古墳上のハタケ

畑の中に古墳があるというか、古墳そのものが畑になってるオモシロ風景を初めて見たのは去年のこと。遺跡そのものが現代人の生活空間になっている。。

http://milkdebussy.tumblr.com/post/108070511769/巻野内石塚古墳

土盛りはそのまま残っているけれど、上は耕されてネギか何か植えてあるし、みかんが実っている。崩れないように石垣が積んであるのは古墳を守るというよりも畑が崩れないようにしてるだけだと思う。古墳が畑用の丘として使われてる、わりとテキトーな扱いである。

今みたいに古墳文化財とか天皇の墓だとかで保護されるようになる以前はどこの古墳もテキトーに扱われてたようで、江戸時代の古墳調査についてこんな風に書かれている。

陵墓が耕作され、肥料として人糞(不浄)が用いられていた
(中略)
石棺が露出して水溜まりにはまり、農民の墓地が陵墓の域内に営まれている
(中略)
そのような陵墓あるいは巨大古墳の姿は、この時期にあっては決して珍しいものではなかった

 

  外池昇「天皇陵の近代史」吉川弘文館

 

それで、ちょっと調べたら、現代でも畑やお墓として使われてる墳丘が結構あるらしいです。どんどん耕されて最終的に土盛りが完全に消滅した古墳もきっとたくさんあるはずで、それは残念なのだが、一方で原型をとどめたまま人間の生活空間に取り込まれてしまった古墳もある。そういう古墳では表面にネギが生えたりみかんが生ったりして現代に残ってオモシロ風景になっている。畑としてではあるけれど大切に手入れされてるし、なんだか良い感じではないですか。

今回はそんなオモシロ古墳を探して奈良県の大和古墳群に行ってみた。ここは畑の中に畑として古墳がたくさん残っていて、たいへん良い感じなのです。場所は天理駅から少し南側へ行ったあたり。徒歩でも行けないことはないけれど、今回は天理駅前でナイスなチャリを借りて大和の道を爆走してきた。

 

天理市っていうくらいなので駅前から続く商店街がひたすら天理教だ。街ひとつが天理教でできててすごく異国感がある。
街がひとつの宗教でできてるってのは例えば大きな仏教寺院や神社の門前町はそうだし外国人が見たら「日本ぽい」とか異国感を感じるのかもしれないけど、生まれたときから日本で暮らしてると寺も神社も普通で、日本中どこへ行ってもあんまり異国感はない。でも天理駅前から天理教本部にかけては看板の宗教用語とか店で売ってる商品とか、日本的だけど普段見ているものとはちょっと違う。街の雰囲気はのんびりした地方都市って感じで何の変哲もないけれど、よく見るとちょっと非日常が混ざっている。そのちょっとした違和感が異国感であり、ファンタジーやSFのようなワクワク感でもある。こんな宗教都市が日本にあるって知らなくて、ちょっと道草のつもりが思いの外楽しかった。

それで、元に戻ってチャリで走る話ですが、天理教本部前を通り過ぎると超古い神社であるところの石上神宮があり、そこからさらに南に行くと杣之内古墳群という古墳の密集地帯がある。わずか二十分ほどで三つの宗教的聖地(?)をハシゴできるすごい場所である。
杣之内古墳群は近くにある布留遺跡に住んでたピープルが造ったとのことで、古墳時代のわりと初めの頃から終末期までかなり長い期間にわたっていくつも古墳が造られ続けたらしい。峯塚古墳はその中でも一番最後くらいの時期の、古いけどわりと新しめの古墳

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初めは予定に入れてなかったけど、道端で見つけた案内看板の測量図がきれいな円形を呈していたため行かぬわけにはいかぬということになった。高層天気図での寒冷低気圧のような、またあるいは細胞からのbudding。
田んぼの中の細い道が分かりにくいが幸いにも先人がメモを残していた。

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そしてその通りに進むと、柵が立ちはだかる。
これは私有地だ、引き返そうか、と思ったが、

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よく見ると町内会の張り紙があり、

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この書き方からするとおそらく立入禁止ではない。ので、入ってみた。もちろん入ったら柵を閉めて。柵の中の道は踏み跡がちゃんと残っていて、地元の人か古墳マニアかは知らないけどそれなりに人通りがあるっぽくて、教育委員会の張り紙もあるのでおそらく合法的な柵内侵入である、と思う。であってほしい。

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古墳は等高線の通りきれいな円墳で、全体が竹やぶなので春に来たらたけのこ山になってそうだ。正面に石室が開口してるのだが、切石を組んで作ってあってさすが終末期だなあという整った形をしています。古墳時代の途中から石加工の技術が大陸方面から入ってきたので後の時代になるほど石室の壁がつるっとした平面になってるとのこと。

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史跡ではあるけどお墓なのでうやうやしく入る。暗い。土砂が流れ込んでて狭い。古墳なので古い。天井のデカい石材が落ちてきたら叫ぶ間もなく死ぬと思う。

 

さっきの看板をよく見ると、道路を少し進んだカーブのところに円墳があることになってる。看板のところからもたしかに土盛りがあるのがわかる。でも近づいてみたら見た目がただの残土置き場風なので本当にこれが古墳なのか自信がなくなってしまった。隣は駐車スペースだし。入り口らしきものもないし。このサイズで石室はあるのか。実は古墳じゃないのではあるまいか。マジでこれじゃないかもしれません。いやしかし看板あったし。ううむ。

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そういえば以前成田に行ったときにもすごい小っちゃい土饅頭に古墳の看板が立ってて、埋葬施設はどこにあるんだろうと不思議に思ったものです。地面の下に埋めてあるとかか。

 

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この古墳群の中では最初の頃に作られたそうである。古墳業界ではマイナーな部類に入る前方後方墳であって、その中では全国最大級らしい。マイナージャンルの最大手。しかも最大手のくせにさらにニッチを攻めてて前方後方墳の上に前方後円墳が乗っているような特殊な立体形状になっている。

ところで上下方向に異なる形を積み重ねるのは東京の府中に熊野神社古墳というのがあって、方墳の上に円墳が乗ってる上円下方墳という特殊形状です。いい感じに石を葺いて復元してあるので散歩コースにもたいへんおススメです。それが地域の独自性があるってことで元府中市民としては誰かに自慢したことがあった気がするのだが、同じアイデアでも西山古墳の方がデカいわけですね。なんてこった。独自性とはいったい……。
しかも築造時期では府中は古墳時代の終わりも終わりの七世紀なのに西山古墳は四世紀で、三百年も先取りしている。三百年も経てば特許も著作権も切れてるパブリックドメインである。あるいはジェネリック古墳だ。

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西山古墳はあんまり立ち入りできない感じで、別に立ち入り禁止看板があるわけではないけど道がない。前方部の先の柵の切れ目から人が出入りしている形跡はあるけど近所の人の生活用通路っぽくてみだりに入れない気がする。なので下から眺めるだけにしておいた。後方部側は馬場であるらしく馬の蹄の跡が点々としてる。

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田畑の真ん中にあってそれ自体が畑になってる。耕されて小さくなったけど元は100メートルくらいあったらしい。それがコロッと転がされてるので奈良すごいな。

 

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ここらへんは古墳の密集地帯だけども、その中でもある程度まとまりがあるらしく、杣之内古墳群から少し南へ行くと大和古墳群に名前が変わる。どっちかというと大和古墳群のほうが畑っぽい。ノムギ古墳も畑の中に転がされてる。前方部は既になくなって畑化されてる。

 

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ノムギ古墳からは道路を挟んで隣り合ってる。これもかなり立派な前方後円墳だけど畑だ。くびれ部は畑をつなぐ道が通されていて完全に畑用古墳になってる。写真の右が後円部で左が前方部。

 

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地図ではこのあたりにあることになってたのだが何しろ畑なので古墳なのか畑なのか区別がつかない。もしかしたら古墳ではなくてただの畑なのではないかという疑念がつきまとう。おまけに近くにあった看板は古墳の史跡案内ではなくてここで作られてる柿の説明だった。

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やっぱり畑なのか。そういえばこのあたり、柿畑なのだ。

 

古墳群があるのは奈良盆地のヘリの部分なので実は真っ平ではないんだなあって、チャリで走ってて初めて気づいた。この日は朝から寒かったのでダウンジャケットやニット帽や手袋で重装備だったのだがアップダウンを何回か上ったり降りたりしてるうちに暑くなって全部脱いでチャリを漕ぐことにした(全裸という意味ではない)。真冬なのに汗だくになりながら思うには、衛星写真では平地の古墳に見えても実は丘陵地の自然地形を利用して造ってるらしい、あと丘陵地なので畑が多い。そして両者が組み合わさると古墳が畑になる。古墳+畑=古墳畑理論である。
ところでそのアップダウンのアップの先に、戦国時代に周濠が環濠として村の守りに使われていたという西山塚古墳があります。畑のみならずついに古墳は村になった。萱生環濠集落という中世の村で、静止した水面と、奈良っぽいのんびりした田舎の風景と、古い村の家がちょっとした非日常を形成している。

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下り坂の途中で見つけた古墳っぽい地形。一応写真に撮っておいた。後日読んだ本の地図ではこのあたりにホックリ塚古墳というのがあることになってたので、おそらくこれではないかなあと思っております。でも違うかも。図によってはホリック塚だったりするのだが、それだと若干のヤバさがある。

 

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デカい池がある。堤が高いので築造当時の周濠ではなさそうだと思ったけど、もしかしたら元々あった周濠を拡張したのかもしれない。養殖場になってるらしく、古墳の利用法その3だ。堤の上から墳丘を見ると背後に山を背負って水鏡に映る雄大な風景になる。

 

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下池山古墳の坂を下ると見えてくる古墳。大和古墳群の例に漏れず立派に畑として活躍しているけれど、反対側に回るともうひとつの顔がある。

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セブン古墳だ。
全国の古墳は十万基以上、対するコンビニは五万店くらい(らしい)。古墳ってコンビニより多いんだ。便利すぎてヤバいな。
たくさんあるもの同士が隣り合ってても何の不思議もない(セブンとファミマが向かい合ってる交差点とか特に珍しい感じはしない)のだが、意外とコンビニの隣が古墳というのは見たことがなかった。これが初めてかもしれない。ちなみにコメダの隣が古墳ってのは法隆寺の近くで見た。さすが奈良、古墳ならなんでもある。

今回の写真を撮った古墳一覧を静止地図にプロットしておきました。このあたりは衛星写真で見ると明らかに古墳っぽい地形が散らばっているので空想旅行にオススメです。以下マーカーと古墳の対応表。
A: ノムギ古墳
B: ヒエ塚古墳
C: マバカ古墳
D: 西山塚古墳
E: ホックリ塚古墳
F: 下池山古墳
G: 栗山古墳

ガルパン(の舞台の大洗にある古墳)はいいぞ

ガルパンの映画を見ました。去年の年末のこと。
別に感動のストーリーが売りってわけではないし、美少女と戦車の組合せは奇抜だけどそれ自体はまあそんなもんかなあってくらいで(ミリタリーは特に趣味ではなかった)テレビシリーズが始まった当初も興味がなくてスルーしてたのだが、一昨年に1年遅れでBSの再放送があって、ためしに見てみたのです。そしたら、

となって、

となった。
それで今回の劇場版を見て感激するに至ったのですが、何が琴線に触れたのかと考えてみるとよく分からぬ。ただなんだかすごくワクワクしたという余韻がある。
例えば劇場版のエキシビジョン戦で最初に戦車が続々と入ってくるシーン、そこから既にワクワクします。それから、市街戦で看板をぶっ飛ばすシーン、ああいうの大好きなんです。またあるいはデカい砲弾ブチこんだときの大爆発の大音量。さらにカンテレの音色とともにSäkkijärven Polkkaが流れて敵を翻弄するシーン。追いつめられつつもあの手この手で抵抗する戦車戦。そして最後のフラッグ車同士の決戦、あそこすごいですね。セリフほとんど無くて同じ場所で動いてるだけなのに緊張感もワクワク感も頂点に達する。

 

ところでアニメが面白いと聖地巡礼に行きます。ガルパンなら大洗。最初に下り立つ大洗駅がもはや悪ノリに近いくらいアニメに溢れている、ワクワクします。その駅を出たら駅前通りを左に進み、坂を下り、信号を越えて坂を上り、その頂点に近いあたりで右の細い道に入り、住宅地の坂を上る。その右側です。

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ワクワクスポット、車塚古墳
見て分かるくらいちゃんと円形が残ってて、発掘調査報告の測量図見たら等高線が綺麗に同心円になってる。直径87メートルの三段築成というので、相当エラい人のお墓です。全面を葺石で覆って、段の平坦な部分に埴輪を立て並べていたということで、1600年前の築造当初はデカくてピカピカで凄かったであろう。

そういえばガルパンの世界では古墳が築造当時の姿に復元されてたりしないかしら。葺石で固められた古墳をIV号戦車で駆け上がって墳頂から主砲で円筒埴輪をドカンドカン打ち込むシーンなんかあったら感激してしまう。

 

車塚の裏手に回ると日下ケ塚古墳

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前方後円墳であり、横から見ると結構きちんと形が残っているように見えるけれども、前方部の先っちょから見るとこうなっている。

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ガリガリっとやられている。
江戸時代の終わり頃に水戸藩が海防陣屋というのを作るために土が必要だというので削り取っちゃったらしい。水戸藩って古墳とか大事にするイメージだったのでちょっと意外である。それだけ危機が迫った時代だったのか、もしかしたら埋葬施設に手を付けなかったのが最大限の配慮かもしれない。あと、それ以外にも畑を作るために色んな人がチビチビ削っていったので、前方後円形はあまり原型をとどめていないとのこと。

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ふたつの古墳は隣り合っていて、日下ケ塚のてっぺんから見ると車塚は近くに見える。その向こうには涸沼川の左右に田んぼが広がっている。地形的にたぶん古代には河口近くから涸沼までひとつながりの浅い湖だったような感じです。

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図書館で読んでた資料にいわく、

古墳は当時半島状(もしくは島状)を呈していた交通上の要衝の地に、海を強く意識して、まさにランドマーク的な構造物として築造された。
[茨城県考古学協会「茨城県考古学協会誌」第20号、2008年]

とのことで、現代においてはこれだ。

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ランドマーク。現代における古墳、かも。

京都の古墳は庭だった

古都ではあっても古墳的な意味では歴史の浅い京都は奈良みたいなデカい古墳が無くて、それゆえこれまでも近くを通ることはあってもわざわざ見に行ったりはしなかった。地味な古墳ばかりっぽいし。でもネットで調べたら結構ネタが上がってて、ときどき(と言っても年に1,2回くらいだけど)近くを通る人間としては行かんわけにはイカンという気分が日に日に高まる。なのでついに行ってみたんです。そしたら案外スゴかった。蛇塚古墳

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嵐電帷子ノ辻駅から住宅地の中を南へ歩いて10分くらい。いかにも京都の住宅地っぽい細い道の正面に現れたのは柵に囲まれた小山。さすが京都、こんな住宅地の中にも庭園が残っている。築山を盛り上げて巨石をのせ、木を植えて、おそらく仏教世界の中心である須弥山を表現しているのであろう。
というといかにもそれっぽい感じだけど、これが古墳だった。

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写真中央左の白い鉄骨が四角く組まれている部分が石室の入り口で、須弥山を表しているかに見えた石は全部石室の石材である。この中に偉い人のヒツギを入れてたわけですね。元々は石室の上には分厚く土が盛り付けられて、推定全長75メートルの人工的でピカピカの前方後円墳だったはずだけど、長い年月(1400年くらい?)が流れて土も流れ出し、ついでに開発やら何やらで削り取られて最終的に動かしようのない石室だけが残ったという。奈良県の有名な石舞台古墳と同じですね、あっちは政治的な意図で壊されたんじゃないかって話もあるようだけど。案内看板によると石室のサイズ的には石舞台に匹敵するとのことで、京都なんていう大観光地に埋もれていなければ史跡整備とかして注目されたかもしれない。でも京都なので、お庭になった。

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石室入り口から。

この古墳のナイスなポイントは、庭みたいに綺麗に手入れされてるってことと、もうひとつは周囲ぐるりとめぐる住宅地の道です。あまりにもデカい石室なので泥棒が来ようが開発の波が押し寄せようが構わず頑張り続けて、結局後の世の人間が折れて現代でもここだけ道がロータリー状になっている。なので、

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宅配便のトラックが超ギリギリの幅のカーブををギリギリの運転で通り抜けていったりする。千四百年前の古墳が現代人の生活に影響している。

それから、案内看板からのネタとして、元が前方後円墳だったということなので、その痕跡が衛星写真から眺められる。

ちょっと分かりにくいけども、古墳周辺の家の向きが周囲と違うのでなんとなく輪郭が見える。右上が後円部、左下が前方部。土地区画として残ってるってことは、京都が発展していくある段階までは墳丘かその残骸が残ってたってことです。輪郭よりも外側の土地が古くて、前方後円形の内部は墳丘が無くなって以後の土地。京都ならいろんな記録が残ってるだろうし、もしかすると文献を調べまくったら古墳の変遷を辿れたりするのかなあ。

最後は前方部側からの写真。

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古墳から北アルプスが見える

 関東平野にあまりにも山が無さすぎてつらいので年に一度は山のあるところへ行くのだ。富士山の麓とか長野県とか。またあるいは東北に行ったり西の方へ行ったりもする。というか関東平野以外なら大抵どこでも山が見える。
 ところで、どこでも山があるとは言うけれど、どこも同じ風景かというとそんなこともなくって、例えば瀬戸内に行ったら「瀬戸内だなあ」と思うし、九州に行ったら「九州っぽいなあ」と思うような風景があるわけです。それで、松本盆地に行ったらそこはやはり「これが松本である」という風景がある。何かというと、雪を被った北アルプスが壁みたいにデデンとそびえている。
 そして松本盆地にある古墳は当然ながら背景に北アルプスを背負っている。

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 針塚古墳。石を積んで造った積石塚というスタイル。北アルプスがバックにあるので晴れているとたいへん眺めがよろしいです。

 そういえば以前、柳井茶臼山古墳の記事で「山陽っぽい」って書いたのも似たようなことだなあ。古墳って眺めのいい場所に造られてるケースが多いので周囲の風景が結構見た目の印象に影響を与えているのだ。古墳自体は円か方か前方後円か前方後方か、という感じで形が規格化されているとしても、風景の中ではちゃんとご当地感がある。それはいにしえの人々も目で見て感じたはずなので、大和のほうから信濃にやってきた旅人は、アルプスを背負った古墳を見て「信濃だなあ」と思ったのかもしれぬ。

 

 続いて同じくアルプスが見える古墳弘法山古墳。築造は3世紀後半ということなので1700年前ですか。古墳の中でも特に古い。前方後方墳です。盆地とその向こうの北アルプスを一望できる絶好のポジション。このへんで王様やってる人ならぜひともこんな場所に自分の墓を作ろうと思うものである。

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横長になりすぎたのでクリックで少し拡大できるようにしました。後方部から前方部を望む。周辺の木は桜であるらしく、春になるとお花見スポットなんだと。12月は花も葉もない。古墳の斜面にひっつき虫が密生しててズボンの足首がハリネズミになった。

 

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弘法山古墳に至る尾根の道。桜が満開になったらさぞ綺麗だろうなあ。新海誠のアニメに出てきそう。

出雲紀行3 そのほか

3ヶ月経過してなおまとまる気配のない旅行記をまとめるべく箇条書きを採用するに至った。

 

  • 青銅器

出雲といえば青銅器。理由はよく分かんないけど出雲の古代ピープルは青銅器をせっせと土に埋める事業をやっていたらしい。現代になっていっぱい掘り起こされたので古代のよくわかんない事業は現代人にセンセーションを巻き起こしてしまった。出雲大社の横にある古代出雲歴史博物館に大量のコレクションが展示されてて超スゴい。

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特に壁一面を全部使った銅剣展示を見たら興奮してしばらくそのあたりをうろうろしていた。

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部屋の真ん中の島に盛りつけられた銅鐸は国宝級の本物が並んでて興奮したので同じくまわりを三周くらいした。

 

大量の銅剣が出土した現場。古代の祭祀をおこなった場所ということになってるけど今は何もない。銅剣を埋めた理由は「儀式」というありきたりなやつの他に「信仰を捨てた」ってのもあるらしくて、どっちかというと二番目のほうがこの場所のひと気のない寂しい感じに合ってるようではある。

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  • 加茂岩倉遺跡

大量の銅鐸が出土した現場。銅鐸発見当時の銅鐸の埋納状況が再現されていて、これがドラえもんの「合成鉱脈の素」に出てくるシーンに似ている。あの道具はドラえもん全45巻の中でも特に好きです。フエルミラーとかも好きだったし、増える系が好きなのかもしれない。

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  • 塩津山墳墓群

古代ピープルのおはか。それだけでも価値があるけど、注目点がもうひとつあって、ずっと切通で走ってきた高速道路がこの場所だけトンネルで通り抜けている。ハイウェイ・アンダー・ザ・墳墓。墳墓は現代の道を変える。古代と現代が潰し合わずに接してる感じがよいのだ。

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  • 大刀 銘「額田部」

他に文字が刻まれた鉄剣で有名なのは埼玉県稲荷山古墳の「杖刀人」と熊本県江田船山古墳の「典曹人」を見たことがあります。いずれにしてもまだ文字で書かれた史料がほとんど無い時代の数少ない文字記録。今から千五百年近く前にも現代と同じ文字を使う人が暮らしていて、古代から現代までちゃんと地続きなんだなあと思える物です。古代だって現代と同じように偉い人がいて、普通の人がいて、変なオジサンとか綺麗なオネーサンとかもいたんです、きっと。人間は長い年月を経てもそんなに変わんないはずです。

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  • 鹿の埴輪

埴輪にしては写実的な造形と奇跡的な壊れ方のおかげで、現代アート的に美しい。八雲立つ風土記の丘資料館の展示物。

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移築古墳なので「ありのまま」「天然」的な有り難みはやや薄くなるけど古墳古墳なのでやはり古墳。石室に入っていいのかどうか思案して周囲を三周くらいしたところで中を覗いてみたら穴の下に踏み台っぽいビール箱が置いてあって、

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これは入れということだろうと思って入った。壁石がたいへん美しく積まれていて他人の墓ながらずっと入っていてもいいくらい。こんな墓で永眠したい。

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  • 古曽志大谷1号墳

壊されてしまった古墳を復元したということで天然物ではないけどコンクリート造の大阪城名古屋城にみんな楽しそうに登ってることからすると別に史跡って天然物でなくても良いのかもしれない。古墳の葺石がコンクリートできっちり固めて造ってあって青空の下でとても綺麗に見える。周囲の眺めもいかにも天然物にありそうだし、古墳の良さを人工的に作り出したって感じです。こういう方向性の古墳公園はアリだなあと思う。

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以上です。

出雲紀行その2 鉄道写真と古墳

古墳って山の中に人知れず残ってるというよりも、おおむね人間の生活空間に近いところにあるので、現代の大都会のどまんなかにあって公園になってたり、避けるために道路が曲がってたり、特に気にもされない近所の林だったりする。また時には潰すか潰さないかで揉めて行政の責任がどうのこうのという面倒臭い話が沸き起こったりもする。

都市の生活空間の中に古代遺跡があるってスタイル、他の国ではあんまりないんじゃないかなあと思って、いや、たぶんあるんでしょうけど、たとえばピラミッドとか別にカイロの住宅地の中にあるわけじゃないじゃないですか。あ、でもローマは都市の中にあります。ローマすごいですね。でもコロッセオでサッカーしないのに対して、日本の古墳の上では近所の少年がサッカーしてる。またときに犬が散歩でウンコとかしてる。扱いが超ぞんざいである。しかしそれだけ生活に溶け込んでいるということでもある、きっと。

そういう感じの、古墳 in 生活空間、みたいな風景が気に入ってるのだ。現代人の生活と古墳が接してるようなやつ。そしてついでに鉄道も好きなので、古墳と鉄道が同じ空間に存在して、あわよくば一枚の写真に(さらにできればカッコよく)収まるような風景がどこかにないものかと思って探してます。奈良県とか大阪府はそこかしこに古墳があるのでそういうのもありそうです。下は奈良の茅原大墓古墳に上ったときの写真で、古墳上から奈良線の電車が見える。撮る位置を工夫すれば1枚の写真に古墳と電車がちゃんと収まるかも。

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ところで奈良ではなく出雲旅行の途中で、古墳から鉄道写真が撮れるポイントを見つけた。古墳の手入れをしていたおじさんによると結構写真を撮りに来る人が多いらしいので、もしかしたら鉄道マニアの間では有名だったりするかも。

http://milkdebussy.tumblr.com/post/130814029189/ここは電車を撮りに来る人も多いんですよとおじさんは言ってた

探しているような古墳と列車を同時にフレームに収められるようなアングルはなかったけど、写真を撮った地点のすぐ背後には造山2号墳があり、いわゆるお立ち台と呼ばれるような典型的鉄道写真撮影地と、古墳とを同時に楽しめる一石二鳥スポット。古墳と鉄道というあんまり交わりそうにない2つのオタクの接点。

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ここでも少年はボール遊びをして犬は歩いていた。

出雲紀行その1 くにこ、くにこ

有名な出雲の国引き神話

「栲衾志羅紀の三埼を、国の余ありやと見れば、国の余あり」と詔りたまひて、(中略)三身の綱打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶に、河船の毛曾呂毛曾呂に、「くにこ、くにこ」と(出雲国風土記「意宇郡」条より)

出雲の神様である八束水臣津野命は国作りをしてみたけどどうにも上手くいかず、国が狭いので、「土地の余ってる対岸の新羅から切り分けてこっちに縫いつけなアカン」と言って、太い綱を引っ掛けて、繰るや繰るや、川船を引くように「もそろもそろ」とゆっくりと、いなくなったかつての愛人を連れ戻すように「くにこ、くにこ」と。(誤訳)

国引き神話の「国来」をひらがなで書き下す解説文を読んで以来、神力を使って邦子を連れ戻す神様の寂しそうな声とともに思い浮かべられるようになってしまったのである。新羅へ行ってしまった邦子。きっとその土地を引っ張ってくれば会える。
「くにこ、くにこ……」
宍道湖の湖面を波立たせる初秋の風は神様の悲嘆にくれる声である。
国よ、来い。

神様が対岸から引き寄せた土地が宍道湖の北側の島根半島で、その時に引っ張ってきた綱が薗の長浜(出雲市の西側にある砂浜は昔は細長い砂州だった)ということらしいです。スケールがデカい。さすが神話である。そして神話だから非現実的である。

それで、神話だから別にいいんだけれども、そんな取って付けたような作り話、たとえ科学が進歩していない時代とは言え古代人は信じていたのだろうかと、地図を見て思ってた。少なくとも地図(google map)を見る限りではそんなに夢のあるファンタジーって感じではないし、なんかワクワク感がないなあって。

そんなふうに思ってたところ、出雲旅行の途中で高台に上がってみたんです。松江市にある古墳の近く。宍道湖が見えて景色が綺麗。キラキラ輝いてる。それでふと西の方の遠景を見てたらひらめいてしまったのである。


ウオオ、しまったこれはファンタジーだ、手のひら返しでワクワクしちゃう。

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写真の右が北で、左が南。真ん中が出雲市街のある低地。こうやって見ると、右側の山(=島根半島)と左側の陸地(=本州)が綱(=低地部分)で繋がってるように見える。これなら神話があってもおかしくないじゃないですか。例えば湖上に霧が発生したような日に、モヤの向こうにうっすらと対岸が見える、そんなときに陸地側に光の加減かなんかで大きな人型の影が見えたりしたら、神話ができるかもしれない。

出雲神話をまとめて風土記を書いた出雲国造という今でいうところの島根県知事のような人は松江の南側に拠点を構えていたということなので、視点は宍道湖東海岸。写真と同じ方向から出雲を見ていたわけで、かなりリアルなファンタジーとして神話を捉えてたかもしれない。古代にはgoogle mapなんてなくて人間が実際に目で見た景色が全てだし、現代のオタクがgoogle mapだけを見て神話に疑問を呈するなどPC上の空論であった。

この感じを伝えるため、なけなしの絵心とペイントソフトで神様想像図を描いて写真に加えてみました。質感は全身タイツで肌は空色、霧の日に姿を現して動きはゆっくり。っていう設定で。

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