ガルパン(の舞台の大洗にある古墳)はいいぞ

ガルパンの映画を見ました。去年の年末のこと。
別に感動のストーリーが売りってわけではないし、美少女と戦車の組合せは奇抜だけどそれ自体はまあそんなもんかなあってくらいで(ミリタリーは特に趣味ではなかった)テレビシリーズが始まった当初も興味がなくてスルーしてたのだが、一昨年に1年遅れでBSの再放送があって、ためしに見てみたのです。そしたら、

となって、

となった。
それで今回の劇場版を見て感激するに至ったのですが、何が琴線に触れたのかと考えてみるとよく分からぬ。ただなんだかすごくワクワクしたという余韻がある。
例えば劇場版のエキシビジョン戦で最初に戦車が続々と入ってくるシーン、そこから既にワクワクします。それから、市街戦で看板をぶっ飛ばすシーン、ああいうの大好きなんです。またあるいはデカい砲弾ブチこんだときの大爆発の大音量。さらにカンテレの音色とともにSäkkijärven Polkkaが流れて敵を翻弄するシーン。追いつめられつつもあの手この手で抵抗する戦車戦。そして最後のフラッグ車同士の決戦、あそこすごいですね。セリフほとんど無くて同じ場所で動いてるだけなのに緊張感もワクワク感も頂点に達する。

 

ところでアニメが面白いと聖地巡礼に行きます。ガルパンなら大洗。最初に下り立つ大洗駅がもはや悪ノリに近いくらいアニメに溢れている、ワクワクします。その駅を出たら駅前通りを左に進み、坂を下り、信号を越えて坂を上り、その頂点に近いあたりで右の細い道に入り、住宅地の坂を上る。その右側です。

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ワクワクスポット、車塚古墳
見て分かるくらいちゃんと円形が残ってて、発掘調査報告の測量図見たら等高線が綺麗に同心円になってる。直径87メートルの三段築成というので、相当エラい人のお墓です。全面を葺石で覆って、段の平坦な部分に埴輪を立て並べていたということで、1600年前の築造当初はデカくてピカピカで凄かったであろう。

そういえばガルパンの世界では古墳が築造当時の姿に復元されてたりしないかしら。葺石で固められた古墳をIV号戦車で駆け上がって墳頂から主砲で円筒埴輪をドカンドカン打ち込むシーンなんかあったら感激してしまう。

 

車塚の裏手に回ると日下ケ塚古墳

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前方後円墳であり、横から見ると結構きちんと形が残っているように見えるけれども、前方部の先っちょから見るとこうなっている。

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ガリガリっとやられている。
江戸時代の終わり頃に水戸藩が海防陣屋というのを作るために土が必要だというので削り取っちゃったらしい。水戸藩って古墳とか大事にするイメージだったのでちょっと意外である。それだけ危機が迫った時代だったのか、もしかしたら埋葬施設に手を付けなかったのが最大限の配慮かもしれない。あと、それ以外にも畑を作るために色んな人がチビチビ削っていったので、前方後円形はあまり原型をとどめていないとのこと。

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ふたつの古墳は隣り合っていて、日下ケ塚のてっぺんから見ると車塚は近くに見える。その向こうには涸沼川の左右に田んぼが広がっている。地形的にたぶん古代には河口近くから涸沼までひとつながりの浅い湖だったような感じです。

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図書館で読んでた資料にいわく、

古墳は当時半島状(もしくは島状)を呈していた交通上の要衝の地に、海を強く意識して、まさにランドマーク的な構造物として築造された。
[茨城県考古学協会「茨城県考古学協会誌」第20号、2008年]

とのことで、現代においてはこれだ。

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ランドマーク。現代における古墳、かも。

京都の古墳は庭だった

古都ではあっても古墳的な意味では歴史の浅い京都は奈良みたいなデカい古墳が無くて、それゆえこれまでも近くを通ることはあってもわざわざ見に行ったりはしなかった。地味な古墳ばかりっぽいし。でもネットで調べたら結構ネタが上がってて、ときどき(と言っても年に1,2回くらいだけど)近くを通る人間としては行かんわけにはイカンという気分が日に日に高まる。なのでついに行ってみたんです。そしたら案外スゴかった。蛇塚古墳

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嵐電帷子ノ辻駅から住宅地の中を南へ歩いて10分くらい。いかにも京都の住宅地っぽい細い道の正面に現れたのは柵に囲まれた小山。さすが京都、こんな住宅地の中にも庭園が残っている。築山を盛り上げて巨石をのせ、木を植えて、おそらく仏教世界の中心である須弥山を表現しているのであろう。
というといかにもそれっぽい感じだけど、これが古墳だった。

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写真中央左の白い鉄骨が四角く組まれている部分が石室の入り口で、須弥山を表しているかに見えた石は全部石室の石材である。この中に偉い人のヒツギを入れてたわけですね。元々は石室の上には分厚く土が盛り付けられて、推定全長75メートルの人工的でピカピカの前方後円墳だったはずだけど、長い年月(1400年くらい?)が流れて土も流れ出し、ついでに開発やら何やらで削り取られて最終的に動かしようのない石室だけが残ったという。奈良県の有名な石舞台古墳と同じですね、あっちは政治的な意図で壊されたんじゃないかって話もあるようだけど。案内看板によると石室のサイズ的には石舞台に匹敵するとのことで、京都なんていう大観光地に埋もれていなければ史跡整備とかして注目されたかもしれない。でも京都なので、お庭になった。

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石室入り口から。

この古墳のナイスなポイントは、庭みたいに綺麗に手入れされてるってことと、もうひとつは周囲ぐるりとめぐる住宅地の道です。あまりにもデカい石室なので泥棒が来ようが開発の波が押し寄せようが構わず頑張り続けて、結局後の世の人間が折れて現代でもここだけ道がロータリー状になっている。なので、

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宅配便のトラックが超ギリギリの幅のカーブををギリギリの運転で通り抜けていったりする。千四百年前の古墳が現代人の生活に影響している。

それから、案内看板からのネタとして、元が前方後円墳だったということなので、その痕跡が衛星写真から眺められる。

ちょっと分かりにくいけども、古墳周辺の家の向きが周囲と違うのでなんとなく輪郭が見える。右上が後円部、左下が前方部。土地区画として残ってるってことは、京都が発展していくある段階までは墳丘かその残骸が残ってたってことです。輪郭よりも外側の土地が古くて、前方後円形の内部は墳丘が無くなって以後の土地。京都ならいろんな記録が残ってるだろうし、もしかすると文献を調べまくったら古墳の変遷を辿れたりするのかなあ。

最後は前方部側からの写真。

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古墳から北アルプスが見える

 関東平野にあまりにも山が無さすぎてつらいので年に一度は山のあるところへ行く。富士山の麓とか長野県とか。またあるいは東北に行ったり西の方へ行ったりもする。というか関東平野以外なら大抵どこでも山が見える。
 ところで、どこでも山があるとは言うけれど、どこも同じ風景かというとそんなこともなくって、例えば瀬戸内に行ったら「瀬戸内だなあ」と思うし、九州に行ったら「九州っぽいなあ」と思うような風景があるわけです。それで、松本盆地に行ったらそこはやはり「これが松本である」という風景がある。何かというと、雪を被った北アルプスが壁みたいにデデンとそびえている。
 そして松本盆地にある古墳は当然ながら背景に北アルプスを背負っている。

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 針塚古墳。石を積んで造った積石塚というスタイル。北アルプスがバックにあるので晴れているとたいへん眺めがよろしいです。

 そういえば以前、柳井茶臼山古墳の記事で「山陽っぽい」って書いたのも似たようなことだなあ。古墳って眺めのいい場所に造られてるケースが多いので周囲の風景が結構見た目の印象に影響を与えているのだ。古墳自体は円か方か前方後円か前方後方か、という感じで形が規格化されているとしても、風景の中ではちゃんとご当地感がある。それはいにしえの人々も目で見て感じたはずなので、大和のほうから信濃にやってきた旅人は、アルプスを背負った古墳を見て「信濃だなあ」と思ったのかもしれぬ。

 

 続いて同じくアルプスが見える古墳、弘法山古墳。築造は3世紀後半ということなので1700年前です。古墳の中でも特に古い。前方後方墳です。盆地とその向こうの北アルプスを一望できる絶好のポジション。このへんで王様やってる人ならぜひともこんな場所に自分の墓を作ろうと思うものである。

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横長になりすぎたのでクリックで少し拡大できるようにしました。後方部から前方部を望む。周辺の木は桜であるらしく、春になるとお花見スポットなんだと。12月は花も葉もない。古墳の斜面にひっつき虫が密生しててズボンの足首がハリネズミになった。

 

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弘法山古墳に至る尾根の道。桜が満開になったらさぞ綺麗だろうなあ。新海誠のアニメに出てきそう。

出雲紀行3 そのほか

3ヶ月経過してなおまとまる気配のない旅行記をまとめるべく箇条書きを採用するに至った。

 

  • 青銅器

出雲といえば青銅器。理由はよく分かんないけど出雲の古代ピープルは青銅器をせっせと土に埋める事業をやっていたらしい。現代になっていっぱい掘り起こされたので古代のよくわかんない事業は現代人にセンセーションを巻き起こしてしまった。出雲大社の横にある古代出雲歴史博物館に大量のコレクションが展示されてて超スゴい。

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特に壁一面を全部使った銅剣展示を見たら興奮してしばらくそのあたりをうろうろしていた。

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部屋の真ん中の島に盛りつけられた銅鐸は国宝級の本物が並んでて興奮したので同じくまわりを三周くらいした。

 

大量の銅剣が出土した現場。古代の祭祀をおこなった場所ということになってるけど今は何もない。銅剣を埋めた理由は「儀式」というありきたりなやつの他に「信仰を捨てた」ってのもあるらしくて、どっちかというと二番目のほうがこの場所のひと気のない寂しい感じに合ってるようではある。

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  • 加茂岩倉遺跡

大量の銅鐸が出土した現場。銅鐸発見当時の銅鐸の埋納状況が再現されていて、これがドラえもんの「合成鉱脈の素」に出てくるシーンに似ている。あの道具はドラえもん全45巻の中でも特に好きです。フエルミラーとかも好きだったし、増える系が好きなのかもしれない。

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  • 塩津山墳墓群

古代ピープルのおはか。それだけでも価値があるけど、注目点がもうひとつあって、ずっと切通で走ってきた高速道路がこの場所だけトンネルで通り抜けている。ハイウェイ・アンダー・ザ・墳墓。墳墓は現代の道を変える。古代と現代が潰し合わずに接してる感じがよいのだ。

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  • 大刀 銘「額田部」

他に文字が刻まれた鉄剣で有名なのは埼玉県稲荷山古墳の「杖刀人」と熊本県江田船山古墳の「典曹人」を見たことがあります。いずれにしてもまだ文字で書かれた史料がほとんど無い時代の数少ない文字記録。今から千五百年近く前にも現代と同じ文字を使う人が暮らしていて、古代から現代までちゃんと地続きなんだなあと思える物です。古代だって現代と同じように偉い人がいて、普通の人がいて、変なオジサンとか綺麗なオネーサンとかもいたんです、きっと。人間は長い年月を経てもそんなに変わんないはずです。

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  • 鹿の埴輪

埴輪にしては写実的な造形と奇跡的な壊れ方のおかげで、現代アート的に美しい。八雲立つ風土記の丘資料館の展示物。

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移築古墳なので「ありのまま」「天然」的な有り難みはやや薄くなるけど古墳古墳なのでやはり古墳。石室に入っていいのかどうか思案して周囲を三周くらいしたところで中を覗いてみたら穴の下に踏み台っぽいビール箱が置いてあって、

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これは入れということだろうと思って入った。壁石がたいへん美しく積まれていて他人の墓ながらずっと入っていてもいいくらい。こんな墓で永眠したい。

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  • 古曽志大谷1号墳

壊されてしまった古墳を復元したということで天然物ではないけどコンクリート造の大阪城名古屋城にみんな楽しそうに登ってることからすると別に史跡って天然物でなくても良いのかもしれない。古墳の葺石がコンクリートできっちり固めて造ってあって青空の下でとても綺麗に見える。周囲の眺めもいかにも天然物にありそうだし、古墳の良さを人工的に作り出したって感じです。こういう方向性の古墳公園はアリだなあと思う。

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以上です。

出雲紀行その2 鉄道写真と古墳

古墳って山の中に人知れず残ってるというよりも、おおむね人間の生活空間に近いところにあるので、現代の大都会のどまんなかにあって公園になってたり、避けるために道路が曲がってたり、特に気にもされない近所の林だったりする。また時には潰すか潰さないかで揉めて行政の責任がどうのこうのという面倒臭い話が沸き起こったりもする。

都市の生活空間の中に古代遺跡があるってスタイル、他の国ではあんまりないんじゃないかなあと思って、いや、たぶんあるんでしょうけど、たとえばピラミッドとか別にカイロの住宅地の中にあるわけじゃないじゃないですか。あ、でもローマは都市の中にあります。ローマすごいですね。でもコロッセオでサッカーしないのに対して、日本の古墳の上では近所の少年がサッカーしてる。またときに犬が散歩でウンコとかしてる。扱いが超ぞんざいである。しかしそれだけ生活に溶け込んでいるということでもある、きっと。

そういう感じの、古墳 in 生活空間、みたいな風景が気に入ってるのだ。現代人の生活と古墳が接してるようなやつ。そしてついでに鉄道も好きなので、古墳と鉄道が同じ空間に存在して、あわよくば一枚の写真に(さらにできればカッコよく)収まるような風景がどこかにないものかと思って探してます。奈良県とか大阪府はそこかしこに古墳があるのでそういうのもありそうです。下は奈良の茅原大墓古墳に上ったときの写真で、古墳上から奈良線の電車が見える。撮る位置を工夫すれば1枚の写真に古墳と電車がちゃんと収まるかも。

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ところで奈良ではなく出雲旅行の途中で、古墳から鉄道写真が撮れるポイントを見つけた。古墳の手入れをしていたおじさんによると結構写真を撮りに来る人が多いらしいので、もしかしたら鉄道マニアの間では有名だったりするかも。

http://milkdebussy.tumblr.com/post/130814029189/ここは電車を撮りに来る人も多いんですよとおじさんは言ってた

探しているような古墳と列車を同時にフレームに収められるようなアングルはなかったけど、写真を撮った地点のすぐ背後には造山2号墳があり、いわゆるお立ち台と呼ばれるような典型的鉄道写真撮影地と、古墳とを同時に楽しめる一石二鳥スポット。古墳と鉄道というあんまり交わりそうにない2つのオタクの接点。

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ここでも少年はボール遊びをして犬は歩いていた。

出雲紀行その1 くにこ、くにこ

有名な出雲の国引き神話

「栲衾志羅紀の三埼を、国の余ありやと見れば、国の余あり」と詔りたまひて、(中略)三身の綱打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶に、河船の毛曾呂毛曾呂に、「くにこ、くにこ」と(出雲国風土記「意宇郡」条より)

出雲の神様である八束水臣津野命は国作りをしてみたけどどうにも上手くいかず、国が狭いので、「土地の余ってる対岸の新羅から切り分けてこっちに縫いつけなアカン」と言って、太い綱を引っ掛けて、繰るや繰るや、川船を引くように「もそろもそろ」とゆっくりと、いなくなったかつての愛人を連れ戻すように「くにこ、くにこ」と。(誤訳)

国引き神話の「国来」をひらがなで書き下す解説文を読んで以来、神力を使って邦子を連れ戻す神様の寂しそうな声とともに思い浮かべられるようになってしまったのである。新羅へ行ってしまった邦子。きっとその土地を引っ張ってくれば会える。
「くにこ、くにこ……」
宍道湖の湖面を波立たせる初秋の風は神様の悲嘆にくれる声である。
国よ、来い。

神様が対岸から引き寄せた土地が宍道湖の北側の島根半島で、その時に引っ張ってきた綱が薗の長浜(出雲市の西側にある砂浜は昔は細長い砂州だった)ということらしいです。スケールがデカい。さすが神話である。そして神話だから非現実的である。

それで、神話だから別にいいんだけれども、そんな取って付けたような作り話、たとえ科学が進歩していない時代とは言え古代人は信じていたのだろうかと、地図を見て思ってた。少なくとも地図(google map)を見る限りではそんなに夢のあるファンタジーって感じではないし、なんかワクワク感がないなあって。

そんなふうに思ってたところ、出雲旅行の途中で高台に上がってみたんです。松江市にある古墳の近く。宍道湖が見えて景色が綺麗。キラキラ輝いてる。それでふと西の方の遠景を見てたらひらめいてしまったのである。


ウオオ、しまったこれはファンタジーだ、手のひら返しでワクワクしちゃう。

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写真の右が北で、左が南。真ん中が出雲市街のある低地。こうやって見ると、右側の山(=島根半島)と左側の陸地(=本州)が綱(=低地部分)で繋がってるように見える。これなら神話があってもおかしくないじゃないですか。例えば湖上に霧が発生したような日に、モヤの向こうにうっすらと対岸が見える、そんなときに陸地側に光の加減かなんかで大きな人型の影が見えたりしたら、神話ができるかもしれない。

出雲神話をまとめて風土記を書いた出雲国造という今でいうところの島根県知事のような人は松江の南側に拠点を構えていたということなので、視点は宍道湖東海岸。写真と同じ方向から出雲を見ていたわけで、かなりリアルなファンタジーとして神話を捉えてたかもしれない。古代にはgoogle mapなんてなくて人間が実際に目で見た景色が全てだし、現代のオタクがgoogle mapだけを見て神話に疑問を呈するなどPC上の空論であった。

この感じを伝えるため、なけなしの絵心とペイントソフトで神様想像図を描いて写真に加えてみました。質感は全身タイツで肌は空色、霧の日に姿を現して動きはゆっくり。っていう設定で。

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出雲紀行その0 マジで四隅が突出しちゃう

ものごとはたぶん、いきなり始まっていきなり終わるんじゃなくて、それ以前もそれ以後もだいたい連続的に変わっていきます。デカい隕石がぶつかって恐竜が絶滅したとして、恐竜の歴史はいきなり終わるけれども、かといってそれ以前にはいなかった生物が翌年の春にいきなり土の中から出てきたりはしないし、ネズミみたいな連中の進化速度が生物学的な限界を突破していきなりヒトになったりはしない。変化はなんとなくフニャフニャとしてぼんやりグラデーションになっている。という感じで、古墳の築造も流行の始まりと終わりがあって、またいっぽうで、ちゃんと連続的に「それ以前」があるらしい。(「以後」はよく分からないけど、ことによると恐竜みたいにプツッと終わったのかも)

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年表的なやつ。古墳時代古墳を造ってたのは分かるけど、それ以前の弥生時代は偉い人の墓はどうなってたのか? 

答えは以前読んだ本にこうありました。都出比呂志「古代国家はいつ成立したか」岩波新書、p.43より。

弥生時代末期になると、リーダー一族の円形墓や方形墓の前面に、方形の祭壇が付設されるようになります。こうなると墓は前方後円墳や前方後方墳にとても近い形になります。このようにしてユニークな形の墓、前方後円墳、前方後方墳が誕生したとわかってきました。

そして近畿、九州北部、山陰、瀬戸内それぞれの特徴的なお墓の形態が紹介されていきますが、山陰はとりわけ現代人的センスから申しますとビビっと来る。

日本海沿岸では、弥生時代後期のリーダーたちは、特色ある墳丘墓を発達させました。それは四隅突出墓です。方形の四隅に大きな突起があることから四隅突出墓と呼ばれる(以下略)

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上から見た形を図にするとこうです。超ナイスな古代センス。

墓である以上は心理的または儀式上の必要性からこうしたんだろうし、そう考えると山陰人なかなか時代の中を突出して進んでた感がある。

ところで古墳以前を見に行こうというならば、せっかくなので四隅突出墓の中でもなるたけ古いのを見たい。そうしてまた別の本、松木武彦「古墳とはなにか」角川選書、より。

はっきりと四隅を強調させた最古の例は、現在のところ三次盆地や、島根県東部の出雲地方で見つかっている。

ということなら島根県で新旧の四隅突出墓を見れば良いのだけれど、どうも三次盆地のほうがちょっとだけ古いらしく、そっちをスタート地点にしました。

さて三次に着いて、実はその古い四隅突出墓がどこなのか調べてなかった。超いい加減な旅行日程である。そこでまずホテルでナイスなチャリを借りまして、

スマホでチョチョイと検索してチャリで行ける四隅突出墓を調べ出し、google mapで確認し(スマホは見知らぬ地方都市でのチャリ移動すらイージーモードに変えてしまった)猛スピードで走りだしたのであった。中国地方の9月は稲藁の匂いがして懐かしい感じがする。

しかし後で調べて分かったのだけれど、今回行った矢谷古墳古墳と付くけど古墳「以前」)は四隅突出墓の中でもわりと後発組らしくて、できるだけ古いのを見ようという意図は達成されていなかったらしい。この段階では知る由もなかった。

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さて、着きまして。

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ウオオ、マジで四隅が突出してる。

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これが四隅。突出してる。

築造当初の姿を復元したものなのか、単にそれっぽく仕上げただけなのか不明なので何とも言えないけれども、どう見ても古墳よりも低いです。あと墓穴がたくさんある。これは本にも書いてあることだけど、弥生時代はまだエラい人個人を劇的に祭り上げる文化じゃないので墓はそれほど目立たせる必要はなくて、ちょっと土を盛ったところに石を貼って「ここが村長一族の墓」みたいな感じで、現代の墓石とか墓の土台とかに近いっぽい。しかしながらこんな画期的な墓を見た古代人が「もうちょっと大きくしてみたい」って思ってしまうのは当然の感情(たぶん)なので、まもなく古墳の時代が始まるだろうなあという予感がします。

それから、近くの風土記の丘に矢谷古墳から見つかった特殊器台・特殊壺が展示されています。

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これは後の時代の円筒埴輪の原型になったというやつですが、この形が壺だけにツボに来る。台の上に壺だもん。それに紋様がカッコいい。ぜひ我が家にひとつほしい。ここまでデカくなくてもいいけど(これで高さ1.5メートルある)こんな壺にお酒入れて月を見ながらグビグビ飲むのにあこがれるのです。