文字を使っていなかったっぽい様子である。おかげでデカい古墳が残っていてもどういう目的でそんなにデカいのを造ったのかとか、誰の墓だとか、いつ誰が造ったのかとか、そういうのが全然わからない(おかげで楽しめるけど)。だから一緒に出てきた埴輪とかツボとか木の破片とかでどうにかこうにか年代とか造られた背景を推定しているのだ。こんなん当時の大王が一筆書いておいてくれたら「日本史の謎」とかいう胡散臭いのも全部解決してスッキリするのになあと思う。後世に記録を残すって大事なんですよ。2017年の我々が何を考えて生きていたのか、千年後にも誤解なく伝えないといけないですよ。

それで、これがその数少ない古墳時代の文字記録、東京国立博物館でいつでも見られる江田船山古墳の鉄剣銘です。常設展示に普通に置いてあってそれほど有り難みが感じられるわけでもないけど古墳おじさんにはたいへんありがた嬉しい。なにがすごいかというと古墳時代の人の名前が四人分明らかになります。これはすごいですね、何もわからない古墳時代の尻尾を掴むような感じだ。

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▲「獲   鹵大王」(左) 「典曹人名无利弖」(右)

まず獲加多支鹵大王=ワカタケル大王(=もしかして"雄略天皇")という天皇の名が明らかになり、この剣の持ち主で古墳の主であるおじさんすなわち无利弖=ムリテ氏の名が判明する。銘文からは大王がちゃんと大王って呼ばれてたとか、古墳造るレベルの偉い人でも名字が無かったとか、无利弖氏が大王の近くに仕えてたとかが分かる。

そう、これなんですよ、文字にしておけば後世に伝わる。やっぱ文字書かないとダメっすよ。と思う。

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▲展示の看板による文字の図。剣には四人のおじさんの名前が刻まれていた。

それだけではなく銘文の最後には剣を造った刀鍛冶の伊太和氏と、銘文を考えた張安氏の名前がわかる。張安氏は張が名字で安が名前、大陸系の渡来人であろうとのこと。中国の最先端カッコいい文化である漢字の銘文を作るにあたってプロに注文したのである。

あと、これはきっと伊太和氏の技ではないかと思うのだが、剣にはカッコいい馬の絵が彫り込まれている。

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という感じで、名前が出てきたおじさん四人、それぞれがどんな感じで生きてたかってのを想像すると、なんとなく現代とも地続きな感じがしてきます。文字で書かれているだけで、伝えられることはすごく多くなるってわけです。

ところで蛇足だけれども、「君の名は。」って文字による情報伝達が重要な要素なのです。スマホに文字を残して、直接会えない二人が言葉を伝えるとか、文字が壊れて、伝えられるはずのことがわからなくなるとか。君の名は何だったのか。あの「わからない」という感覚は、鉄剣に刻まれた消えかけの文字から古代の風景を見ようとする古墳マニアの心に近いのかもしれない。

石室に入って撮る写真

古墳の石室ってピラミッドや兵馬俑に比べると古くはないし小さいけれども、近くていつでも行けるし、ちゃんとした古代遺跡である。1500年前に造られた石組みの建造物に無料出入り自由で写真OKってヤバないっすか? って思うけどあんまりヤバさは伝わらないみたいです。

そういうわけなので、ヤバさを伝えるべく(というほどでもないけど)ちょっと過去に入った石室の写真をいくつか貼ってみようと思う。

  • 神原神社古墳(復元ではあるが竪穴式石室に入れるのはわりと珍しい)

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  • 岩屋山古墳(以下は横穴式である)

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  • 宝塔山古墳

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ところで、こういう写真を撮るときに問題があるんです。石室は狭くて内部全体を撮れないという。上の写真でも、本当は石室の空間はもっと背後にも広いんです。これが古墳の外観を撮る場合であればちょっと下がって広角レンズで撮るとか、それが無理ならパノラマ機能で撮ることで解決できるのだが、内側ではどうしようもない。

 

そこでどうするかというと、魚眼レンズがよいのではないかと。対角線画角180度。いきなり買うほどのお金と思い切りがないのでとりあえずアキバのパナソニックでFishEye 8mm/F3.5をレンタルして、向かったのは行田の八幡山古墳。石室が綺麗なので試し撮りにうってつけである。

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▲古墳の土盛がなくなって石室が全部見えている。

カメラの設定は別段難しいことはなく、小型三脚に載せてセルフタイマー10秒に設定して、シャッターボタンを押したら逃げる。手ブレの心配は無いので感度低めで絞りはほどよく絞ってよろしいです。今回は隙間から外光が入る石室だったので簡単だったけど、光の少ない石室ではフォーカスを合わせにくいだろうことと、入口から入ってきた外光のハイライトと内部のシャドーの明度差が大きすぎて「全体を写す」ことができないかもしれない点は要検証です。

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▲切石できれいに揃った壁面とデカい天井石がひとつの画面内に入る

勝手に思ってることですが、石室って偉い人があの世に行くために造ったものなので、たぶん中に入ったときに「あの世に行けるっぽい」って思える空間を設計してるはずなんです。装飾古墳なんかそれを突き詰めたって感じで、教会の内部とかと同じで中に居る人に何らかの気持ちを起こさせる、空間の芸術ですね。とするとやっぱり、部分を撮るとか図面を見るよりも、できるだけ画角の広いカメラでもって空間感を写したいなあと思うのです。

今回はなかなか上手くできたけど、いっそう広く写すためにリコーのTHETAを三脚に載せて石室に置いてリモートで石室外からシャッターを切る、というのを考えてます。が、360度カメラを石室以外で使う機会それほどなさそうだし、毎週石室に入るってわけでもないので買う決心がつかない。「空間感」ってことで言えば魚眼レンズ以上(ストリートビュー的に石室体験できる)なので魅力的なんですがどうしたものか。

築け!ゼンポーコーエンフン

終わってしまった……。

週に一回、仕事が終わった後の家に帰るまでが楽しかったのは久しぶりだった。第1期が終わった後に原作全部買って読んだし劇場版も見に行ったしサントラも買ったし今も聴いている。サントラといえば第2期は「だったん人」が劇中で最初に流れたときに良い選曲だなあと思ったものですが、単なるBGMじゃなくてその後の物語に影響してくるんですね、オーボエが。あとはみじょれたそ……ンフッ、いや、ンフフ、この話はやめにしておこう。ウフフ。

第1期の山場はいわゆる神回である第8話でしたが、あれも数ある青春アニメの中でこれほどキラッキラに美しく演出したものがあっただろうかと思います。「特別になりたい」もそうですけど、みんな強いのが良いんです。普通のアニメならここでデレるってところでデレなくてちゃんと踏みとどまる。だいたい、ふつうはみんなそうです、すっ転んで「エヘヘ」って笑って終わるような人ほとんどいないもんね。そして全員が全国大会を目指しているのにもかかわらず、完全に同じ方向を向いてはいなくて、一致団結しているのに個人が見えてくる。同じ年に放送してた真田丸を「登場人物がそれぞれの考えでバラバラに好き勝手な方向に動くのが面白い」というようなこと言ってた人がいたけれども、それと同じで、登場人物がおのおの考えて行きたい道を進む。その上で一致団結するのでその瞬間にサーッとカタルシスがあふれてきて感動しちゃうわけです。良かった。

そういうわけで、というわけでもないが、宇治へ行きまして、

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宇治橋の上。アニメの中ではこのシーンが出てくる度に水面がキラキラに夜景を反射して幻想的に描かれて、またあるときは橋の上で「上手くなりたい」と青春を叫ぶ。そしてまた、

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朝霧橋から見た大吉山。この山の上にある展望台で例の神回は繰り広げられたのである。ちなみにこの山の左奥に連なる小山には古墳があるらしい。

そうそう、古墳といえば、黄檗駅木幡駅の間くらいにある竹藪、と思わせておいて前方後円墳

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二子塚古墳です。後円部がほとんど削られてしまって前方部しか残っていなくてそれすら竹藪に覆われているので何が何だか分からないけれども、築造当時の姿に戻せば100メートル超級のデカい古墳。京阪の線路沿いにあるのでもしや劇中で車窓に映ったりしてるかもしれないけれども、放送が終わって録画もしていない今となっては確認できない。

そしてさらに、宇治から電車で30分ほど進んでおまけに徒歩30分、もはや宇治ですらないのだが、ここにかの有名な椿井大塚山古墳があるのです。行きたかったのはここです。

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▲まずは、後円部から

何がすごいのかは、そう、ブラウザの上にある検索窓に椿井大塚山古墳と入力してEnter押していただければよいのですが、端的に申しますと、

  • 全国に古墳が造られ始めた頃の初号機に近い形式
  • 全長175メートルのデカい前方後円墳
  • 大量の銅鏡が出てきた

という全国で一番偉い級の人のお墓兼記念碑であるにもかかわらず、

  • 古墳の上が住宅地になっている

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▲わかりにくいけど画面左端の山が後円部、真ん中から右が前方部。

のであり、おまけに、

  • ど真ん中をJRの線路がぶち抜いている。

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▲手前が後円部、奥の家が前方部。線路は後円部を切り通しで抜ける。  

前記の二子塚古墳もそうだが、ことによると王族級の、超高価な鏡を36枚も自分の墓の中に持っていってしまうくらい超偉くて金持ちの墓をいともたやすくぶっ壊してしまう近代文明のヤバさというか、実はすでに奈良時代の時点で同じレベルの古墳を半分消滅させていたりするので我らはそもそもそういうテキトーな民族なのかもしれない。とすると完全に一部残っているだけでもマシであろうか。

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▲線路ブチ抜き図。上の写真と見比べてみよう。

ただひとつ間違いないのは、全国を眺めてみても、毎日これほど多くの人が墳丘内を通過していく古墳は無いということです。全国でも稀有な「古墳の中を通過する感覚」を味わえます。

古墳サイドビューの新しい道具:Lumixのパノラマ機能

古墳は真横から見るのが良いのではないかという謎理論に基いて、綺麗にサイドビューを撮るべくいくつか試みてきたのであるが↓

最近買ったカメラのパノラマ機能が意外と使えることに半年ほど経ってようやく気づいたので書いておこうと思います。カメラについてはこれを。↓ 

これまでのところパノラマの合成は、あらかじめ何枚か連続する横方向の写真を撮っておいてPCで後から合成することにしていました。以前はImage Composite Editorというまあまあ使いやすいソフトがあったけど、最近公式サイトを見たところ使えなくなったっぽい(?)。Windows付属のフォトギャラリーでも合成できるけどほぼ単機能なのと、時々合成に失敗するのであんまり良くはなかった。

最近買ったGX8はパノラマ写真を撮る機能があって、カメラを流し撮りの要領で横に振りながら連写すると自動的に合成までやってくれる。これの何がいいかというと、

  • その場で結果を確認してリテイクしやすい
  • 付属のSILKYPIXで写真を弄れる
  • 合成のための操作が必要なくて面倒がない

文字にするとあんまりありがたさが感じられないけど、実際に使ってみるとちょっとありがたいです。

でもどういうわけか合成に失敗することが多くて、結局「使えない」ということになって封印していたのである……

であるが、先週古墳を撮ってるときに「どうせ上手くいかんけどなんとなく」使ってみたくなって、パノラマをやったら、十発九中くらいに上手くいったのです。全く謎である。

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▲チブサン古墳をGX8のパノラマ機能で

単に謎で終わらせるのもアレなので考察してみたところによると、どうも重要なのは二点ではないかと思う。

  • できるだけゆっくり動かす
  • できるだけ上下ブレをなくす

特に前者は、せっかちがイカンのです。ちまちま刻みつつ一歩一歩パノラマを合成する感じでゆっくりカメラを振るのがよろしい。後者は普通に手ブレのない写真を撮れる人なら問題ないと思う。

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▲虚空蔵塚古墳をGX8のパノラマ機能で

そういうわけで気づかないうちになかなか良い道具を手に入れられていたみたいです。最近のカメラは機能いっぱいあるからきっといろいろ試してみたらもっと便利機能あるのかもしれぬ。

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▲岩原古墳群の二子塚古墳をGX8のパノラマ機能で