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数字の入った名前

数字の入った名前って、いいなと思ったの

大きな鳥にさらわれないよう川上弘美講談社

古墳時代が終わりに近づくと、それまでは大きな墓を造ることがなかった階層の人々も古墳に葬られるようになり、彼ら多数の墓は各地に古墳“群”として現代に残っている。小さくて、目立たず、学者によって個別のカッコいい名前が付けられている前代までの王墓とは違って、通し番号しかない。

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89号さん。
本当の名は何と言ったか。古墳の時代よりも少し後になるけれど、古代の木簡を調べると動物名をそのまま付けたような名前が結構あったらしい。鯨さんとか、犬麻呂さん。鯛さん。その他。

少なくとも彼には、大きな墓を造ってくれる家族か、部下か、仲間がいた。それが真心込めたものか、儀式上仕方なく嫌々やったのかは定かではないけれど。ともかく一緒に暮らす人がいた。

都に出仕した息子が年に一度は墓参りに帰ったりしただろうか。

などと。
ちょうど盆休みなのでそんなことを考えてた。

買い換えたカメラのこと

少し前に新しいカメラを買いました。中古だけど。GX8。

panasonic.jp

世の中に初めてミラーレス一眼が登場したころは、デカいレンズ着けたカメラを顔の前に掲げて画面を見ながら撮るスタイルがなんだか「ダサい」という感じだったのだが、ミラーレスが売れに売れて一般的になってくると今度はファインダーを覗いて撮るのが「時代遅れでダサい」と思えてくる。どんどん新しいのが出てくるのでただでさえ移り気な気分の移ろいはなおさら加速し、手のひら返しが風速計みたいにクルクル回っている。

これまでも一応ミラーレスのK-01を使っていたんですが、K-01は一眼レフとマウントを共有しているという未練が残っていた。未練というか、一眼レフのダサさとミラーレスのダサさの間にある「ダサくなさの尾根」みたいな待避線だった(と思っている)。実際にデザインもコンセプトも他にはない独自路線ってのが良かったし、みんなに駄目って言われてるのが余計に、捻くれた心に響くカメラだった。

K-01 | RICOH IMAGING

K-01を買った当初は、言われてたようにAFが遅いとか色々と不満もあったけれど、慣れればそんなでもなかったのです。写真の画質という点では問題無かったし(普通のPENTAXって感じだ)、むしろ手に馴染めば良い具合です。気に入ったのでダイヤルとか壊れても接着剤で直して使ってました。当面は使い続けよう、と。

ただ問題があったのは動画の画質で、一応フルHDではあるものの、なんだか粗い。今は一眼で動画を撮るのが流行ってて画質面でも相当なものらしいけれど、どうもこのカメラはその水準に達していないのではないか――。このところyoutubeとかに影響されて動画を撮ってみようという気分になっていて、実際にK-01で撮ってみたんですが、やっぱりちょっと物足りないのである。


福島、桜 - cherry blossoms (sakura) in Fukushima


身延山 - Mt. Minobu

それで、K-01を長らく使っては来たものの、ついに買い換えることにしました。買い足しは使わなくなるともったいないのでしない。古いのを売って新しいのを買う。新しく買うカメラは、ミラーレスで、べらぼうには高くなくて、動画をある程度の画質で撮れて、写真もそれなりに撮れるやつがいい。単に動画だけなら安いのでもいいけれど、音を録ることも考えるとマイク端子が必要になって、結局シリーズ中一番高いのを買うことになった。

GX8で撮った写真は、PENTAXとは違う。当たり前だけれども。どちらかというとあんまり好きではない方向に違う。緑とか青とかがなんか単調でのっぺりしてるというか、たぶん、いわゆるデジタルっぽい。でもここらへんは設定をいじればもっと変わるだろうしそういえばカメラを買い換えるたびに同じこと考えてて、K-01のときもかなり色々設定試したの思い出した。色々やってみよう。

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▲龍角寺岩屋古墳

AFは超速い。ボタン押したら速攻で合う。ISO3200とかで撮らなきゃならないような暗いところだとハズすこともあるけど。あと遠くの山の霞んだ稜線とかも難しい。それから、超静か。今までギュインギュインとモーター回してたのが実にアナクロに思えてくる。静かすぎていつの間にか合うのでかえって速さの体感が無いくらい。

AFと言えば、タッチパネルでフォーカスポイント選べるのが超便利です。今までは中央のフォーカスポイントだけ使ってフォーカスロックやってて、それはそれであまり問題にはならなかったけど、構図を決めた状態でフォーカス合わせたいとか、コサイン誤差が嫌だと思うこともときどきある。タッチパネルだとメニュー開いて十字キーで選択とかする必要もなくワンタッチで便利。

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▲神明山古墳(前方部)

困っていることは、ボタンの感度が良すぎる(あるいはボタンが無意識に触れてしまう配置のせいかも)ことで、ちょっと触れただけでファンクションキーのメニューが出ちゃう。手がわりとでかい上に結構力を入れて握りこむことがあるのでいつの間にかボタンを押してしまってることがあるのだ。これに対しては撮らない時は電源OFFにしとけば問題なくなった。大慌てでシャッターチャンスを捉えようってほどシビアなことしてないし、起動も速いのでこれでいいと思う。

ところで古墳を撮るときにどうかというと、機能面では全く問題ないしそもそもAFとか機能の豊富さが全然意味を成さない被写体なので特に言うべきこともないです。あえて挙げるとアスペクト比が4:3ということで、古墳を横から撮ると(サイドビュー)上下に余計な部分が写るので3:2よりも収まりは悪いです。とは言えトリミングすれば問題ない。

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▲枡塚古墳

最後に、カメラを買った理由である動画についてですが、これはもう以前使っていたあらゆるカメラに比べて断然にいい。4Kも撮れるというのがウリで、ネットにも4K動画の作例がいくつか上がってて、すごいですね、これは。PCのスペック上ちょっと4KはキツイのでフルHDで撮ってるけれども、これでも現状は十分すぎるくらいです。


丹後 Tango

東田子の浦駅周辺のふたつの古墳と浮島ヶ原について

東海道本線の静岡県内区間といえば各駅停車で東西へ通過する向きにはある種の難所として有名(↓)

https://www.google.co.jp/#safe=off&q=18%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%B7%E3%80%80%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C

だが、古墳趣味者にとっては必ずしも面白みがないわけではない。

というのも東田子の浦駅の東側に古墳がふたつ並んでいる。単に並んでいるだけなら珍しくもないけれど、どちらの古墳も線路に隣接……というか線路のせいで削られていると言ったほうが正しい、何か恨みでもあったのだろうかと思うような雑な扱いであるが……ともかく古墳がふたつある。

線路に接して古墳があるということは、古墳と鉄道を並べて写真を撮れるのではないかと期待できるのである。そういうわけで、写真を撮りに行ってきた。

 

  • 庚申塚古墳

双方中方墳(解説看板による)という全国的にも珍しい形の古墳である。ただし現状では四角っぽさがかなり薄れてただの砂山みたいになってる。
庚申塚古墳は南端が削られて線路が通っている。古墳西側の道路が線路に突き当たった部分から撮ると、電柱が邪魔だけどひとまず古墳と電車がひとつの画面に収まった。ついでに愛鷹山も含めてパノラマに。

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地質時代的地形である愛鷹山古墳時代的建築である庚申塚古墳と現代的車両である211系の、10万年越しのコラボだ。

 

  • 山の神古墳

前方後円墳(解説看板による)だけど庚申塚古墳と同じく、上に登ってみても形がはっきりとはわからない。現在の参道は踏切の脇から線路沿いに細い通路があるだけだが、線路を挟んだ南側に鳥居があってそちらが本来の参道っぽい。鳥居と神社の間の線路には踏切がなくて完全に孤立している。鳥居の側から撮るとこうなった。

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▲鳥居のある南側から線路を挟んで古墳を撮る。背後は愛鷹山。電車は313系

 

  • 浮島ヶ原へ

というわけで線路沿い古墳で写真を撮るという目的は果たしたのだが、あまりにも駅近お手軽で時間を持て余したのでもう少し深入りしてみようと思う。というのも、こんな写真を見つけたことによる。

幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース-[レコードの表示]

富士山が見える沼。今では無くなっているけれども、今の東海道本線で言えば沼津から吉原あたりにかけての広い低地が浮島ヶ原という沼地だったそうである。そういえば岳南鉄道の駅名も内陸なのに須津とか江尾とか、水辺っぽいのがあるなあ。

内海とか潟湖という、かつて海だったのが取り残されて湖になったような地形は、昔は全国あちこちにあったそうである。そしてそういう湖の岸辺には古墳がある。交易船を停泊させるのに都合が良かったという話もあるし、魚介類がたくさん採れて生活しやすかったのかもしれぬ。今では干拓されて田んぼになって、我々の食べてるご飯の何パーセントかは干拓地由来なのだが、しかし現代に沼が残ってたら富士山のビュースポットになったかもと思うとちょっと惜しい。

上記ふたつの古墳が位置するのは沼地の南側、海と沼を隔てる砂丘の上。実際に歩いてみると古墳の北側(沼側)へ向かって緩やかな下りになっていて、古墳はおそらく岸辺のちょっと高いところから沼を見下ろすような立地になっている。南側はもう少し高くて、旧東海道の道路は一番高いところにある。

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▲古墳近辺から北側を見ると徐々に下っているのがおかわりいただけるだろうか

古墳時代東海道がどこにあったのか記録があるわけでもないけれど、現在と同じく沼地の南側だったらしい。その後平安時代の海面変動で海に近い場所が水没して、一時的に沼の北側(愛鷹山との間)に移動していたとのこと。北側ルートは、そちらはそちらで浅間古墳などあって、古代からある程度栄えてたようだ。

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▲現代の浮島ヶ原周辺(吉原駅付近)

 

浮島ヶ原と東海道に関しては以下の本に記載がありました。

中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景 (中公新書)

事典 日本古代の道と駅

日本古代道路事典

また平安時代の海面変動(平安海進)について

古代日本の気候と人びと

国分寺の瓦の色

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地方の大きな古墳を見に行くとわりと国分寺跡が近くにある。ような気がする。なんで古墳と国分寺が近くにあるかというと、(たぶん)大きくて見ごたえのある古墳がある場所は古墳時代には県庁所在地的な都会だったはずなので、それから二百年くらい後の奈良時代にもやっぱり県庁所在地的な都会だったに違いなく、なので政治的な寺であるところの国分寺は古墳の多い地帯の近くに建てられたいう、そんな感じである。たとえば東京なら府中に古墳があって隣の国分寺国分寺跡があるという具合だ。

でも土盛りさえ残ればいい古墳とは違って国分寺とかの建物は長い年月のうちに燃えたり壊されたり朽ちたりして、残ってないです(残ってたら法隆寺みたいに国宝になる)。あるのは土の中の基壇とかそういう石だけで、跡地は整備されていたとしてもだだっ広い野原だったりする。去年出雲の国庁跡に行った時もやっぱり跡地は野原だった。田舎の稲の匂いがする風が吹いている中で蕎麦畑と神奈備の山を見ながらボケーっとするという、これはこれで良い秋休みだったけれど。古代の都会は田んぼになってしまったのである。

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野原と化している建物跡が多いのではあるけれど、上総国分尼寺跡は復元整備されてました。建物が復元されてるのって奈良の平城宮跡とかくらいで、奈良以外ではたぶん、あんまりないです。何億円か掛かったらしい。ガイダンス施設もあって、客一人でもガイドしてもらえた。復元された回廊は法隆寺も参考にしたそうで、この連子窓ところなんか法隆寺っぽい。雰囲気が似てるのである。なお本物の法隆寺の連子窓のところは金堂と五重塔がよく見えてナイスなポイントです。

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本当は基壇のある場所には金堂を造りたかったけど大きな木が生えてたからそのままにしたとのこと。でも建てたら行政が宗教施設造ったことになって揉めそう。国家仏教はもう無いからいいのか。
大仏建立というのもあるし、もういっそ国分寺復興して鎮護国家の祈りを捧げるのもアリだ。

www.huffingtonpost.jp

 

ところで、瓦の色です。展示室に並んでる瓦を見ると分かります。こんなふうに。

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左がこの国分寺の瓦で、右が奈良の平城京の瓦。色が違う。焼くときの温度の違いで色が変わるらしい。あと、大都会奈良の最先端の技術で焼いた瓦とは違って、焼く窯の技術のバラつきがあってあんまり一定した品質じゃなかったということです。遠く昔のことなのでありそうな話だけれど、とすると復元した回廊は奈良式の黒い瓦でいいのだろうか。建設中の寺に近所の瓦窯からいろんな色の瓦がつぎつぎに運び込まれてきたとしたら、

「色違うけどどうしよう」
「困ったなあ」

ということになる。でももう金は払ったし使わないわけにはいかない。ならばたぶん屋根にはこう並べることになる。

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もしかして全国の国分寺の屋根は縞模様とかモザイクになってた可能性が無くはないなあと。そうだとしたら朝廷から地方にやってきたお役人は国分寺の屋根を見て(地方に来てしまった……)と寂しくなったかもしれないし、(すげー田舎っぽい!)とワクワクしたかもしれない。

そういえば以前、都会から田舎に遊びに来た人が瓦屋根を見て「この辺は立派な家が多いですね」って言ったのを聞いて、そんなもんかなあと思ったことがある。考えてみると東京の街中で瓦屋根ってあんまりなくて、スレートとか、ビルだったらコンクリートですね。屋根って結構、その土地の印象を左右するかもしれない。中国地方に行くと石州瓦で赤いのが独特だなあと思うし。実際のところ古代の寺とか政庁の屋根事情ってどうだったんでしょうか。ビジュアル的に今までのイメージとは違ったりするのだろうか。

古墳上のハタケ

畑の中に古墳があるというか、古墳そのものが畑になってるオモシロ風景を初めて見たのは去年のこと。遺跡そのものが現代人の生活空間になっている。。

http://milkdebussy.tumblr.com/post/108070511769/巻野内石塚古墳

土盛りはそのまま残っているけれど、上は耕されてネギか何か植えてあるし、みかんが実っている。崩れないように石垣が積んであるのは古墳を守るというよりも畑が崩れないようにしてるだけだと思う。古墳が畑用の丘として使われてる、わりとテキトーな扱いである。

今みたいに古墳文化財とか天皇の墓だとかで保護されるようになる以前はどこの古墳もテキトーに扱われてたようで、江戸時代の古墳調査についてこんな風に書かれている。

陵墓が耕作され、肥料として人糞(不浄)が用いられていた
(中略)
石棺が露出して水溜まりにはまり、農民の墓地が陵墓の域内に営まれている
(中略)
そのような陵墓あるいは巨大古墳の姿は、この時期にあっては決して珍しいものではなかった

 

  外池昇「天皇陵の近代史」吉川弘文館

 

それで、ちょっと調べたら、現代でも畑やお墓として使われてる墳丘が結構あるらしいです。どんどん耕されて最終的に土盛りが完全に消滅した古墳もきっとたくさんあるはずで、それは残念なのだが、一方で原型をとどめたまま人間の生活空間に取り込まれてしまった古墳もある。そういう古墳では表面にネギが生えたりみかんが生ったりして現代に残ってオモシロ風景になっている。畑としてではあるけれど大切に手入れされてるし、なんだか良い感じではないですか。

今回はそんなオモシロ古墳を探して奈良県の大和古墳群に行ってみた。ここは畑の中に畑として古墳がたくさん残っていて、たいへん良い感じなのです。場所は天理駅から少し南側へ行ったあたり。徒歩でも行けないことはないけれど、今回は天理駅前でナイスなチャリを借りて大和の道を爆走してきた。

 

天理市っていうくらいなので駅前から続く商店街がひたすら天理教だ。街ひとつが天理教でできててすごく異国感がある。
街がひとつの宗教でできてるってのは例えば大きな仏教寺院や神社の門前町はそうだし外国人が見たら「日本ぽい」とか異国感を感じるのかもしれないけど、生まれたときから日本で暮らしてると寺も神社も普通で、日本中どこへ行ってもあんまり異国感はない。でも天理駅前から天理教本部にかけては看板の宗教用語とか店で売ってる商品とか、日本的だけど普段見ているものとはちょっと違う。街の雰囲気はのんびりした地方都市って感じで何の変哲もないけれど、よく見るとちょっと非日常が混ざっている。そのちょっとした違和感が異国感であり、ファンタジーやSFのようなワクワク感でもある。こんな宗教都市が日本にあるって知らなくて、ちょっと道草のつもりが思いの外楽しかった。

それで、元に戻ってチャリで走る話ですが、天理教本部前を通り過ぎると超古い神社であるところの石上神宮があり、そこからさらに南に行くと杣之内古墳群という古墳の密集地帯がある。わずか二十分ほどで三つの宗教的聖地(?)をハシゴできるすごい場所である。
杣之内古墳群は近くにある布留遺跡に住んでたピープルが造ったとのことで、古墳時代のわりと初めの頃から終末期までかなり長い期間にわたっていくつも古墳が造られ続けたらしい。峯塚古墳はその中でも一番最後くらいの時期の、古いけどわりと新しめの古墳

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初めは予定に入れてなかったけど、道端で見つけた案内看板の測量図がきれいな円形を呈していたため行かぬわけにはいかぬということになった。高層天気図での寒冷低気圧のような、またあるいは細胞からのbudding。
田んぼの中の細い道が分かりにくいが幸いにも先人がメモを残していた。

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そしてその通りに進むと、柵が立ちはだかる。
これは私有地だ、引き返そうか、と思ったが、

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よく見ると町内会の張り紙があり、

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この書き方からするとおそらく立入禁止ではない。ので、入ってみた。もちろん入ったら柵を閉めて。柵の中の道は踏み跡がちゃんと残っていて、地元の人か古墳マニアかは知らないけどそれなりに人通りがあるっぽくて、教育委員会の張り紙もあるのでおそらく合法的な柵内侵入である、と思う。であってほしい。

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古墳は等高線の通りきれいな円墳で、全体が竹やぶなので春に来たらたけのこ山になってそうだ。正面に石室が開口してるのだが、切石を組んで作ってあってさすが終末期だなあという整った形をしています。古墳時代の途中から石加工の技術が大陸方面から入ってきたので後の時代になるほど石室の壁がつるっとした平面になってるとのこと。

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史跡ではあるけどお墓なのでうやうやしく入る。暗い。土砂が流れ込んでて狭い。古墳なので古い。天井のデカい石材が落ちてきたら叫ぶ間もなく死ぬと思う。

 

さっきの看板をよく見ると、道路を少し進んだカーブのところに円墳があることになってる。看板のところからもたしかに土盛りがあるのがわかる。でも近づいてみたら見た目がただの残土置き場風なので本当にこれが古墳なのか自信がなくなってしまった。隣は駐車スペースだし。入り口らしきものもないし。このサイズで石室はあるのか。実は古墳じゃないのではあるまいか。マジでこれじゃないかもしれません。いやしかし看板あったし。ううむ。

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そういえば以前成田に行ったときにもすごい小っちゃい土饅頭に古墳の看板が立ってて、埋葬施設はどこにあるんだろうと不思議に思ったものです。地面の下に埋めてあるとかか。

 

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この古墳群の中では最初の頃に作られたそうである。古墳業界ではマイナーな部類に入る前方後方墳であって、その中では全国最大級らしい。マイナージャンルの最大手。しかも最大手のくせにさらにニッチを攻めてて前方後方墳の上に前方後円墳が乗っているような特殊な立体形状になっている。

ところで上下方向に異なる形を積み重ねるのは東京の府中に熊野神社古墳というのがあって、方墳の上に円墳が乗ってる上円下方墳という特殊形状です。いい感じに石を葺いて復元してあるので散歩コースにもたいへんおススメです。それが地域の独自性があるってことで元府中市民としては誰かに自慢したことがあった気がするのだが、同じアイデアでも西山古墳の方がデカいわけですね。なんてこった。独自性とはいったい……。
しかも築造時期では府中は古墳時代の終わりも終わりの七世紀なのに西山古墳は四世紀で、三百年も先取りしている。三百年も経てば特許も著作権も切れてるパブリックドメインである。あるいはジェネリック古墳だ。

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西山古墳はあんまり立ち入りできない感じで、別に立ち入り禁止看板があるわけではないけど道がない。前方部の先の柵の切れ目から人が出入りしている形跡はあるけど近所の人の生活用通路っぽくてみだりに入れない気がする。なので下から眺めるだけにしておいた。後方部側は馬場であるらしく馬の蹄の跡が点々としてる。

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田畑の真ん中にあってそれ自体が畑になってる。耕されて小さくなったけど元は100メートルくらいあったらしい。それがコロッと転がされてるので奈良すごいな。

 

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ここらへんは古墳の密集地帯だけども、その中でもある程度まとまりがあるらしく、杣之内古墳群から少し南へ行くと大和古墳群に名前が変わる。どっちかというと大和古墳群のほうが畑っぽい。ノムギ古墳も畑の中に転がされてる。前方部は既になくなって畑化されてる。

 

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ノムギ古墳からは道路を挟んで隣り合ってる。これもかなり立派な前方後円墳だけど畑だ。くびれ部は畑をつなぐ道が通されていて完全に畑用古墳になってる。写真の右が後円部で左が前方部。

 

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地図ではこのあたりにあることになってたのだが何しろ畑なので古墳なのか畑なのか区別がつかない。もしかしたら古墳ではなくてただの畑なのではないかという疑念がつきまとう。おまけに近くにあった看板は古墳の史跡案内ではなくてここで作られてる柿の説明だった。

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やっぱり畑なのか。そういえばこのあたり、柿畑なのだ。

 

古墳群があるのは奈良盆地のヘリの部分なので実は真っ平ではないんだなあって、チャリで走ってて初めて気づいた。この日は朝から寒かったのでダウンジャケットやニット帽や手袋で重装備だったのだがアップダウンを何回か上ったり降りたりしてるうちに暑くなって全部脱いでチャリを漕ぐことにした(全裸という意味ではない)。真冬なのに汗だくになりながら思うには、衛星写真では平地の古墳に見えても実は丘陵地の自然地形を利用して造ってるらしい、あと丘陵地なので畑が多い。そして両者が組み合わさると古墳が畑になる。古墳+畑=古墳畑理論である。
ところでそのアップダウンのアップの先に、戦国時代に周濠が環濠として村の守りに使われていたという西山塚古墳があります。畑のみならずついに古墳は村になった。萱生環濠集落という中世の村で、静止した水面と、奈良っぽいのんびりした田舎の風景と、古い村の家がちょっとした非日常を形成している。

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下り坂の途中で見つけた古墳っぽい地形。一応写真に撮っておいた。後日読んだ本の地図ではこのあたりにホックリ塚古墳というのがあることになってたので、おそらくこれではないかなあと思っております。でも違うかも。図によってはホリック塚だったりするのだが、それだと若干のヤバさがある。

 

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デカい池がある。堤が高いので築造当時の周濠ではなさそうだと思ったけど、もしかしたら元々あった周濠を拡張したのかもしれない。養殖場になってるらしく、古墳の利用法その3だ。堤の上から墳丘を見ると背後に山を背負って水鏡に映る雄大な風景になる。

 

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下池山古墳の坂を下ると見えてくる古墳。大和古墳群の例に漏れず立派に畑として活躍しているけれど、反対側に回るともうひとつの顔がある。

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セブン古墳だ。
全国の古墳は十万基以上、対するコンビニは五万店くらい(らしい)。古墳ってコンビニより多いんだ。便利すぎてヤバいな。
たくさんあるもの同士が隣り合ってても何の不思議もない(セブンとファミマが向かい合ってる交差点とか特に珍しい感じはしない)のだが、意外とコンビニの隣が古墳というのは見たことがなかった。これが初めてかもしれない。ちなみにコメダの隣が古墳ってのは法隆寺の近くで見た。さすが奈良、古墳ならなんでもある。

今回の写真を撮った古墳一覧を静止地図にプロットしておきました。このあたりは衛星写真で見ると明らかに古墳っぽい地形が散らばっているので空想旅行にオススメです。以下マーカーと古墳の対応表。
A: ノムギ古墳
B: ヒエ塚古墳
C: マバカ古墳
D: 西山塚古墳
E: ホックリ塚古墳
F: 下池山古墳
G: 栗山古墳

ガルパン(の舞台の大洗にある古墳)はいいぞ

ガルパンの映画を見ました。去年の年末のこと。
別に感動のストーリーが売りってわけではないし、美少女と戦車の組合せは奇抜だけどそれ自体はまあそんなもんかなあってくらいで(ミリタリーは特に趣味ではなかった)テレビシリーズが始まった当初も興味がなくてスルーしてたのだが、一昨年に1年遅れでBSの再放送があって、ためしに見てみたのです。そしたら、

となって、

となった。
それで今回の劇場版を見て感激するに至ったのですが、何が琴線に触れたのかと考えてみるとよく分からぬ。ただなんだかすごくワクワクしたという余韻がある。
例えば劇場版のエキシビジョン戦で最初に戦車が続々と入ってくるシーン、そこから既にワクワクします。それから、市街戦で看板をぶっ飛ばすシーン、ああいうの大好きなんです。またあるいはデカい砲弾ブチこんだときの大爆発の大音量。さらにカンテレの音色とともにSäkkijärven Polkkaが流れて敵を翻弄するシーン。追いつめられつつもあの手この手で抵抗する戦車戦。そして最後のフラッグ車同士の決戦、あそこすごいですね。セリフほとんど無くて同じ場所で動いてるだけなのに緊張感もワクワク感も頂点に達する。

 

ところでアニメが面白いと聖地巡礼に行きます。ガルパンなら大洗。最初に下り立つ大洗駅がもはや悪ノリに近いくらいアニメに溢れている、ワクワクします。その駅を出たら駅前通りを左に進み、坂を下り、信号を越えて坂を上り、その頂点に近いあたりで右の細い道に入り、住宅地の坂を上る。その右側です。

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ワクワクスポット、車塚古墳
見て分かるくらいちゃんと円形が残ってて、発掘調査報告の測量図見たら等高線が綺麗に同心円になってる。直径87メートルの三段築成というので、相当エラい人のお墓です。全面を葺石で覆って、段の平坦な部分に埴輪を立て並べていたということで、1600年前の築造当初はデカくてピカピカで凄かったであろう。

そういえばガルパンの世界では古墳が築造当時の姿に復元されてたりしないかしら。葺石で固められた古墳をIV号戦車で駆け上がって墳頂から主砲で円筒埴輪をドカンドカン打ち込むシーンなんかあったら感激してしまう。

 

車塚の裏手に回ると日下ケ塚古墳

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前方後円墳であり、横から見ると結構きちんと形が残っているように見えるけれども、前方部の先っちょから見るとこうなっている。

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ガリガリっとやられている。
江戸時代の終わり頃に水戸藩が海防陣屋というのを作るために土が必要だというので削り取っちゃったらしい。水戸藩って古墳とか大事にするイメージだったのでちょっと意外である。それだけ危機が迫った時代だったのか、もしかしたら埋葬施設に手を付けなかったのが最大限の配慮かもしれない。あと、それ以外にも畑を作るために色んな人がチビチビ削っていったので、前方後円形はあまり原型をとどめていないとのこと。

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ふたつの古墳は隣り合っていて、日下ケ塚のてっぺんから見ると車塚は近くに見える。その向こうには涸沼川の左右に田んぼが広がっている。地形的にたぶん古代には河口近くから涸沼までひとつながりの浅い湖だったような感じです。

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図書館で読んでた資料にいわく、

古墳は当時半島状(もしくは島状)を呈していた交通上の要衝の地に、海を強く意識して、まさにランドマーク的な構造物として築造された。
[茨城県考古学協会「茨城県考古学協会誌」第20号、2008年]

とのことで、現代においてはこれだ。

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ランドマーク。現代における古墳、かも。

京都の古墳は庭だった

古都ではあっても古墳的な意味では歴史の浅い京都は奈良みたいなデカい古墳が無くて、それゆえこれまでも近くを通ることはあってもわざわざ見に行ったりはしなかった。地味な古墳ばかりっぽいし。でもネットで調べたら結構ネタが上がってて、ときどき(と言っても年に1,2回くらいだけど)近くを通る人間としては行かんわけにはイカンという気分が日に日に高まる。なのでついに行ってみたんです。そしたら案外スゴかった。蛇塚古墳

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嵐電帷子ノ辻駅から住宅地の中を南へ歩いて10分くらい。いかにも京都の住宅地っぽい細い道の正面に現れたのは柵に囲まれた小山。さすが京都、こんな住宅地の中にも庭園が残っている。築山を盛り上げて巨石をのせ、木を植えて、おそらく仏教世界の中心である須弥山を表現しているのであろう。
というといかにもそれっぽい感じだけど、これが古墳だった。

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写真中央左の白い鉄骨が四角く組まれている部分が石室の入り口で、須弥山を表しているかに見えた石は全部石室の石材である。この中に偉い人のヒツギを入れてたわけですね。元々は石室の上には分厚く土が盛り付けられて、推定全長75メートルの人工的でピカピカの前方後円墳だったはずだけど、長い年月(1400年くらい?)が流れて土も流れ出し、ついでに開発やら何やらで削り取られて最終的に動かしようのない石室だけが残ったという。奈良県の有名な石舞台古墳と同じですね、あっちは政治的な意図で壊されたんじゃないかって話もあるようだけど。案内看板によると石室のサイズ的には石舞台に匹敵するとのことで、京都なんていう大観光地に埋もれていなければ史跡整備とかして注目されたかもしれない。でも京都なので、お庭になった。

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石室入り口から。

この古墳のナイスなポイントは、庭みたいに綺麗に手入れされてるってことと、もうひとつは周囲ぐるりとめぐる住宅地の道です。あまりにもデカい石室なので泥棒が来ようが開発の波が押し寄せようが構わず頑張り続けて、結局後の世の人間が折れて現代でもここだけ道がロータリー状になっている。なので、

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宅配便のトラックが超ギリギリの幅のカーブををギリギリの運転で通り抜けていったりする。千四百年前の古墳が現代人の生活に影響している。

それから、案内看板からのネタとして、元が前方後円墳だったということなので、その痕跡が衛星写真から眺められる。

ちょっと分かりにくいけども、古墳周辺の家の向きが周囲と違うのでなんとなく輪郭が見える。右上が後円部、左下が前方部。土地区画として残ってるってことは、京都が発展していくある段階までは墳丘かその残骸が残ってたってことです。輪郭よりも外側の土地が古くて、前方後円形の内部は墳丘が無くなって以後の土地。京都ならいろんな記録が残ってるだろうし、もしかすると文献を調べまくったら古墳の変遷を辿れたりするのかなあ。

最後は前方部側からの写真。

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