出雲紀行その0 マジで四隅が突出しちゃう

ものごとはたぶん、いきなり始まっていきなり終わるんじゃなくて、それ以前もそれ以後もだいたい連続的に変わっていきます。デカい隕石がぶつかって恐竜が絶滅したとして、恐竜の歴史はいきなり終わるけれども、かといってそれ以前にはいなかった生物が翌年の春にいきなり土の中から出てきたりはしないし、ネズミみたいな連中の進化速度が生物学的な限界を突破していきなりヒトになったりはしない。変化はなんとなくフニャフニャとしてぼんやりグラデーションになっている。という感じで、古墳の築造も流行の始まりと終わりがあって、またいっぽうで、ちゃんと連続的に「それ以前」があるらしい。(「以後」はよく分からないけど、ことによると恐竜みたいにプツッと終わったのかも)

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年表的なやつ。古墳時代古墳を造ってたのは分かるけど、それ以前の弥生時代は偉い人の墓はどうなってたのか? 

答えは以前読んだ本にこうありました。都出比呂志「古代国家はいつ成立したか」岩波新書、p.43より。

弥生時代末期になると、リーダー一族の円形墓や方形墓の前面に、方形の祭壇が付設されるようになります。こうなると墓は前方後円墳や前方後方墳にとても近い形になります。このようにしてユニークな形の墓、前方後円墳、前方後方墳が誕生したとわかってきました。

そして近畿、九州北部、山陰、瀬戸内それぞれの特徴的なお墓の形態が紹介されていきますが、山陰はとりわけ現代人的センスから申しますとビビっと来る。

日本海沿岸では、弥生時代後期のリーダーたちは、特色ある墳丘墓を発達させました。それは四隅突出墓です。方形の四隅に大きな突起があることから四隅突出墓と呼ばれる(以下略)

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上から見た形を図にするとこうです。超ナイスな古代センス。

墓である以上は心理的または儀式上の必要性からこうしたんだろうし、そう考えると山陰人なかなか時代の中を突出して進んでた感がある。

ところで古墳以前を見に行こうというならば、せっかくなので四隅突出墓の中でもなるたけ古いのを見たい。そうしてまた別の本、松木武彦「古墳とはなにか」角川選書、より。

はっきりと四隅を強調させた最古の例は、現在のところ三次盆地や、島根県東部の出雲地方で見つかっている。

ということなら島根県で新旧の四隅突出墓を見れば良いのだけれど、どうも三次盆地のほうがちょっとだけ古いらしく、そっちをスタート地点にしました。

さて三次に着いて、実はその古い四隅突出墓がどこなのか調べてなかった。超いい加減な旅行日程である。そこでまずホテルでナイスなチャリを借りまして、

スマホでチョチョイと検索してチャリで行ける四隅突出墓を調べ出し、google mapで確認し(スマホは見知らぬ地方都市でのチャリ移動すらイージーモードに変えてしまった)猛スピードで走りだしたのであった。中国地方の9月は稲藁の匂いがして懐かしい感じがする。

しかし後で調べて分かったのだけれど、今回行った矢谷古墳古墳と付くけど古墳「以前」)は四隅突出墓の中でもわりと後発組らしくて、できるだけ古いのを見ようという意図は達成されていなかったらしい。この段階では知る由もなかった。

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さて、着きまして。

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ウオオ、マジで四隅が突出してる。

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これが四隅。突出してる。

築造当初の姿を復元したものなのか、単にそれっぽく仕上げただけなのか不明なので何とも言えないけれども、どう見ても古墳よりも低いです。あと墓穴がたくさんある。これは本にも書いてあることだけど、弥生時代はまだエラい人個人を劇的に祭り上げる文化じゃないので墓はそれほど目立たせる必要はなくて、ちょっと土を盛ったところに石を貼って「ここが村長一族の墓」みたいな感じで、現代の墓石とか墓の土台とかに近いっぽい。しかしながらこんな画期的な墓を見た古代人が「もうちょっと大きくしてみたい」って思ってしまうのは当然の感情(たぶん)なので、まもなく古墳の時代が始まるだろうなあという予感がします。

それから、近くの風土記の丘に矢谷古墳から見つかった特殊器台・特殊壺が展示されています。

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これは後の時代の円筒埴輪の原型になったというやつですが、この形が壺だけにツボに来る。台の上に壺だもん。それに紋様がカッコいい。ぜひ我が家にひとつほしい。ここまでデカくなくてもいいけど(これで高さ1.5メートルある)こんな壺にお酒入れて月を見ながらグビグビ飲むのにあこがれるのです。

浜松町でモーニングして仏を拝んで古墳を愛でる朝

大学生のときに気づいたんだけれども、ビッグサイトでおこなわれる盆暮れのイベントに参加するときに、浜松町を基点にするのがわりと便利です。浜松町からはビッグサイト行の路線バスが出てて(当時は都営バスの虹01系統、今はkmフラワーバス)、貿易センタービルのコインロッカーはあのイベント期間中にありながら空きがある。京王線沿線に住んでた当時は乗り換えも京王線→都営新宿線都営大江戸線と行けばそんなに面倒でもない。それで、よく使っていました。
浜松町といえば新橋から連なるオフィスビルが多くて、つまり平日はサラリーマンだらけだけど休日は人が少ない。特に土日の朝ともなればなおさら閑散としてます。だから盆とか年末年始のビッグサイトへ行く前の朝食に最適で、始発で行くほどには熱狂的じゃない半端なオタクにとってはここで優雅に朝食を摂って、現地の阿鼻叫喚をネット経由で眺めつつ、ワクワクしながら虹01系統の乗り場へ向かうのが最高にテンション上がる時間だった。

駅直結の貿易センタービルの中にもカフェとかいろいろあるんだけれど、とくにイベントとかに出かけるわけでないときは地下鉄の大門駅を上がったところにある上島珈琲店にしてます。JRの駅からまっすぐに来る客はいなさそうな立地なので超空いてる、かと思いきや時々外国人観光客が早朝からダベってたりするのが謎っぽい。モノレール経由で羽田に行く人かしら。それにしてもハンバーガー屋とかよりはくつろいで本を読めるので良いです。ここで一日の予定を考えたりする。

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そうして朝食を食べてのんびりして、じゃあどこか目的地に行こうかと思うわけですが、ちょっとお待ちください。上島珈琲店、たしかに良いんだけど、別に浜松町じゃなくてもあるんです。チェーンなのでわりとどこにもある。せっかくなので、浜松町っぽいところに行きたい。それで、西へ向かって歩きます。一般的に西には浄土がある。三蔵法師も西へ向かって旅をしたという。


浜松町の西にあるのは増上寺。歴史的にも江戸幕府との繋がりが色々ある寺ということだけどひとまず調べるのは後回しにして、増上寺のポイントとしては土日の朝から門が開いてるってことです。門をくぐる。東京タワーを背景にして本堂がある。本堂も出入り自由。

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本堂に入ってお賽銭入れて焼香します。するとその先にパイプ椅子が並んでいる。誰もいない。そこで座って、正面の金色に輝くご本尊を眺めながらこちらも頑張って如来のごとき穏やかな顔でぼうっとしてると、なんだか宇宙の深淵を覗いたような気がしなくもない。雨の日に雨だれの音を聞きながらぼうっとするのがよいです。ザアザアと途切れのない音が繰り返し遠くから聞こえてくる他は物音もなく、静かな本堂に雨の匂いとお香の匂いが混ざっている。目を開けば薄暗い向こう側に阿弥陀如来南無阿弥陀仏。たぶんこれだけで結構いい休日になりそうな感じがする。

 

増上寺を出て、今度は南に行きます。行きますというか、以前から行こうと思ってて時間がないのを理由にちっとも行かなくて、今回初めて行ったんですが、芝公園の奥のほうに木に覆われた小山がある。これが芝丸山古墳です。東京の真ん中ではないけどそれなりにビルに囲まれた場所に前方後円墳があるってのはなんかとんでもないことですね。千五百年前に東京のあたりを治めていたたいそうエラいオジサンのお墓。まさか目と鼻の先にヤマトの大王家が引っ越してくるとは思わなかっただろうなあと思う。

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芝公園の側から入るとまずコンクリートを積み重ねた段があり、まさかこれが古墳の段築かと一瞬思ったけどそれにしては段が多すぎるので、たぶん後の世にいろいろやったんじゃないかと思います。いろいろですね。

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階段を上って、かなり上って、ようやく後円部にたどりつきました。石が置いてあるのが石室のある場所を示しているのかなあと思う。形はかなり削られているとのことだけど、上を歩いたところそれなりに前方後円形がとどめられていて、こんな都心にありながらちゃんと古墳を感じることができるナイスなスポットです。

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(やや見にくいけどサイドビュー。奥の盛り上がった小山が古墳。右が後円部、左側が前方部)

 

あと周辺を歩いてみたところこの場所って東京タワーの立ってる台地とひとつながりなんですね。台地の先端のちょっと盛り上がったところに古墳が造られてる。芝にかぎらず台地の先っちょって古墳が多くて(実際に数えたわけじゃないけど印象として)、たぶんシモジモの人からよく見えるようにしたんだと思うけども。あ、そういえば東京って武蔵野台地の先端に街が作られてるので、きっと江戸時代に造成したときに相当数の古墳が潰されちゃったんじゃなかろうかと思うんです。惜しいなあ。でも古墳を潰すとなると当時としては謎の石組みとか鏡とか刀剣甲冑、ことによると骸骨が出てきたりするので、記録に残ってたりするかもしれないし、江戸時代の怪談話の中に痕跡があるかもしれない。調べるのはあまりにも骨が折れるけれども。

青塚古墳に行くつもりで青塚古墳に着いた

栄からバスに揺られて三十分。手に持ったスマホgoogleマップでは目的地にはまだ遠い。にも関わらず早くも到着アナウンス。おかしい。これは明らかにおかしい。こんな場所ではないはずなのに。次のバス停までの距離が異様に長いとか? というのは希望的観測で、不安が徐々に募って涼しいバスの中なのに汗がタラタラ流れる。バスが停まった左手には木に覆われた小山。見た瞬間にわかった。いくつも古墳を見てきたんだからこの小山が古墳だってことくらい分かる。ああ、しまった、これは。きっとこれも青塚古墳なのだ。私の目指していた青塚古墳ではないけれど青塚古墳なのだ。見知らぬ土地にひとり、人通りもなく蝉の声だけの夏。炎天下に帰りのバスは2時間後。ヤバい。

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名古屋のわりと近くに青塚古墳というキレイに整備された前方後円墳があります。衛星写真でみるとバッチリ鍵穴型ですね、前方部には壇がある。Twitterとかでたまに写真が紹介されてるのを見たりしてたいへん整って美しい印象だったので次に名古屋に行ったらついでに青塚古墳も見てこようとかねがね思ってた。

 そんなふうに行きたいなあと思っていたら、盆休みの旅行の途中で名古屋を通過する日程が組めたので青塚古墳に行くことにした。しかし調べてみると交通不便である。造られた当初は幹線道路とか村とかからよく見える場所だったはずだけど、今は駅から遠い。最寄りの名鉄小牧線楽田駅から徒歩30分、歩けないことはないというか普段なら喜んで散歩する距離なのだが真夏のど真ん中の8月ではとても歩く気にはならぬ。それで、バスの程良いのがないかと調べてみたら、犬山市コミュニティバスがまさに楽田駅から青塚古墳を結んでいるけれども、月火金曜日しか走っていないので休日は使えないです。

さてどうしたものか。と思ってそんなときこそGoogleの出番である。「青塚古墳 バス」とかで検索したら出てくるじゃないですか。豊山町コミュニティバス。しかも栄から出てて超便利。もうこれしかない、すごい大発見だ。

自分の大発見を賞賛しつつバスに乗った。そしたら違った。

 

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それで、冒頭に戻ります。
この古墳を造った偉い人も、自分の墓が後世に勝手に付けられた名前のせいで他人の墓と間違われるとは思わなかっただろうなあ。犬山市豊山町。わりと近い場所にあるふたつの町に、青塚古墳という同名の古墳がある。ということを、バス降りたその場でGoogle先生に訊ねて知った。

一応墳丘に登ってみて、円墳かな、方墳かな、などと考えていたが、しかしすっかり「やっちまった感」にやられてしまったのでそのままトボトボと猛暑の中を歩いて帰ることに。ずっと徒歩を覚悟していたけど幸いにも近くにバス停があった。
同じように間違える人がいるかもしれないので帰りのバス停情報を。迷える古墳マニアに届くかしら。
古墳のちょっと東にある県道161号線を南に歩いて行くと、セブンのある交差点の先にバス停があります。徒歩10分くらい。栄まで乗り換えなしで帰れます。すぐ近くにコメダもあるので休憩もバッチリですね。

それから、せっかく訪れたのに何も調べないのはもったいないので、名古屋の図書館で資料を探してみた。「豊山町史」に2ページくらい載ってたので抜書きします。

  • 見た目は円墳っぽいけどたぶん前方後円墳である。
  • 削られた前方部を加えると結構デカい。
  • 現在の富士神社はわりと新しくて、以前は物部八所神社と言った。
  • なので古墳の主は物部氏の一族ではないか。
  • 古墳の中心軸は物部氏の故郷である大和を向いている。

最後ふたつはあやふやで、そもそも古墳と神社ってあんま関係ないのではとか、古墳の向きって他の理由があるんじゃないかとか思ったりもします。

ともあれ間違えなければ一生行かなかったであろう古墳、これも何かの縁ですね。

Image Composite Editorで古墳パノラマ

茨城県にある富士見塚古墳。この古墳を語る前にまずは写真を見てくれ。こいつをどう思う?

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「すごく……繋がってないです……」

 

そう、パノラマ写真が繋がんなかったのです。一番右側の、古墳のおケツの部分の一枚。こんなこともあるのだ。ちなみに合成に使ったソフトはwindowsフォトギャラリーにオマケで付いてるパノラマ機能で、windows付属のわりにこれまでよく働いてくれた。

なんで繋がらないのか考えてみたところ、きっと青空と芝生、みたいに繋ぎ目が単調だとイケナいんだろうなあという結論に至った。スマホgoogleカメラとかだと次にカメラを向ける場所を画面上で表示してくれるしその場で合成結果見てやり直せるのでこんなことは無いんだけど、デジカメで撮ったやつを家に持って帰って合成する場合は判断が難しい。

ひとまずパノラマ合成するソフトを変えてみることにしました。ググってまとめっぽいサイトのリストの中からとりあえず開発元のネームバリューが一番あるやつを選んでmicrosoftのImage composite Editorにしました。超適当だけどそこんとこは時間がないので面倒な比較検証などは省略しよう。インストールも簡単。起動。合成。

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繋がった。

このImage Composite Editorの素晴らしいのは合成が上手くいったという他にもうひとつあって、Auto cropボタンを押すと合成後の画像周辺に残る黒枠に内接する四角形で切り取ってくれる。フォトギャラリーのオマケ合成にはここまで親切な機能が無かったので画像編集ソフトで「このへんかな? ちょっと内側すぎるかな?」なんてチマチマとトライ・アンド・エラーを繰り返してギリギリのラインでトリミングしてたのだけど、そんなところで神経使う必要がなくなったのである。

①起動してNEW PANORAMAをクリック。合成する画像を複数枚選ぶ。

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②NEXTをクリック。

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③投影法を選べるオプション。詳しくはよくわからなかった。解説サイトによるとCylindricalを選んでおけば大体問題ないらしいけど、周辺部分の歪みや距離感を見て時々他の投影法にしたくなるときもあった。
④傾きを補正できるオプション。ベリー便利。
⑤NEXTをクリック。

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⑥Auto Cropを押すとほどよく切り取ってくれる。
⑦NEXTをクリック。

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⑧Export to Diskをクリックして保存。

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そんなわけで富士見塚古墳のサイドビューが完成したのだ。ウホッ! いい古墳……。

でも特に注目されているわけでもないらしく日曜日でも他に古墳マニアっぽいおじさんが一人いただけで静かだった。公共交通機関で来るには遠いけれども、霞ヶ浦の眺めも良くて広くて爽やかで墳丘が綺麗なのでかなりオススメスポットです。
上の写真の手前に造出がありまして、ここから古墳の王様に南無南無とお参りするわけですが、というかたぶんまだ仏教はきちんと伝わっていない時代のソレなので南無とは言わないんだろうけどそこは置いといて、墳丘の向こう側は、上に立って見るとこんなふうに霞ヶ浦がある。

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拝んでいる人はみんな偉い王様の背後に霞ヶ浦を見る。反対に霞ヶ浦で舟を漕ぐ下々のピープルからも見える。あと富士見塚って言うくらいだからもしかしたら墳丘から富士山見えるかも。(この日は霞んでて見えなかった)デカいお墓造るには絶好のロケーションじゃないですか。

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復元された現代でもなんかインパクトがある、この急な傾斜。後円部なみに高い前方部。周濠もちゃんとある。茨城の片田舎にありながら関東有数の現代的オススメ古墳です。

山陽っぽい街と古墳

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日本各地へ鉄道旅行してると降りてみたくなる車窓というのが時々あります。鉄道旅行ではその日の行程を決めてしまってるのと、地方では列車本数が心もとないのであんまり思いつきで降りたりはしないのだけど。それで、気になる場所が旅行するたびに全国各地に増えてきて、放っておくともやもやするのでたまに休みが取れたら18きっぷなんか使って行ってみる。柳井もそんなところです。

柳井を初めて通過したのはいつだったか思い出せないのだけど、たぶん山陽本線をひたすら下ってたか上ってたかの途中だと思う、第一印象は「すごく山陽っぽい」。あまりにも山陽な風景なので「これはいつか来なければならぬ」って思ってそれ以来行くタイミングを窺っていた。何をもって山陽と思ったのかは自分にも分からぬ。そしてその山陽っぽさのどんなところが魅力的なのかも名状しがたい。ともあれ行きたいのは間違いないし放っておけばもやもやして困ってしまう。さらに地図を見てたらどうも古墳があるらしく、行くべき理由は揃っている。それで、行ってきました。

山陽、というか岡山県以西の瀬戸内海沿岸の印象としては、海に近い平野に街があって、小さな川が流れている。川の水は綺麗。柳井もなるほど、これは山陽っぽいですね。あとは太陽光が明るい印象である。駅から歩いていくとほどなくして坂道があって、ゆるやかな傾斜にも家が建っている。こういうのは神戸なんかも共通の特徴なのだけれど、なぜか神戸にはあまり山陽っぽい印象がない。謎だ。

古墳は柳井駅から歩いて30分くらいのところにあります。結構高い丘の上。墳丘に立つと柳井の街が一望できます。それで、この風景を見たとき、やはり車窓を見たときと同じ名状しがたい懐かしさのようなものが湧き上がってきた。これは山陽だ、超山陽っぽい。

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まず前方部から後円部を見上げる。するとこうやって、埴輪の向こうに山が見えるんです。しかも丘とかそういうのじゃなくてちゃんと高さも傾斜もある未開発の山。これですね。懐かしさとファンタジー。分かんないですか、でもいいんです。私には分かるのだから。これはきっと重要で、祭祀の場である前方部から王様の墓である後円部を見たときに山があるってことは、偉い王様はあの山を背負ってるわけで、古墳時代のピープルも同じようにあの山にファンタジーというかなんかちょっと特別な感じを持っていたわけです、たぶん。

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それから、後円部から前方部を見ると、こっちは瀬戸内海。これも山陽っぽい。あと、古墳とは無関係なんだけど、海に隣接して建ってる発電所もどういうわけかすごく懐かしい感じがする。

中島と火山

 古墳の形のさまざま。古墳時代の人々は何を考えてこんなもの造ったのかしら。

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 円であったり四角であったりそれらの組み合わせであったり。またときには周囲に濠をめぐらし水があったりなかったり。濠は古墳の形を縁取っていることもあれば盾形かもしれないし細い濠が何重にもなっていたり。さらにサイドビューも一筋縄ではいかない。そして古墳の横に出っ張る造出し。

 群馬の八幡塚古墳もまた目的不明の特殊形態を持っていて、「前方後円墳」「盾形の周濠がある」などは珍しくないのだけれど、その濠の中に円形の島がある。

 オシャレ、ともいえる。盾形の周濠の中に小島が浮かんでいる。現代的デザインである。

 現地の案内板によるとこの小島(中島と称する)は「祭祀の場」「近親者の埋葬施設」または「明らかになっていない」ということです。

 それはそれとして、とりあえず現地で見てみようと思い、桜前線を追いかける一環で行ってみた。行ってみたらここは中々素晴らしい古墳です、葺石と埴輪が全面きれいに復元されてるし、上に登るのも中に入るのも自由だし、菜の花畑があるし、あと馬の埴輪がある。

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葺石と埴輪列

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上に登るのも……

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中に入るのも……

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菜の花畑もある。

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わあ馬の埴輪かわいい。

 

まるで古墳のテーマパークです。ワクワクします。

 

それで、今回は桜前線を追いかける一環だったので桜を撮らなければならないと思って、後円部のてっぺんに立って写真を撮ってみました。北西にある薬師塚古墳や北の土屋文明記念館の桜がほどよく美しい。案内板によるとこの向こう側に榛名山があるらしくて、この日は曇りだったのでもっと晴れてれば見えたのになあと思ってくやしい。あと、なんか思いついたのである。

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 この中島、火山っぽいのではないか。

 

 北西に榛名山、北東に赤城山。南には山がないけども、関東平野にありながら山に囲まれてる感の強い群馬だから、山って意味ありげですね。特に古墳時代というのは榛名山の最後の活動期にあたるので、古墳を造った人々は噴火する榛名山を間近で見ていたに違いなく、というか火山灰に埋もれた古墳時代人の骨が見つかっていたりする

www.nikkei.com

ので、山に対してはかなりヤバいという思いがあったはずだ。なので、古墳を造るにあたって山のヤバさを首長の偉大さに重ねたとか、首長の偉大さで山を鎮めようとしたとか、そんな想像をしてもいいのかもしれない。

 

 ところで八幡塚古墳の南西には二子山古墳があって、こっちも中島がありますが、埴輪の復元とかはなくて笹が生い茂ってて野良感がある。あと併設のかみつけの里博物館も充実していてオススメスポットです。  

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(二子山古墳の中島からのサイドビュー)

浅間古墳

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古墳というと重苦しい感じがするけど案外駅から歩いて行けて誰でも入れてなんとなく歴史を感じて暇つぶしができるお手軽アミューズメントである。駅から歩いてゲーセン行く感じで駅から歩いて古墳行ってしまえばよいのだ。

今春の18きっぷシーズンは仕事が思いのほか暇で、その3月下旬から4月頭にかけて桜前線を追いかけて電車で旅に出るという優雅なことをしてみた。その一環で静岡へ行き富士山を見て、となればいつも立ち寄る岳南鉄道に乗り、そうするとこの沿線には駅から歩いていけるアミューズメントがあるのである。

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岳南鉄道神谷駅の案内看板によると「徒歩10分で行けるよ」とまさに駅近がPRされている。

ただし徒歩10分といっても後半5分は愛鷹山に向かってひたすら登っていく。

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ピカチュウとかいるけどさらに登る。

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東名高速を渡ったところで振り返ってみれば中々の眺めである。

 

古墳は茶畑エリアの一角にあり現在はてっぺんが神社なので古墳の入り口には鳥居が立っている。鳥居をくぐって石段に差し掛かったところでまた振り返ってみると青春アニメのワンシーンで美少女がこっち見て手を振ってたりしそうな風景である。

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ところで肝心の古墳は鳥居の側から行くとかなり斜面が急である。ヒイヒイ言いながら登るような斜面の途中にあるので、古墳の反対側はあんまり高さがなくてなだらかに茶畑に続いていく。案内看板によると二段築成の前方後方墳で、古墳ではありがちだけどもおそらく元々斜面に段状に張り出してた土地に土を盛って成形した省エネ設計なのではないかなあと思う。

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鳥居とは反対側(斜面の上側、北側)からパノラマするとこうなる。

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前方部が低くて平らな設計。こっちから見るとあんまり高さがない。なお一番上の写真は鳥居の側から見たもので、ちょっとした小山である。

この古墳の周囲をぐるりと歩いてみると、後方部の周辺に結構たくさんコロコロした丸い石がある。小さな村の神社の周辺に立派な石垣を巡らせるとも思えないので、きっと古墳ができた当時の葺石にちがいない。そう思ってずっと歩いてると神社の石段脇の補強に使われてる石なんかも葺石を再利用したんじゃないかという気がしてきた。とにかく千六百年も前の構造がちゃんと残ってるってのは最高にワクワクします。アミューズメント。

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