Image Composite Editorで古墳パノラマ

茨城県にある富士見塚古墳。この古墳を語る前にまずは写真を見てくれ。こいつをどう思う?

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「すごく……繋がってないです……」

 

そう、パノラマ写真が繋がんなかったのです。一番右側の、古墳のおケツの部分の一枚。こんなこともあるのだ。ちなみに合成に使ったソフトはwindowsフォトギャラリーにオマケで付いてるパノラマ機能で、windows付属のわりにこれまでよく働いてくれた。

なんで繋がらないのか考えてみたところ、きっと青空と芝生、みたいに繋ぎ目が単調だとイケナいんだろうなあという結論に至った。スマホgoogleカメラとかだと次にカメラを向ける場所を画面上で表示してくれるしその場で合成結果見てやり直せるのでこんなことは無いんだけど、デジカメで撮ったやつを家に持って帰って合成する場合は判断が難しい。

ひとまずパノラマ合成するソフトを変えてみることにしました。ググってまとめっぽいサイトのリストの中からとりあえず開発元のネームバリューが一番あるやつを選んでmicrosoftのImage composite Editorにしました。超適当だけどそこんとこは時間がないので面倒な比較検証などは省略しよう。インストールも簡単。起動。合成。

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繋がった。

このImage Composite Editorの素晴らしいのは合成が上手くいったという他にもうひとつあって、Auto cropボタンを押すと合成後の画像周辺に残る黒枠に内接する四角形で切り取ってくれる。フォトギャラリーのオマケ合成にはここまで親切な機能が無かったので画像編集ソフトで「このへんかな? ちょっと内側すぎるかな?」なんてチマチマとトライ・アンド・エラーを繰り返してギリギリのラインでトリミングしてたのだけど、そんなところで神経使う必要がなくなったのである。

①起動してNEW PANORAMAをクリック。合成する画像を複数枚選ぶ。

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②NEXTをクリック。

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③投影法を選べるオプション。詳しくはよくわからなかった。解説サイトによるとCylindricalを選んでおけば大体問題ないらしいけど、周辺部分の歪みや距離感を見て時々他の投影法にしたくなるときもあった。
④傾きを補正できるオプション。ベリー便利。
⑤NEXTをクリック。

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⑥Auto Cropを押すとほどよく切り取ってくれる。
⑦NEXTをクリック。

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⑧Export to Diskをクリックして保存。

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そんなわけで富士見塚古墳のサイドビューが完成したのだ。ウホッ! いい古墳……。

でも特に注目されているわけでもないらしく日曜日でも他に古墳マニアっぽいおじさんが一人いただけで静かだった。公共交通機関で来るには遠いけれども、霞ヶ浦の眺めも良くて広くて爽やかで墳丘が綺麗なのでかなりオススメスポットです。
上の写真の手前に造出がありまして、ここから古墳の王様に南無南無とお参りするわけですが、というかたぶんまだ仏教はきちんと伝わっていない時代のソレなので南無とは言わないんだろうけどそこは置いといて、墳丘の向こう側は、上に立って見るとこんなふうに霞ヶ浦がある。

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拝んでいる人はみんな偉い王様の背後に霞ヶ浦を見る。反対に霞ヶ浦で舟を漕ぐ下々のピープルからも見える。あと富士見塚って言うくらいだからもしかしたら墳丘から富士山見えるかも。(この日は霞んでて見えなかった)デカいお墓造るには絶好のロケーションじゃないですか。

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復元された現代でもなんかインパクトがある、この急な傾斜。後円部なみに高い前方部。周濠もちゃんとある。茨城の片田舎にありながら関東有数の現代的オススメ古墳です。

山陽っぽい街と古墳

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日本各地へ鉄道旅行してると降りてみたくなる車窓というのが時々あります。鉄道旅行ではその日の行程を決めてしまってるのと、地方では列車本数が心もとないのであんまり思いつきで降りたりはしないのだけど。それで、気になる場所が旅行するたびに全国各地に増えてきて、放っておくともやもやするのでたまに休みが取れたら18きっぷなんか使って行ってみる。柳井もそんなところです。

柳井を初めて通過したのはいつだったか思い出せないのだけど、たぶん山陽本線をひたすら下ってたか上ってたかの途中だと思う、第一印象は「すごく山陽っぽい」。あまりにも山陽な風景なので「これはいつか来なければならぬ」って思ってそれ以来行くタイミングを窺っていた。何をもって山陽と思ったのかは自分にも分からぬ。そしてその山陽っぽさのどんなところが魅力的なのかも名状しがたい。ともあれ行きたいのは間違いないし放っておけばもやもやして困ってしまう。さらに地図を見てたらどうも古墳があるらしく、行くべき理由は揃っている。それで、行ってきました。

山陽、というか岡山県以西の瀬戸内海沿岸の印象としては、海に近い平野に街があって、小さな川が流れている。川の水は綺麗。柳井もなるほど、これは山陽っぽいですね。あとは太陽光が明るい印象である。駅から歩いていくとほどなくして坂道があって、ゆるやかな傾斜にも家が建っている。こういうのは神戸なんかも共通の特徴なのだけれど、なぜか神戸にはあまり山陽っぽい印象がない。謎だ。

古墳は柳井駅から歩いて30分くらいのところにあります。結構高い丘の上。墳丘に立つと柳井の街が一望できます。それで、この風景を見たとき、やはり車窓を見たときと同じ名状しがたい懐かしさのようなものが湧き上がってきた。これは山陽だ、超山陽っぽい。

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まず前方部から後円部を見上げる。するとこうやって、埴輪の向こうに山が見えるんです。しかも丘とかそういうのじゃなくてちゃんと高さも傾斜もある未開発の山。これですね。懐かしさとファンタジー。分かんないですか、でもいいんです。私には分かるのだから。これはきっと重要で、祭祀の場である前方部から王様の墓である後円部を見たときに山があるってことは、偉い王様はあの山を背負ってるわけで、古墳時代のピープルも同じようにあの山にファンタジーというかなんかちょっと特別な感じを持っていたわけです、たぶん。

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それから、後円部から前方部を見ると、こっちは瀬戸内海。これも山陽っぽい。あと、古墳とは無関係なんだけど、海に隣接して建ってる発電所もどういうわけかすごく懐かしい感じがする。

中島と火山

 古墳の形のさまざま。古墳時代の人々は何を考えてこんなもの造ったのかしら。

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 円であったり四角であったりそれらの組み合わせであったり。またときには周囲に濠をめぐらし水があったりなかったり。濠は古墳の形を縁取っていることもあれば盾形かもしれないし細い濠が何重にもなっていたり。さらにサイドビューも一筋縄ではいかない。そして古墳の横に出っ張る造出し。

 群馬の八幡塚古墳もまた目的不明の特殊形態を持っていて、「前方後円墳」「盾形の周濠がある」などは珍しくないのだけれど、その濠の中に円形の島がある。

 オシャレ、ともいえる。盾形の周濠の中に小島が浮かんでいる。現代的デザインである。

 現地の案内板によるとこの小島(中島と称する)は「祭祀の場」「近親者の埋葬施設」または「明らかになっていない」ということです。

 それはそれとして、とりあえず現地で見てみようと思い、桜前線を追いかける一環で行ってみた。行ってみたらここは中々素晴らしい古墳です、葺石と埴輪が全面きれいに復元されてるし、上に登るのも中に入るのも自由だし、菜の花畑があるし、あと馬の埴輪がある。

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葺石と埴輪列

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上に登るのも……

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中に入るのも……

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菜の花畑もある。

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わあ馬の埴輪かわいい。

 

まるで古墳のテーマパークです。ワクワクします。

 

それで、今回は桜前線を追いかける一環だったので桜を撮らなければならないと思って、後円部のてっぺんに立って写真を撮ってみました。北西にある薬師塚古墳や北の土屋文明記念館の桜がほどよく美しい。案内板によるとこの向こう側に榛名山があるらしくて、この日は曇りだったのでもっと晴れてれば見えたのになあと思ってくやしい。あと、なんか思いついたのである。

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 この中島、火山っぽいのではないか。

 

 北西に榛名山、北東に赤城山。南には山がないけども、関東平野にありながら山に囲まれてる感の強い群馬だから、山って意味ありげですね。特に古墳時代というのは榛名山の最後の活動期にあたるので、古墳を造った人々は噴火する榛名山を間近で見ていたに違いなく、というか火山灰に埋もれた古墳時代人の骨が見つかっていたりする

www.nikkei.com

ので、山に対してはかなりヤバいという思いがあったはずだ。なので、古墳を造るにあたって山のヤバさを首長の偉大さに重ねたとか、首長の偉大さで山を鎮めようとしたとか、そんな想像をしてもいいのかもしれない。

 

 ところで八幡塚古墳の南西には二子山古墳があって、こっちも中島がありますが、埴輪の復元とかはなくて笹が生い茂ってて野良感がある。あと併設のかみつけの里博物館も充実していてオススメスポットです。  

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(二子山古墳の中島からのサイドビュー)

浅間古墳

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古墳というと重苦しい感じがするけど案外駅から歩いて行けて誰でも入れてなんとなく歴史を感じて暇つぶしができるお手軽アミューズメントである。駅から歩いてゲーセン行く感じで駅から歩いて古墳行ってしまえばよいのだ。

今春の18きっぷシーズンは仕事が思いのほか暇で、その3月下旬から4月頭にかけて桜前線を追いかけて電車で旅に出るという優雅なことをしてみた。その一環で静岡へ行き富士山を見て、となればいつも立ち寄る岳南鉄道に乗り、そうするとこの沿線には駅から歩いていけるアミューズメントがあるのである。

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岳南鉄道神谷駅の案内看板によると「徒歩10分で行けるよ」とまさに駅近がPRされている。

ただし徒歩10分といっても後半5分は愛鷹山に向かってひたすら登っていく。

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ピカチュウとかいるけどさらに登る。

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東名高速を渡ったところで振り返ってみれば中々の眺めである。

 

古墳は茶畑エリアの一角にあり現在はてっぺんが神社なので古墳の入り口には鳥居が立っている。鳥居をくぐって石段に差し掛かったところでまた振り返ってみると青春アニメのワンシーンで美少女がこっち見て手を振ってたりしそうな風景である。

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ところで肝心の古墳は鳥居の側から行くとかなり斜面が急である。ヒイヒイ言いながら登るような斜面の途中にあるので、古墳の反対側はあんまり高さがなくてなだらかに茶畑に続いていく。案内看板によると二段築成の前方後方墳で、古墳ではありがちだけどもおそらく元々斜面に段状に張り出してた土地に土を盛って成形した省エネ設計なのではないかなあと思う。

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鳥居とは反対側(斜面の上側、北側)からパノラマするとこうなる。

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前方部が低くて平らな設計。こっちから見るとあんまり高さがない。なお一番上の写真は鳥居の側から見たもので、ちょっとした小山である。

この古墳の周囲をぐるりと歩いてみると、後方部の周辺に結構たくさんコロコロした丸い石がある。小さな村の神社の周辺に立派な石垣を巡らせるとも思えないので、きっと古墳ができた当時の葺石にちがいない。そう思ってずっと歩いてると神社の石段脇の補強に使われてる石なんかも葺石を再利用したんじゃないかという気がしてきた。とにかく千六百年も前の構造がちゃんと残ってるってのは最高にワクワクします。アミューズメント。

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掩体壕:なんとなく古墳っぽい物件

千葉県とか茨城県ってチバラギって馬鹿にされるくらいなので田舎だし特別にこれといって名物もないし遺跡とか城とかもあんまりない。でも昔は霞ヶ浦が今よりも相当広くて利根川のかなり上流まで浅海だったとか、そこらへんは歴史とか地形好きなら最高にワクワクします。

それで霞ヶ浦からはちょっと外れるけれども、似たような例で千葉県に椿海という浅海が昔あって、砂の堆積とか干拓で今は広大な田んぼになっているのだが、かつては海岸線だったのであろうなあと思われる地形が航空写真で見えるので面白い。そのあたりを衛星写真をグリグリ動かしていたらなんか面白物件っぽい場所を見つけてしまった。

見るからに滑走路。でもこんなところに空港があるって聞いたこと無いし(近くに成田空港があるし)何かなあと思って調べたら、旧海軍の香取航空基地とのこと。

香取航空基地 - Wikipedia

当時の滑走路がほとんどそのまま残ってて今は車のブレーキ作ってる日清紡のテストコースになってる。あとWikipediaによると掩体壕が現存しているらしい。掩体壕とは飛行機を爆撃から守るためのシェルターで、かまぼこ型でコンクリート製。なんでか分からないけど急にそれを見たくなって出かけた。

 

掩体壕や飛行場とは関係ないけど、歩いてみるとこのあたり一帯は地面が砂地なのである。はるか昔は海だったんだなあってのが感じられてたいへんうれしい。反面、あぜ道にうっかり足を突っ込むとめりこんで靴に砂が入るので注意しないといけない。

 

さてまず一基目です。飛行場の東側の農家に隣接している。隣接というか敷地内というか。畑の一角みたいな場所なので近づいていいかどうか迷いつつ、しかし案内看板が出てるのですぐそばまで行ってみた。下はやはり砂地である。

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古墳めぐりで培ったパノラマ技術が生かされた写真)

戦時中に造られたコンクリートってもっとボロボロなのかと思ったけど未だに残ってるってことは結構頑丈なのだなあ。端のあたりはちょっと壊れて鉄筋が見えてたりもするけど、掩体壕そのものは当分崩壊するとは思えない。

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(内部はたぶん隣の農家の物置になってる)

 

続いて飛行場の反対側、西のほうには田んぼの真ん中に二基残存していた。

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期せずして古墳っぽい物件に出会ってしまった。田んぼの真ん中に丸っとした盛り上がりが並んでたら「うおお野良円墳だ!」って感じでエキサイトしちゃうじゃないですか。というかこんな完璧な残り方は古墳ではめったに見ない。だって四角い田んぼの真ん中に丸い遺跡を残すって邪魔だし。田んぼの持ち主か市役所の偉い人かは知らないけど、大切に残そうと思った人がいるわけですね、掩体壕

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(ただし周囲は完全に田植えされててアクセス手段がない)

 

なんか古墳めぐりっぽく書いてしまったのだけれど、実際にはこの飛行場から飛んでいって戦場で死んだ人も数知れず、近くの慰霊碑の前に立って物哀しい感じになっていた。遺跡ってのもいろいろである。

建設予定地の真ん中に

あるときTwitterのタイムラインをぼんやり見てたらこんなニュースが流れてきた。

静岡・辻畑古墳は東日本最古級 土器などの分析で判明 - 47NEWS(よんななニュース)

 

古墳時代の最初期に造られた古くてデカい古墳が沼津にあるらしい。というと別にどうってことはないような感じもするけど、卑弥呼とかと張り合えるレベルのエラい人が沼津にいたということで、今でこそ普通の地方都市だけど、沼津すごいなあと思ったのです。それでちょっと様子を見に行ってみた。

いにしえのピープルは山に対して信仰心を持っていたのではないかという話があります。デカ古墳が立ち並ぶ奈良県の東側なんかそうですね、三輪山の神様を崇めていたらしい。でもその理屈で行けば日本一の富士山の周辺なんかメッカみたいになって巡礼でごった返して大騒ぎになっていたにちがいないのに、案外そういう遺跡がない。富士山埴輪を作って売ってた土産物屋の跡とか見つかったら面白いけど無い。不思議なことです。

あとそれに関連するのだけれど、沼津って富士山の手前にちょうど愛鷹山が重なって、肝心の富士山が見えないんですね。もうちょい西の富士市に入ればすごく綺麗に見えるんだけど。なので富士山を崇めるためにここに古墳を造るってちょっと違う感じがするし、沼津に古くてデカい古墳があるって聞いたとき、なんで沼津なんだろうって思ったのだ。

沼津駅からバスに乗って10分くらい。江原公園バス停で降りて歩道橋を渡った先に古墳があります。その歩道橋の上に立って愛鷹山を見ると、なんか予想とは違う風景だった。

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愛鷹山の上に富士山の頂上が乗っている。

沼津って富士山が見えないわけじゃなかったのだ。知らなかった。この風景ならちょっと崇めてみようって思うかも。あるいは信仰ではなくても、いい眺めだから村を作ろうとか古墳を造ろうとかは思ってもおかしくない。水も綺麗だし。なんで沼津、の答えはそう難しくなかったのだ。

 

歩道橋を下りて五十メートルほどで古墳があります。道路が二股にわかれた部分にあって、道路工事の途中で見つかったということで、ハゲ山になっております。

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前方部から後方部を見ると、軸線上ではないけれど富士山on愛鷹山が見えます。(写真左上・木に隠れてるけど)建物の無かった時代なら結構視覚効果が大きかった可能性はある。

 

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後方部周囲には周濠っぽい窪みがある。

 

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西側は道路によって結構抉られている。

 

ニュースでも触れられているのだけど、道路工事の最中に見つかった古墳なので、今後どうするかが問題になっているようです。小さい古墳なら発掘して記録を作ってから潰しちゃうってのもよくあるのだが、この古墳は結構デカい上に箸墓古墳なみに古くって、そう簡単に潰すわけにもいかない。歴史的価値ってのもあるし観光資源になるかもしれない。あと、もったいない。お墓潰すのもヤだし。でも道は通さないとみんな困る。

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二股にわかれた道路、どうやら地元の抜け道になっているらしく、細いわりに交通量が多いです。なんか地図を見ると道路が開通すると沼津市街地から東名高速方面へつながって便利になるっぽい? 交通量多くて危ないらしく、この日は二股のところに警察官が立って見張ってた。写真の奥が古墳

 

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古墳のすぐ北側まで広い道路が大方完成した状態で待ってます。あとは古墳の百メートルほどの区間さえどうにかなれば……というところ。これ見ると、やっかいな場所にあります、古墳。困ったことに周囲は住宅地で、迂回路の用地は無い。さあどうするか。以下は沼津駅前で海鮮丼を食いながら考えてたあれこれ。海鮮丼はウマかったです。

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中央分離帯に構造物があると興奮する系統のマニアにとってはたいへんワクワクします。

 

  • 古墳アンダーザブリッジ方式

 

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赤面山古墳と同じ方式で上を陸橋でまたいでしまう。古墳の王様からは富士山が見えねえって怒られそう。

hamajiu.hateblo.jp

 

  • 道路インザコフン方式

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古墳のガワだけ残して内部をトンネルにする、見た目さえ残ればいいという暴挙。だけど古墳の内部に現代的構造物があると興奮する系統のマニアにとってはたいへんワクワクします。類似例ってわけでもないけど埼玉の将軍塚古墳なんか内部がコンクリで刳り抜かれててめっちゃワクワクしました。

 

  • 移築

世の中にはわざわざ移築した古墳というのもあるそうな。考古学的な価値は無くなっちゃうので潰すのとあまり変わらない気はするけど、何しろお墓なので単に潰すよりは移築したほうが怒られない。ついでに往時の姿に復元して賑々しく飾り立てればいいんじゃない。

 

そういえば古墳の近くの国道沿いに白湯麺屋さんがあって、食べようと思ってたのに忘れてた。

イビツなヤツら

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郡山にある大安場古墳に行ってきた。この古墳の特徴は前方後方墳ということで、これが全国的にはそれほど多くはないタイプなので有り体に言えばレア度が高い。

ところで、前方後方墳とはナンゾやと言うと、真上から見ると四角形ふたつを組み合わせた形をしてる古墳である。古墳界のファッションリーダーであるところの関西では円形+四角形=前方後円墳が圧倒的メジャーなのに、東海や東北にはポツポツと四角形+四角形=前方後方墳があって、中央政権に対する反抗精神を墓の形に込めたとかいう話である。でも単にひねくれ者の王様が作ったのかもしれないし、何も考えずに適当にそれっぽく仕上げただけかもしれない。ちょっとした形の好みとか。

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大安場古墳が普通じゃないのはもうひとつあって、古墳の軸線がぐにゃっと曲がってることである。つまり前方部と後方部の角度がぴったりと合っていない。この古墳は元々あった山を削り出して整形して造られているのだが、その元々の地山がちょっとグニャッとしてたのでそのまま古墳もグニャッとしてしまったらしい。超いい加減である。実はこれまでに見たことのある古墳で同じようなのが他にもあって、長野県の森将軍塚古墳というのは細い尾根の先っちょを無理に削って造ったのでやっぱり同じようにグニャッとしている。森将軍塚古墳のほうは前方後円墳なのだが、後円部を造るのに十分な幅が無かったせいで綺麗な円形を造ることすら放棄してたりする。もっといい加減である。

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(グニャッとしている模式図。1枚目の写真でも軸がずれてるのが分かる)

じゃあこの墓を造った王様や家来衆は超いい加減なピープルだったのかというとそうでもなくて(という勝手な想像だけど)形よりも優先すべき理由があったにちがいない。というのも、大安場も森将軍塚も、下の平野よりも結構高い位置にあるので登ると眺めがすごく良い。どちらも平野の向こうに雪山が見えるのが共通で、墳丘上から遠くを見た時に同じ感じがしたので驚いちゃった。きっとオジサンたち、この尾根の上に立って、「たいへん良い眺めなのでワシの墓はここに作ろう」って思ったのである。
ところが部下は慌てて反対する。「こんな場所に造ったら整形するのめっちゃ大変っすよ、やめましょう」
でも王様は諦めない。「形はそれっぽくデカいの作っとけばいいじゃん、とにかくここで」
というわけでグニャッとした古墳ができちゃった(かどうかは知らんけど)。
でもまあ結果としてちゃんと眺めのいい場所に墓ができて、後世まで残って、いまだに「デカい」「高い」って人を驚かせてるので王様もご満悦であろう。

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(大安場古墳から西側の眺め。空気が澄んでいれば山並みが見えるらしい) 

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 (森将軍塚古墳からの眺め。きっと日本一眺めのいい古墳

 

さて古墳サイドビューのパノラマです。今回の大安場古墳では「前方後方墳と前方後円墳は真横から見たら同じに見えるのではないか?」という疑惑を調べてみた。
だが残念ながら1枚目の時点でもはや明らかに円ではないっぽいことが分かる。2枚目、右斜め前45度くらいなら前方後円墳ですって言われてもあんまりわからないかも。要は「エラ」の部分が目立たないように撮れば差がわからなくなるってことである。3枚目、パノラマではないけど前方部の前部分から眺めるとエラが強調されてピラミッドが並んでるみたいな人工的景観がカッコいい。こうなると明らかに違いが分かる。

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(1.ほぼ真横から)

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(2.斜め後ろから)

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(3.ダブルピラミッド構造)
なので、古墳の上に登ることなんて滅多になかったであろう古墳時代ピープルもちゃんと形の違いを認識していただろうし、形は結構重要な要素になりえたと思うのだ。